ロレンス・スターン 朱牟田夏雄 訳 トリストラム・シャンディ 上

トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)
ロレンス・スターン 朱牟田 夏雄

4003221214
岩波書店 1969-08
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 十年前に買って本棚の肥やしになり続けていた本。なぜか幾多の引っ越しやら古本屋へのうっぱらいなどもかいくぐって、本棚の一角に収まり続けていたのだが、このあいだ、そういう本の一冊だったバフチンの「小説の言葉(amazon)」を読んでいたら、言及があって、持っているのを思い出し、ファゲの読書論によって、なんとなく読み方が分かった(ようするにゆっくり読めということである)ので、読み出してみたら、訳は素晴らしいし、脱線また脱線の流れ方が、まったく違うものであるにもかかわらず、ペドロ・パラモ(感想)のような印象で、脱線というよりはむしろサブストーリーの生成する課程を見せられるようで、しかもその実、作者は思いつくままに筆を滑らせておきながら、どうやらその裏で全体の構成もちゃんと用意しているような雰囲気が漂っていたりして、もう本当にどうやってこんなものを作ったのかと思ったり思わなかったり。
 脱線がどれくらい凄まじいかといえば、原題は「トリストラム・シャンディ氏の生活と意見」なんだけれども、380ページある上巻を読み終わった段階で、主人公のトリストラム・シャンディはまだ生まれただけ。あとは父親と叔父を中心にしたしょうもない対話プラスそこから派生するエピソードが時間軸の前後を行ったり来たり本筋に戻ったりする。
 まともに紹介するのは手に余るので、ひとまずウィキペディアへリンクを貼っておくことにする。

本作は、全九巻(未完)からなる小説で、1759年の末から1767年にかけ、二巻ずつ(ただし最後の第九巻は単独で)五回に分けて出版された。一見、内容は、荒唐無稽、奇抜そのものであり、例えば、一貫したストーリーは欠如していて、牧師の死を悼む真っ黒に塗り潰されたページ、読者の想像のままに描いてほしいと用意された白紙のページ、タイトルだけが記された章、自分の思考を表す marble pages と呼ばれる墨流し絵のようなページ等、読者をからかうがごとき意匠に満ちている。アスタリスクダッシュの多用、さらに、この作品の話の進行状況を曲線で表す等、まさしく奇抜な形態をほしいままにしている。

しかし、実はジョン・ロックの「観念連合」(連想作用)の理論を取り入れた緻密な配慮の下に語りが展開されており、登場人物の思考を無秩序で絶え間ない流れとして描く「意識の流れ」の手法を先取りしているとされる。そのため後のマルセル・プルーストジェイムズ・ジョイスヴァージニア・ウルフアンドレ・ジッド、オルダス・ハックスレーなどの時間を意識した新心理主義文学の先駆的作品として評価は高い。
(中略)

ヨーロッパ近代小説の勃興期である18世紀に書かれた作品であるにもかかわらず、語り手トリストラムが読者たちと対話するなどメタフィクション的な仕掛けに富み、古今の文献から断片的な引用をつなぎ合わせてマニア的な知識をひけらかすところはポストモダン文学を思わせる。ウェブサイトに代表されるようなハイパーテキスト(多数の文章の断片をリンクで結んだテキスト)の先駆けとも言われている。実際、めまぐるしく脱線しながら短い話がでたらめに並べられていく本作を読むのは、首尾一貫した構成を持つ近代小説というより、ウェブサイトやブログをまとめ読みする感覚に近い。

トリストラム・シャンディ - Wikipedia

 ブログのまとめ読みっていう紹介も違う気がする(というのも、ブログと違って、飛ばし読みが不可能だと思われるから)、残りは無難にまとまっていると思う。ちなみに本作を日本に初めて紹介した夏目漱石の文章はこちら電脳空間のローレンス・スターンより)
 のんびりと続きも読んで行ければと思う。どこで挫折するかは分からないが。
 追記:電脳空間のローレンス・スターンから「トリストラム・シャンディ」の翻訳を行っているブログを教えられたので、リンク。
ノンシャラン逍遥記
「俺」語りは岩波版とはまた違った味わいがあると思う。