ダンテ 平川祐弘訳 神曲 地獄篇

神曲 地獄篇 (河出文庫)
ダンテ・アリギエーリ 平川祐弘

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河出書房新社 2008-11-06
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ダンテの「神曲」という本を知っているだろう
十三世紀のイタリアの詩人ダンテが書いたもので
地獄 煉獄 天国をダンテが見てまわるようすをえがいたものだよ
それに地獄の最下層に悪魔が氷づけにされているすがたがえがかれている
おそろしい寒さの中で三つの首を持ちコウモリの羽をもつ巨大な魔王ルキフェルが
胸まで氷の中につかり身動きできずに苦しんでいる

 はじめて本作を俺に紹介したのは「デビルマン」の飛鳥了だった。以来幾星霜、ようやく言及のあったルキフェル(本書では悪魔大王)の姿を拝むことができた。紹介を受けてからいったい何年経っていたんだろう。
 で、ストーリーは1300年の春、聖木曜日の夜半に暗い森を彷徨っていたダンテがローマの詩人ウェルギリウスの案内で地獄の底まで観光するという展開。注などを見るとこの旅は魂の救済へ向かっているらしい、のではあるが、見聞を広めることにはなるかもしれないが、なんで観光旅行で救済が訪れるのか、全体の三分の一を読み終えた段階では謎のまま。地獄の一大パノラマは確かに展開されるものの、凄まじいという感じより、スプラッターハウスアミューズメントパークのような印象を受けた。なにせ保護者のウェルギリウスもいるし、安全なんだもん。
 このウェルギリウスがメンターの役割を振られているんだけども、ダンテの思ってることを言い当てたり、いつも冷静な物腰だったりで、どことなくふたりを名探偵とワトソン役の間柄っぽく見せる。いや推理しないんだけどさ。ただ世界の解釈を教えてやる役柄とそれに付いていく役柄の組み合わせってのは、何も推理小説だけに採用されているんじゃないんだなあとか思った。というか、むしろ探偵とワトソンというのも、教祖と信者のバリエーションなんだろう。そういえば、地の文に「読者よ!」とか「その様子を筆に載せることはとてもできない(大意)」的な煽りも多々挿入されてるし、乱歩が好きな人はこのバージョンのダンテを楽しめるかもしれない。全体に乱歩のパノラマ島(れいによってあんまり憶えてないけど)とかの想像力に近い雰囲気があるかもしれない。

 でもってそこで地獄まで来てダンテが何をするかって言うと、見るももちろんなんだけど、それ以上に聴く。亡者たちのあれこれを聴いて回るのである。しかし凡人の嘆きは一切無視で、ダンテの地獄は階層構造になっていて、それぞれ現世で犯した罪によって墜ちる先が決まっているんだけど、新しいところにいくたび、ダンテはウェルギリウスに「ここにいる有名人を教えて!」とねだるのがパターンになっている。で、有名人に会うとそいつが「現世に戻ったら俺のことを話してくれ」とかあるいはダンテが「現世に戻ったら話してやるから」とか言って、会話が始まる。つまりこれは地獄の亡者インタビュー集になっている。それなんてレバレッジ人脈術? という気がしなくもないし、全体にそこはかとなくワイドショーの臭いがする。
 もうちょっとなんかしてくれないもんだろうかと思っていたら、ダンテが氷づけにされて動けず、首から上だけ氷の上に出ている亡者の髪を引き抜いていじめる場面が出て来た。いや求めているのは、そんなせこいアクションじゃなくてさ……。
 とまあ、憶えているところを書き出して考えてみると、これは本当に凄いのか(いや面白いは面白いんだけどね)、前ミレニアムベスト1(タイムズ調べ)に値するのか、という疑問はじわじわわいてくるのだが、一カ所だけ、ダンテがというより訳者がよく訳したなと思えるところがある。そこを読んでしまったらとてもワイドショーなんてことは言っていられない。そんな安全な書物じゃないのがわかるのは、第28歌だ。
 そこで描かれるのは「生前中傷分裂をこととした人々が、応報の刑により、一刀両断され、惨憺たる有様を呈している」のだけど、そこにさあ、めった斬りにされたマホメットが出てくるんだよね。これには驚かされた。調べてみたらイスラム圏で神曲は禁書なんだそうな。そりゃそうだ。
悪魔の詩」事件以来、マホメットはタブーになったもんだと思っていたのだが、こんなヤバそうな部分のある本を出そうという歴代の「神曲」訳者たちは本当に凄いやと、ちょっと感心した。怖くなかったのかな。訳者の巻末エッセイを見ると、よい意味で相当キテいる感じなので、ダンテのためなら命くらい惜しくないとか考えていそうな気もするが。

