Richard Dawkins The God Delusion

The God Delusion
Richard Dawkins

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Black Swan 2007-05-21
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 利己的な遺伝子amazon)で有名な著者による神の無根拠さと神の不必要さを説いた本。とてつもなく時間がかかってしまったので、全体像はよく憶えていないのだが、その場その場のエピソードは面白かった。
 前書きにどうしてこんな本を書くのかという理由が書かれていて、それによればドーキンスの奥さんは宗教教育に苦しめられた人で、しかもそれを親にすら言えると思えなかったのだそうだ。で、他にもそう言う人がいっぱいいるだろうことをドーキンスは確信していて、そういう人に宗教を捨てることは与えられたオプションのひとつであるし、神なしでも幸福でいられるし、バランスの取れた、道徳的で知的にも滿たされた人でいられるのだと気づかせたかったのだそうだ。
 無宗教が建前の日本にいるとよく分からないのだけど、こういうメッセージを必要とする人が、宗教が強いところでは想像以上に多いのかもしれない。本書には多少強引に感じられるところもあるのだけど、それはドーキンスの前提が無宗教=マイノリティーであるからだろう。これは同じような主張を日本で行うのとはやはり違うのだと思う。
 宗教が他のものの副産物であるという主張や、「宗教なしには道徳もない」という主張への反論なども面白いと思ったが、一番ウケたというか、世界中何も変わらないんだなと思ったのは、狂信的なクリスチャンから寄せられた次のようなメッセージを読んだときだった。

If you don't like this country and what it was founded on & for, get the fuck out of it and go straight to hell...PS Fuck you
もしこの国と、この国を築く基礎であり、この国が築かれた理由でもあるもの(キリスト教ね:俺注)が気にいらねえなら、さっさと出て失せろ。地獄にでも逝きやがれ……PSファックユー*1

 英語で書かれている文なのに、もの凄い既視感。このくだりを読むとこれは神さえ除去すれば消えるのか、という気がしてくる。自分と考えの違う、かつ現実的な利害関係がない相手に対する一方的な敵意を発するのに、神など必要のないことは、我々はよく知っている。宗教という形をとる必要さえないことも。
 神は、なんらかの意味で強い立場に属する人間が、その「強さ*2」の正当性に疑問を呈するような反応にあったときの条件反射の根拠として働く機能のひとつなんじゃないかという気がする。自分の方が強い立場にいる場合、弱い方の立場を想像するなんてことをするのは骨が折れる。だから強さにもたれた発言や行動を平然としてしまう。神はそうした横暴を正当化するオプションのひとつにすぎないし、そういう「強さ」を生成するような仕組みをすべて宗教と呼ぶなら、ひとは宗教なしには生きていけないだろう。
 そういう意味で、この本は宗教との決別*3というよりは、宗教と呼ばれる発想とかけ離れた教義を持つ別の宗教への改宗を勧める本という感じがある。それで救われる人もいると思うし、選択肢があることを知らせることも重要だと思うのだけど、その向こうにはさらなる問題が見えているなあという気がしてならない。
 んでもってつい先日マザー・テレサの記事を紹介した自分としては、神の必要な局面だってあると思うんだよね。よく一神教多神教の違いとかに還元されてしまうのだけど、たぶん一神教批判をする人が本当に叩きたいのは、一神教ではなくて、人間の排他性なんだ。だとしたらそれは様々な局面で神をスケープゴートにして生き延びてきているし、ドーキンスもそれに引っかかっていると言えなくもない。神がいるから排他的になるわけじゃなくて、排他的になるのを反省しなくて良いツールのひとつが神(とたぶん悪魔)なんだ。差別語の言い換えが結局新たな差別語になるように、神を狩ったところで、新しい何かが作られることになるだろう。たとえばそれは科学かもしれない。と思わせるくだりが本書にもある。ドーキンスアメリカの医学生からこんな手紙を受け取る。

ぼくはクリスチャンの家に育ちました。教義がずっとしっくりこなかったんだけど、最近になってやっと、他の人にそれを言ってみる気になりました。他の人ってのはぼくのカノジョで、打ち明けたら…怯えました。無神論者であるという宣言がショックを与えることがあり得るのは分かっているけれど、今ではカノジョがぼくのことをまるで違った人間に見ている気がします。カノジョはぼくを信じることができないと言います。ぼくの倫理観が神に由来していないからです。このことをぼくたちが乗り越えられるかどうかはわかりませんし、ぼくは自分と親しい人とぼくの信念を分かち合いたいとも、それほどには思っていません。同じように引かれてしまうのが怖いんです(中略)ぼくがあなたにメールしたのは、あなたなら、ぼくのフラストレーションに共感し、それを分かち合ってくれるだろうと思ったからです。あなたが愛し、そしてあなたを愛した人を、宗教が理由で失うことを想像してみてください。ぼくがいまや神を持たない野蛮人であるというカノジョの見解を除けば、ぼくらはお互いになんの不満もありません。そのことでぼくはあなたの意見を思い出します。人々は進行の名のもとに、狂ったことをするっていうあれです。読んでくれてありがとう。

 これにドーキンスはすぐに返事を書いた。「きみのガールフレンドが君に関して何かを見いだした一方で、きみも彼女に関して何かを見いだしただろう。彼女は本当にきみに相応しいのか? ぼくは疑わしいと思うよ」
 神を信じないからって見方を変えるような女なら、俺の読者の恋人に相応しくないというこのくだりを平然と書くドーキンスはすでにスケープゴートとしての神から目くらましを食らわされていないだろうか。俺が思うに、手紙を出した医学生は、こんな返事をもらいたかったわけではないと思う。ただちょっと愚痴を言ってすっきりし、ふたりの関係の落としどころを改めて捜そうと思っただけなんだ。ここでドーキンスが書いたことは、キリスト教を信じない人間は野蛮人であるというフレーズとどれだけ違うのだろうか。
 ドーキンスが本書を書いたことも、そこで展開される主張にも、自分は概ね賛成する。しかしその主張の目標が達成されたとしても、その結果は思ったほど世界を変えたりはしないだろう。まあ神の余命は俺のそれより長いだろうから、結果なんてことを考える必要もないんだけど。
関連書籍:
神は妄想である―宗教との決別
リチャード・ドーキンス 垂水 雄二

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早川書房 2007-05
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*1:訳は適当な俺訳なので正確さは保証しない。

*2:これは自分の方がマジョリティという意識だったり、自分の方が優れているという意識だったりする

*3:邦訳のサブタイトル