小駒勝美 漢字は日本語である

漢字は日本語である (新潮新書 253)
小駒 勝美

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 去年ヒットした辞書にこんなのがある。
新潮日本語漢字辞典
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 出版社の目論見よりも売れたのか、一時期品薄でamazonにも在庫がなかった。で、この辞書を企画、編纂したのが、本書の著者であるらしい。辞典のプロモーションとして企画されたのであるなら、得るところがあるかもしれないと読んでみたが、実際には「辞典が売れたからついでに関連書だそうぜ」って感じの本であったようだ。著者が漢字好きであるのは分かったが、たとえば白川静のような狂気はどこにもない。
 たとえば帯に書かれている「『々』はどう読む?」。本文の答えは、

文部省が定めた「々」の正式な名称は「同の字点」。パソコンでも「どう」と打ち込んで変換すれば「々」が出てくる。もともとは「仝(どう)」という字が変化してできた記号であることから、この名称になった。出版業界では「ノマ」とも呼ぶ。なお、「々」は漢字ではなく記号なので『新潮日本漢字辞典』には収録しなかった。

 たとえば「三浦知良はなぜ『カズ』なのか」では、

 さて、肝心の「なぜカズと読むのか」であるが、名乗り*1とはいっても「字訓」なので、漢字の意味と無関係なわけではない。
(中略)
 では「知」を「かず」と読むのはなぜか。大きな辞書を見ても「知」の字には「かず」という訓を与えられそうな意味があまり見あたらないのだが、「知」には「配偶」とか「匹敵」とかいう意味がある。つまり、「数を釣り合わせる」という意味から「知」を「かず」と読むようになったのかもしれない。

 どちらもふーんと思って終了だ。なぜかと言っておいて(しかもしれを章第にしておいて)「かもしれない」で落とすというのは、竜頭蛇尾ではないかと思う。時間がなくて、ネタの数だけでも揃えなくちゃみたいな雑な打ち合わせと制作過程が透けて見える。
 辞典編纂者が必ず言葉に対する哲学を持っていなければいけないなんて法はもちろんないが、哲学なんてありませんよということを宣伝することになんの意味があるのかと、読み終えて首を傾げた。辞典の購入はずっと考えていたのだけど、電子辞書に収録されるのを待つことにしよう。なんかすぐ欲しい感が激しく減退した。
 この本に関しては、たぶん作者自身が不本意なんだろうなあ。

*1:人名だけに使われる字訓のこと