奥泉光 モーダルな事象

大阪のしがない短大助教授・桑潟のもとに、ある童話作家の遺稿が持ち込まれた。出版されるや瞬く間にベストセラーとなるが、関わった編集者たちは次々殺される。遺稿の謎を追う北川アキは「アトランチィスのコイン」と呼ばれる超物質の存在に行き着く……。ミステリをこよなく愛する芥川賞作家渾身の大作。解説・高橋源一郎

 やばい、これは面白かった。すげー面白かった。
 初めて読んだ奥泉光の本は「虚構まみれ」というエッセイ集で、これが抜群に面白く(ただし内容はもはや忘却してしまった)、勢い込んで「葦と百合」を読み、文章がレンガ建てのガッシリした建築を思わせるなんてことを考えたのだけど、その次の「バナールな現象」があんまり、「ノバーリスの引用」は読んだかどうかも、今となっては思い出せず、ユリイカ笠井潔と対談してるのなんか見て、「やっぱこの人面白いこと言ってるわあ」と感じたりはしたけれど、しばらく作品は読んでいなかった。
 で、久々の奥泉。裏の紹介文を見たときにも、期待値はさほどじゃなくて、挫折覚悟で読み出してみたら、一頁目から、しつこいくらい笑わせに来ていて、「あれ、こんな風に書く人だったっけ?」と、良い意味で脱力しつつ、読み進めてみると、どうやらこれはありとあらゆる種類の文章をぶち込むという意図の元に、雑誌の対談やら投稿やら童話やら解説記事やら事典やら新聞記事やらの文体模写をしているらしいということに気付く。
 辻真先がやる遊びだったり、「ひぐらし」のTipsだったりを思い出すような感じだけど、きっちりやりきっているという点では、本作の方が徹底しているんじゃないかと思う。
 で、ただ器用に多彩な文体を見せびらかしているだけなわけでもなくて、桑潟の情けない日常を描きつつ、事件の影はしっかりと作品世界に忍び込んでくる。で、北川アキの登場とともに、ミステリ色が強くなって、多彩な文体さようなら、やっぱり死体の出てくる話は笑わせ通して進むわけにはいかないんだね、ちょっと残念と、勝手に思っていたら凄いカウンターを食らう。アキには離婚した元夫がいるのだけど、そいつの名前が諸橋倫敦(もろはしろんどん)。キャラクターの名前だけで笑いそうになったのは初めてだったか、久しぶりだったか、正確には覚えていないが、まあ珍しいことだ。妙な名前という意味ではそこまで凄くはないのだが、他のキャラクターが桑潟幸一だったり、猿渡幹男だったり、新城貴文だったり、溝口俊平だったり、蓑串暁義だったりする中での、諸橋倫敦である。こいつのおかげで、捜査のシーンなんかもそこはかとなくおもろい空気が漂って、最初の雰囲気が台無しにならず最後まで読み通すことができた。(ちなみにアキと倫敦のコンビは作中元夫婦探偵(もとめおとたんてい)と呼ばれて、一緒に行動し、謎を解きにかかる)
 ってそんなところにばかり感心したわけじゃなく、一般人桑潟が悪人を告発する場面の

あんたたちはあれだろう、あぶない人たちなんだろう?

という台詞だとか、時折挟まれる夢の描写の迫力とか、オカルトを題材にしているからか、そもそも長篇小説とはそういうものなのか分からないけれど、極端に無駄のない何もかもが繋がっていく構成だとかにも感心し、大喜びし、ワクワクしたのだった。何より物語論とミステリが無理なく融合しているところが素晴らしい。ラストの方では感動さえ覚えた。広く読まれて欲しいと思える本だった。
 
 
モーダルな事象―桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活 (文春文庫 お 23-2)
奥泉 光

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