中村紘子『ピアニストという蛮族がいる』

ピアニストという蛮族がいる (文春文庫)
中村 紘子

4167568012
文藝春秋 1995-03
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by G-Toolsisbn:4167568012
 ピアニストの中村紘子がピアニストについて語ったエッセイ。このあいだ読んだ本にホロヴィッツの「世界のピアニストには三種類しかいない。ユダヤ人とホモと下手くそだ」という言葉が紹介されていて、なんたる差別主義者と思ったのだが、本書によるとホロヴィッツはホモのユダヤ人だったらしい。なんだ上手いのは俺だけだって言いたかったのか。
 それはともかく、本書が大きく取り上げているのは3人の女流ピアニストである。一人目が国内で初めてソナタ形式の楽曲を作った幸田延露伴の妹で滝廉太郎の先生)、二人目が純国産ピアニスト第一号の久野久、最後がオーストラリアに生まれた美貌の天才アイリーン・ジョイス。特に後ろ二人は多くのページが割かれている。どちらもド田舎からヨーロッパに渡り、そこで基礎からやり直し! という挫折を味わった。久野はそのショックから立ち直れず自殺し、ジョイスはそこからのし上がったというその後の違いはあるが、作者の眼差しはどちらに対しても、思い入れたっぷりで、これはなんなんだろうと思ったら、ご本人にも同じ経験があったらしい。
 なもんだから、本書でもう一つの印象的な部分、「ハイ・フィンガー奏法批判」が書かれたのも必然なんだろう。ただこれは読んでもよく分からなかった。同じ著者の「チャイコフスキー・コンクール」という本にもっと詳しいことが書いてあるらしいので気が向いたら読んでみよう。
 ところで、本書の魅力はハッタリめいたエピソードの数々にある。ここに載っかっていることは全部が事実とは限らず、神話・伝説の再話を聞いている気にさせる。一例を挙げれば、牛乳の紙パックを発明したのはパッハマンという20世紀初頭を生きたピアニストだと書かれているが、ちょっと調べてもそんな事実は見あたらない。ので、大変生き生きと語られているアイリーン・ジョイスの話も事実ではないかもしれない。
 ただ、それは非難するようなことではないだろう。そういう神話に身を浸した書き方によって、紹介されるピアニストたちが大変魅力的に映るのも確かだからだ。
自分用備忘録メモ:引用されている「日本洋楽外史」所収のエピソードが面白かった。明治末期の女義太夫の話。
 浅草の雷門近くに寄席があり、そこに人気絶大な女義太夫がいた。語りに熱が入るとその銀杏返しに結い上げてある髪が、ばらばらとほどけ、それを振り乱しながらなお語る。それを見た見物人はゾクゾクしてしまう、という話を音楽評論家の野村光一がしている。

 明治末期の厳しい道徳教育の中にあっては、そんな今なら何とも感じないであろうような姿さえも現代の「ポルノ」に匹敵するエロティックな刺戟を若者に与えていたらしい。