伊藤秀雄 黒岩涙香―探偵小説の元祖

 黒岩涙香は、本書のサブタイトルにもあるように、いわゆる日本の探偵小説の元祖と呼ばれる人である(ちなみに国産初の探偵小説らしい「無惨」は青空文庫で読めるhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000179/card1415.html)が、それ以外にも「噫無情」「巌窟王」「鉄仮面」などの翻訳や一時代を築いた新聞「萬朝報」の創刊者としても有名だ。
 去年の初めくらいから、少しずつ黒岩に興味を覚えて、たまに関連書を読んでみたりしていたのだけど、一度ちゃんとした評伝で全体像をとらえてみようと思って、手に取ったのが本書。正直、全体に読みにくく、ところによっては意味が取れないところもあったけれども、評伝としてまとめてくれていることには感謝するべきか。前半生に関しては鶴見俊輔の「限界芸術論(amazon)」所収のものがコンパクトにまとまっていたが、それの補足として読んだ。特に興味深かったのは、ノルマントン号事件の折、「日本側は英語が出来ないので通訳が滅茶苦茶だった。それを涙香が聞いて、英語ができるから、あの通訳はまちがつている。ああいうことを裁判でやられてはかなわんといつて新聞に書いた、これが彼が周囲に名を知られた最初」だという、木村毅の発言に異を唱えているところ。根拠は公判が開かれたのが、12月7日8日の両日で、その当時、涙香が所属していた「絵入自由新聞」は、12月3日から年末まで発行停止処分を受けている真っ最中だったからというもの。この木村の語るエピソードは、例えば巌谷大四の「東京文壇事始(amazon)」にも取り上げていたりしたのだが、本書の記述を信じるならデマということになる。
 他にも相撲の国技館は涙香が命名したもの(漆間真学が典拠らしい)だとか。しかしウィキペディアを調べてみたら、

。「國技舘」の名称は命名委員会(会長:板垣退助)の命名によるが、作家の江見水蔭が執筆した開館式の披露文(相撲節により相撲は国技であるという内容)にヒントを得て、当時年寄であった尾車(元:大関大戸平)が提案したものである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E6%8A%80%E9%A4%A8

 と書かれているので、眉唾かもしれない。

 それはさておき、ここから見えてくる涙香の像は、エネルギッシュではあるが、視野がやや狭い、ワーカホリックな人間で、ある意味明治の典型的人物なのかもしれないと感じた。探偵小説の元祖を担ったからといって、決して冷静な知性というわけでもないらしく、相馬事件ではいまだったら致命傷になりかねない報道をしたりもしているし、北海道の開拓使官有物払下げ事件で散々批判した黒田清隆を、伊藤博文を貶めるために英雄視してみたり*1もしている。どちらかというと、敵を見つけてそれをたたきつぶすのが好きだったようだ。もっとも本書を読む限り、必ずしも勝率は高くなかったみたいだけれども。

 ひとまず色々参考になった。日本のミステリー黎明期への興味だけなら、同じ著者の「明治の探偵小説(amazon)」も詳しい(ただしやっぱり読みにくい)が、涙香自体に興味がある人なら、本書を一読するのも良いと思う。とはいえ、これもすでに二十年前の本なので、そろそろ新しい研究所が出ても、という気もするのだけれど。ひょっとすると、俺が知らないだけであるのかもしれない。

黒岩涙香―探偵小説の元祖
伊藤 秀雄

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三一書房 1988-12
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*1:この辺、前田愛「幻景の明治」による