 正直地獄篇はイメージしていたものと全然違った。でも考えてみれば「神曲」というタイトルも森鴎外が作ったもので、もともとは「喜劇」ってタイトルらしいし、ちょっと引用される文脈と作品を切り離して読んだ方が面白いのかもしれない。往々にして名作とはそんなもんだろうけど。
 ただし鴎外のつけた「神曲」というタイトルが原題の「喜劇」よりもハマってるところもあって、それは挿絵だ。本書にはギュスターヴ・ドレの挿絵が収められている。これは笑うところなんてどこにもないような重さのある絵ばかりで、知ってる人には言うまでもないことだけど、とにかく格好良い。とんでもなく格好良い。もっと大きい判ででじっくり見てみたいくらい。この挿絵に関しては本書はどうしても「神曲」でなければならない気がする。

 で、続きをどうしようかと思っていたのだけど、解説によると、訳文的に素晴らしいのは次の煉獄篇で、ウィキペディアの記事から調べてみたところ、その煉獄篇には「インド人もビックリ!」の語源になったフレーズも登場するみたいだから、次も読んでみようと思う。
 amazonで見る限り、小さいながらもドレの絵をこれだけまとめて、この値段で眺められるのは、それだけでお買い得っぽいし。
神曲 地獄篇 (河出文庫) (河出文庫 タ 2-1)
平川 祐弘

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河出書房新社 2008-11-04
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追記:知り合いからメールが来て、「神曲」をベースにしたアクションゲーム「魂の門」というのがあったという話を聞いた。販売元は光栄だったとか。どう考えてもアクションなキャラクターじゃないだろと思いつつググってみると、結構な数のページがヒット。しかも評判が割と良い(ただみんな「自分は楽しかった」と書いているのが気になるけど)。どんなゲームなのかやってみたい気もちょっとする。

追記2:マシュー・パールの「ダンテ・クラブ」を読んだ。アメリカで神曲が翻訳されようとしていた時期(幕末くらい)に起きた連続殺人事件、死体には地獄篇の見立てがなされている。しかしアメリカで神曲の細部を知るものなどほとんどいない。これはいったい……という話だった。中心になったのはウィリアム・ワーズワス・ロングフェローという人で、当時の人気詩人だったらしい。ワーズワス詩集とか見覚えあるけど、この人の作品だろうか? と思いつつ読んでいたが、全然違った。ワーズワスはイギリス18世紀の人なのね。
 んでもって、出てくる奴がみな、ロングフェローを神のように崇めているのが、どうしても腑に落ちなかったんだけど、ウィキペディアを見て、腑に落ちた。格好良すぎる
 ところで、聞いた人のだれもが「ポー・シャドウ」より「ダンテ・クラブ」の方が面白いと言っていたんだけど、俺は「ポー・シャドウ」の方が好きかもしれない。「ダンテ・クラブ」は役割分担がされきっていなくて、読みにくい気がする。第一篇の終わりの場面、クラブの面々が「この犯罪と戦おう」と決意を確認する場面はとても良かったけど。あそこが一番の読み所だったかもしれない。