メリヤス〜鎖国

 魚返善雄の「漢文入門」(amazon)を読んでいたら、こんな記述にぶつかった。

「莫」は「没」や「無」とおなじ意味で、打ち消しに使います。みなさんはメリヤスのシャツや下着をきているでしょうが、あれは以前には「莫大小」と書きました。引っ張ればのびる、フリー・サイズだから「大小なし」というわけです。もともとメリヤスというのはスペイン語のmedias(中くらい)からきた外来語で、それを意訳して「莫大小」とやったんですね。

 なんとなく江戸っぽい響きのメリヤスが外来語だったとは知らなかった。と思いウィキペディアを調べてみると、

日本のメリヤスは江戸時代の延宝 - 天和 - 貞享 - 元禄(1673年 - 1704年)のいずれかの時期に輸入・伝来したとされ、ポルトガル語のメイアシュ(meias)・スペイン語のメジアス(medias)の転訛とされる。日本語のメリヤスを指す言葉としては莫大小を当てるが、その理由の一つとして日本国内の旧来の布地に比べて伸縮性があることとする説がある。

メリヤス - Wikipedia

 とあり、やはり江戸時代に伝来した言葉であった。年代を見ると、鎖国していた時期と重なるが「江戸の想像力」(感想)によれば、江戸時代を通してモノは入り続けていたそうだから、メリヤスもそうしたもののひとつだったんだろう。
 と、書こうとして万が一、鎖国の完成がこれよりあとだったら恥ずかしいと鎖国もチェックしてみたら、こんな記述が。

鎖国という言葉は、江戸時代の蘭学者である志筑忠雄が享和元年(1801年)の『鎖国論』においてはじめて使用した。(中略)この「鎖国」という言葉は、その際の新造語であり、実際に鎖国という言葉が普及するのは明治以降で、それ以後は以前の政策も鎖国の名で呼ばれることになった。

鎖国 - Wikipedia

 なんと! しかしその下の年表では第一次〜第五次の「鎖国令」という表記がなされていて、どうもすっきりしない。鎖国という言葉が1801年まで存在しなかったのなら、鎖国令という名前だったはずがないだろう。ということでググってみたら、NHKの高校講座「日本史」にこんな記述が。

一般的には1639年のポルトガル船の来航禁止をもって鎖国と言われ、海外との窓口となったのが長崎の出島だったと考えられてきました。しかし、年表の中に「鎖国」という文字はどこにもありません。
実は「鎖国令」という法令は出されていません。
「1633年 奉書船以外の海外来航を禁止」や「1635年 日本人の海外渡航・帰国の禁止」などは、長崎を管轄する長崎奉行に出された法令とみられています。

NHK高校講座 | 日本史 | 第21回 第3章 近世社会の形成と庶民文化の展開 近世の学問と文化

 へえそうだったんだあ。というか結局どんな名前の法令だったのかは分からず。