『鳴門に血渦巻く』

鳴門に血渦巻く (徳間文庫)
辻 真先

4195694310
徳間書店 1991-12
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by G-Toolsisbn:4195694310
 トラベルライター瓜生慎シリーズ第8弾。筋立てはこんな感じ。

 トラベルライター瓜生慎と妻の真由子は開通した大鳴門橋の取材中、自殺志願の少女雛子に出くわした。雛子は淡路に代々伝わる人形遣いの名門道明寺家の娘で、人形に犯され妊娠したと言いはる。雛子の祖父杢平、父治平はともに謎の死を遂げていた。人形にまつわる怪談話や土地の利権にからむ騒ぎに巻き込まれた慎と真由子の許に今度は医師の堀留が人形に殺されたとの知らせが……。長編トラベル・ミステリー。

 親本のノベルズ版が発売されたのは、85年の9月30日なので、大鳴門橋開通*1のわずか3ヶ月後に発行されたことになる。早い話が話題の観光名所を当て込みましょう企画。人形の呪いという筋立てはこのシリーズ中もっとも〓溝チックな雰囲気をもたせるけれど、田舎の側からの視線が挿入されていることが、陳腐さを軽減している。たとえばこんな件、

「……どうも貴方がたは遊戯気分が強いな。村の勢力争いといえば、まるで野蛮人の酋長位争奪戦みたいなつもりで、観戦なさる」
「はい。すみません」
 真由子はおとなしく謝った。たしかに、高見の見物的心境だったことは、否めないからだ。

 こうしたオリエンタリズム批判は辻作品にあって、随所に顔を出す。オリエンタリズムを「強者が自分の都合の良いイメージを弱者にラベリングし、それによって弱者を食い物にすること」と定義するなら、サイードポスコロの問題に証明を当てる以前の76年には、すでに「盗作・高校殺人事件感想)」でこの強者と弱者の問題は語られている。というより、辻の作品の割とよくできたものは大抵、この問題に触れている。例えば中央である国鉄のダイヤ改編のしわ寄せを食らうローカル線、大人文化から文化扱いされない漫画やアニメ、東京から観光名所と見なされ、それに見合った姿でいることを要請される地方。
 陳腐な構図を用いるなら、すべて周縁からの中心批判と言えるだろう。
 それと今からでは分かりにくいけれど、昭和60年の地方への眼差しとして、呪いだのなんだのは、都会で信じる人間はいなくても、地方にならまだ息づいているという見方があったのかもしれない。
 昭和60年はつくば万博が始まり、日本電信電話公社電電公社)がNTTに、日本専売公社がJTにとそれぞれ民営化され、男女雇用機会均等法が成立し、プラザ合意からバブルへ向かう年である。日本人初の宇宙飛行士3人が決定したのもこの年だ*2。毒々しいオカルトを都会に捜しても、見あたらない。だが、地方なら……。まるで都会の人間とは違う生き物であるかのような眼差しが地方に向けられていた可能性はある。それが上に引用した言葉となって記されているのかもしれない。が、実際のところ、都会の人はどれくらい、そういうオカルトから自由でいられるの? というフレーズが作品後半に出てくる。

「(略)いまは一九八五年よ。大鳴門橋が開通したのよ。そんな怪談を本気にするかしら」
 慎はにたりと笑った。
「信じないきみだって、お化け人形を見て、あっさり気絶したじゃないか」

 実はここら辺までが本作の読みどころで、このあとは旅行を取材旅行に変えるための舞台変更があり、上で記した話は昇華も展開もされず、唖然とするほどあっけなく事件は解決する。面白い構図が見えているのに、使わないのが歯痒かった。
 ただ上のモチーフを辻真先がスパイス以上の使い方をしたとして、読む方が真面目にそれを受け止めるかどうか疑問なので、これくらいの利用が限界なのかもしれない。
 選ばれた文体=ユーモアは、受け取られるときの重さで言えば、辻好みの周縁なスタイルだし。「盗作・高校殺人事件」の作者である以上、弱者の叫びすら強者に利用されることはよく分かっていたろうし。構図が見えていても、それを主張すれば、何かが変わるという楽観を持てなくても仕方ないだろう。
 そんなわけで本作は傑作になりそこねた作品なんだと思う。
 ところで、解説の川野京輔*3は、仕事を減らして大人の推理小説を書き、直木賞を取れ。とエールを送っているが、上のように辻真先作品を考える俺から見ると、これはかなり明後日なエールだ。実際、その後を見れば、辻真先自身、聞く耳を持たなかった。

*1:85年6月8日http://www.city.naruto.tokushima.jp/kanko/see/oohasi.htm参照。

*2:http://www.kahoku-orikomi.co.jp/orikomi_gallery/1985topics/1985topics_frame.htm参照」。

*3:NHKで辻真先と同期だった人。解説がよいしょであることをさっぴく必要はあるけれど、辻真先が本人の言うような社員でなかったことが窺える点で、この解説は貴重な証言。