げんのうと玉藻前

 小松和彦「日本妖怪異聞録(Amazon)」を読んでいたら、面白い記述にぶつかったのでメモ。
「第二章  妖狐 玉藻前」より。
 玉藻前というのは、鳥羽院の時代に朝廷転覆を図った妖弧で、生まれは天竺。出典は仁王経という書物らしいが未確認。
 ぬーべーでは男だった気がするが、女性に化けるらしい。というか、狐というのは「陰陽道でいう陰獣」なので、「必ず女に化けていたようである。」って記述に軽く驚いた。もしかして狸は男にしか化けないとか、そんなこともあるんだろうか。
 それはさておき、この玉藻前鳥羽院の御所に入り込み、寵愛を一身に受けることになった。ちょうど保元の乱を翌年に控えた年だという。
 やがて院が病にかかる。医者では治せず陰陽頭(おんみょうのかみ)安倍泰成が呼ばれる。泰成は玉藻前のしわざであることを見抜き、追い払うことに成功する。そして逃げ出した玉藻前を退治せよという院宣を受けた三浦介が射殺した。玉藻前の遺骸は京に運ばれ、院が叡覧したのち、うつぼ舟に流して捨てた、あるいは宇治の平等院の宝蔵に納めた。
 以下はその後日譚である。

玉藻前が退治されてから歳月が流れたある日、曹洞宗の高僧として有名な源翁和尚(げんのうおしょう)が那須野の原を通りかかった。道のほとりに苔むした大石がある。この石にはきっとなにかいわれがあるだろうと、そこを通りかかった里人に尋ねた。その里人は美しい女で「この石は殺生石といって、触れると人間や鳥類、畜類まで命を落とすとても恐ろしい石です。早く立ち去りなさい」という。お正月が「どうしてこの石は殺生をするのか」と女に問うと、「昔、鳥羽院の御時の玉藻前の執念(怨霊)が石に化したものだ」と、玉藻前の物語をする。この里人の女が実は、玉藻前の亡霊であった。
ことの子細を聞いた源翁が、石に向かって衣鉢を授け、花を手向けて、焼香や説法をしてやると、石は粉々に砕け散り、玉藻前の霊も成仏したという。「カナヅチ」のことを「げんのう」というのは、ここからきているのである。
PP.66-67

 なんとまあ。中学校の技術の授業で「げんのう」という単語は習ったけれども、妖怪話とリンクするなんて、考えたこともなかったよ。
 とはいえ物の名前の由来を示す話としては微妙な感じもする。どこにもカナヅチが出てきてないし。同書には『那須記』という本に書かれた玉藻前のエピソードも載っていて、そっちでは源翁和尚は杖を使っているが、言うまでもなく杖はカナヅチではない。
 なんでカナヅチとこのエピソードが結びついたのだろうか。不思議だ。

追記:
 不思議だったのでぐぐってみたら、こんなページが出てきた。
17.玄翁 和尚
 このバージョンだと、槌を使っている。しかしこっちの和尚さんは随分印象が違うな。殺生石を壊したあと、寺追い出されているし……。ちょっと面白いな。