万年筆の印象と図解カタログ

 丸善が明治四十五年に出した販売促進カタログ(なんだろなあ、たぶん)。夏目漱石の「余と万年筆(青空文庫)(感想)」も収録されている。図書館で適当に検索していたら復刻版があったので借り出して読んでみた。

 目次はこんな感じ。

余と万年筆/夏目漱石ウィキペディア項目
二万三千里の万年筆/戸川秋骨ウィキペディア項目
洟紙と箸とペン/高島米峰
万年筆の経験/馬場孤蝶ウィキペディア項目
万年筆と短冊/魯庵生(ウィキペディア項目
"Onoto"/北原白秋ウィキペディア項目
万年筆の過去、現在及び未来/砂邸子
操觚者と万年筆/森の人
万年筆の嫌いな人/小野登
オリオンに感謝す/一商の子(投)
万年筆と丸善丸善文房具部 善太郎
万年筆瑣談/山の手の若き官吏(投)

 実際には旧字旧かな。(投)は投稿という意味。とりあえず分かったことは、当時も万年筆の値段からどうやって目をそらすかということが、売る側の重要なテーマだったということで、戸川秋骨なんかは万年筆を使うことを不要な贅沢と見なしていた節もあって、かなり面白い右往左往を展開している。馬場孤蝶の「万年筆の経験」は当時売れていたオノト、ウォーターマン、ゼニスの長短所をあわせて紹介し、さらに初心者向け万年筆の選び方(軽いのが良い、インクはまともなものを使え)なんかも書かれた親切設計。
 特に印象に残るのが、内田魯庵の「万年筆と短冊」に書かれた、「ペンの手紙はもらうとイヤな心持ちがすると云った人もあった」というくだり。これは今だと「手書きじゃなくちゃ」ということをいう人と同じなんだろう。どうやら今の手書きを毛筆に、ワープロやメールを万年筆や鉛筆に変えれば、当時も今も新しいもの嫌いのいうことは同じらしい。ではこのあとはどうなるんだろうと考えたが、「絵文字の使いすぎは嫌だ」とかそんなのしか浮かばなかった。
 一番史料的価値があるのは、善太郎さんによる「万年筆と丸善」で、当時、どのようなラインナップがあったのかを知ることができる。
 それによると、丸善が最初に売り出したのはカウスの針金式万年筆(スタイログラフィックペンというらしい)で、それから2、3年後から順次ウォーターマンペリカン、スウィフト、スワン、レメックス、インデペンデントなどを輸入するようになり、明治末の取り扱いはオリオン、オノト、ゼニス、カウス、ウォーターマンペリカンの6種類。よく来る問い合わせは「インクの覆れない万年筆はないか?」「インクのボタリと落ちない万年筆はないか?」「字の太く書ける万年筆はないか?」「太くも細くも自由に字の書ける万年筆はないか?」「毎日使っても4、5年持つものはないか」というものだったそうだ。これに対する善太郎さんの回答。

丸善で揃えております品は三十年来経験に経験を重ね、択りに択った結果で、真実、万年筆という名に背かぬ万年筆でござります
(原文旧字旧かな 以下同じ)

 どれと云わないところが商売人ですな。
 で、そのあとオノトから始まって、ひとつひとつ特徴の紹介をしてくれるのがまた見ているだけで楽しい。特にウォーターマンの第十八号というのは、当時とても有名だったそうで、それはなぜかというと、日露戦争当時、このタイプの万年筆がポーツマス条約の調印に使われたからなんだという話は、とても興味深かった。そういう売り方を今しているのはシェーファーのような気がするが、ウォーターマンにもそういうエピソードがあったんだなあ、としばし歴史に思いを馳せてみたりした。ちなみにその日露戦争において、万年筆の実用性は広く喧伝されたのだそうだ。これも9.11がブログ普及に果たした役割なんかと重なるような気がする。
 この日清戦争をきっかけに普及という話は「万年筆の過去現在、及び未来」(砂邸子)に書いてあったことで、こいつは何者なんだろうと思ったら、なんのことはない、内田魯庵の変名だったらしく、明治の文学11 内田魯庵amazon)に収録されていた。この万年筆の「過去、現在及び未来」では軸に蒔絵を施したものが「変なもの」とコメントされていて、販売促進係の魯庵氏も、さすがに一世紀後のことまで考えきれなかったかと思った。
 んでもって、「万年筆の嫌いな人」(小野登)も魯庵の変名だと「万年筆クロニクル(amazon)」に書いてあった*1。これで「おのと」と読むそうだ。
 もしかしたらとっくに白黒ついている話なのかも知れないけれど、投稿ということになっているオリオンに感謝す(一商の子)と万年筆瑣談(山の手の若き官吏)も内田魯庵の筆かも知れない。前者の最終段落はこんな感じなのだ。

 私は「オリオン」を得てから仕事がドシドシ運ぶようになった。マメに日記をつけるようになった。キチキチと速やかに手紙や葉書を書くようになった。主人の受けも宜しくなったし、一身の生活も秩序正しくするようになったし、朋友に対しても音信を絶たぬようになったし、万事がキチョウメンになった。私は之も「オリオン」のお陰として感謝している。

 どこかで見たことのあるような締め方だと考えてみたら、ラッキー・チャームグッズの宣伝そっくりだった。あの○○を身につけていたらモテて成績も上がって、人生ウハウハですっていうあれの体験談によく似ている。もう一つの方も似たようなもん。すっげー怪しげに見えるんだけど。
 しかし前掲の「万年筆クロニクル」によれば、この結果万年筆の売れ行きはあがったらしい。で、実際他の著作にもオノトの思い出がふと顔を出したりしている。このあいだからパラパラ捲っている桑井いねの怪作エッセイ「おばあさんの知恵袋(amazon)」にもオノトのエピソードが出ていた。もし俺の思ったとおり投稿が内田魯庵の作であるとするなら、内田魯庵は万年筆普及を第一の業績にしてもいいんではなかろうか(「罪と罰」の紹介者だってのは知っているけど)。
 まとまらないままにつらつら書いたけれど、本文百頁そこそこでこんだけあれこれ考えさせてくれたんだから、なかなか良い本だったと思われる。目下復刻版も絶版でマーケットプレイスで一万二千円からの取引になっているらしい。それはいくらなんでも高いと思う。しかし図書館で見かけたら目を通すことを薦めたい。新しいものを売り込む方法や、それまでにあるものを追い落とすやり方、新しいものへの拒絶の仕方、そういうものが明治時代も現在もほとんど変わっていないということを知るのは無意味ではないと思うのだ。カタログ本として楽しみつつよんだのだけれど、読み終えて一番強く残った気分は「日本人のいうことはあんまり変わっていない」ということだった。変わったのは薦めるものだけかもしれない。

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*1:pp.232-233。ふしぎなのは本書の奥付と「クロニクル」の記事に書かれた発行年が一致しないこと。「クロニクル」では執筆者名も「おの登」になっている。なんでだろ。