夏目漱石 余と万年筆

 余と万年筆(青空文庫
 柴田宵曲の「明治風物誌」の万年筆の項目で存在を知って読んでみた。同じ箇所には長谷川天溪の「万年筆」なる書物へも言及があって、これは検索したら近代デジタルライブラリで引っかかったが、あまり魅力を覚えなかったので読まなかった。ちなみに柴田によれば漱石の「「思ひ出す事など」には「万年筆」に「マンネンフデ」というルビが振られているそうで、当時はそのように呼んだのかもしれない。
 それはさておき、漱石ペリカンユーザーだったという記事を昨日立ち読みした万年筆クロニクルで読んだばかりだったので、ソースはこれだったのかと納得した。インクはブルー・ブラックが嫌いでセピア色を使っていたなんて話も、なかなか面白いと思った。まあ大抵の人にはこれ以上ないほどどうでもいいことだろうけど。

追記:2008.05.18上で漱石ペリカンユーザーとか書いてしまったのだけれども、ここに出て来たペリカンは現在ドイツにあるメーカーのことではなくて、イギリスのトーマス・デ・ラ・ルー社の製品だったそうだ。
 という話が万年筆クロニクルの226-227頁に書いてあったので追記。勘違いしていた。
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 さらに追記:丸善のチラシ「丸善・文房具の「豆知識」vol.1「万年筆・歴史」編/2008年5月」によれば、

当時の文献に、『漱石はいつもセピア色のドローイング・インキを使っていたので、万年筆がよく痛んだ、ブリュー・ブラックを薦めたが、ブリュー・ブラックを使えば帳面をつけているような気がする』と出ています。

 ということで、なんとつけペン用インクをガブガブ飲ませていたのかと、ちょっと驚いた。上記の引用はたぶん内田魯庵のものではないかなあと思う。「思い出す人々」に収録されたエッセイがそれっぽいので、そのうち確認しておこうと思う。
 というか、検索ワードを変えたら出て来た。「温情の裕かな夏目さん 内田魯庵