サーディズム

「近代日本人の宗教意識(amazon)」(山折哲雄 岩波現代文庫)をパラパラと捲っていたら、「サーディズムSurdism」という言葉にぶつかった。ググッて見たけれど、日本語では有益な情報はヒットせず。本によれば、1995年頃のアメリカに存在した「新しいタイプの宗教集団」とのこと。

surdという言葉は「無声音」の意味をもち、同氏(著者に手紙を送ってきたユタ州の囚人 引用者注)によると「聾唖者deafmuteのように」沈黙を守ることであり、非合理的な根拠をもつものだという。そのサードsurdという考え方にもとづいてつくられた宗教運動のようなものが、どうもかれのいうサーディズムであるらしい。
(中略)
キリスト教の世界では「内在」はしばしば異教的(ベイガン)なもの、すなわち無宗教的なものと考える傾向がある。超越する神が、内在という名の湿原地帯においては見喪われてしまうからだ。けれども同氏にとては、その異教的な内在こそが真実であり、それにたいして超越の志向性は迷妄であり欺瞞であるという。聾唖者のように沈黙する内在主義者は、単純な汎神論者ではなく、ましてや札つきの無神論者などでもない。なぜなら内在の世界において、すべての存在は尊厳性を保って輝いているからだ。

 その後、この集団は泡のように消え去ったのだろうか、それともまだ活動しているのだろうか。なんとなく引っかかったので一応メモ。