砂川幸雄『浮世絵師又兵衛はなぜ消されたか』より

浮世絵師又兵衛はなぜ消されたか
砂川 幸雄

4794206372
草思社 1995-07
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by G-Toolsisbn:4794206372
 読み終わってない*1のだけど、ちょっと面白い記述があったので忘れないように。
 本書は昭和の初めまで、天才的な浮世絵師と呼ばれていた岩佐又兵衛という人物と作品評価の変遷にスポットを当てたもので、その史的記述も一部に甚だしい編集があるものの*2、あれこれの有名人が出てきてなかなか楽しい。野口米次郎*3なんかも登場してたりする。
それはそれとして、今の自分の関心とリンクするのは、雑誌「セルパン」の話である。セルパンは第一書房という出版社が昭和6年に創刊した総合雑誌で廃刊は昭和19年。

この時期は日本が満州事変、日中戦争、太平洋戦争の荒波の中で方向を失った異常な時代だった。こういう時代相にあって『セルパン』は不思議なほど時代の波に翻弄されず、ユニークで質の高い雑誌でありつづけた。

 と作者は書いている。ここでの記述を信じるならば、昭和十五年あたりまで、同誌には、「同盟国だったドイツやイタリアの情勢ばかりでなく、ヨーロッパのその他の国やアメリカでの政情や事件、文化的な動きなどを、わかりやすくダイジェストし、しかもかなりすばやく報道した。」
 時には、「武装せるファッショ・ナチの国をのぞく」「日独防共協定の批判」「ナチスの現実」「世界の全体主義化」といった特集もあったそうだ。パール・バックの大地やサン・テグジュベリの「夜間飛行」なども紹介している。
 これを西暦に直せば、1931から1940なんだけど、その時期は普通、満州事変やら何やらで太平洋戦争に突き進んだ時期なこともあって、言論統制やら何やらが凄かった*4と言われる時代だ。著者も「セルパン」と他の雑誌の印象の違いをこんな風に書いている。

(昭和十五年までには)国民精神総動員実施要網や国家総動員法が公布され、戦意高揚ムードがあふれていた時代に当たっている。「神国日本」「皇軍万歳」「ぜいたくは敵だ」「アジアは一つ」といったスローガンに満ちあふれていたはずである。このころの雑誌をいくつか調べたことがあるが、戦意高揚の調子が予想以上にはげしいのを実感した。

 なぜセルパンだけがそうしたムードから免れていたのか。おそらくはそうしたムードを強制したのが、軍部だったという通説が正確ではないからだろう。戦意高揚を軍は求めたのかもしれないが、それ以外の全てを閉め出したのは、軍に睨まれたくなかったメディアの上層部や、編集長、それに雑誌を購入する読者だったのだ*5。実際「セルパン」も太平洋戦争突入寸前の昭和16年に路線変更を行うのだが、その切っ掛けは軍部の介入などではなく、編集長の交代だった。
 我々はそろそろ軍部だけを悪玉に据える歴史認識から自由になるべきだろう。国を戦争に駆り立てるのは、一部の軍人なんかじゃない。分かりやすい物語と解決を求める、想像力のない国民なのだ。

(以下はアドレスに変更の可能性がある。)
 ついでにこの文を書くために検索をしていて、1925〓1945年に創刊された雑誌のタイトルリストにぶつかった。
 気になったタイトルを挙げておく。

  • 743 J-0033 セックス 1926/10/1 中井 修 中井 修 文杭社
  • 884 H-0004 マルクス エンゲルス全集月報 1928/6/1 堺 利彦   改造社
  • 204 A-0204 戦旗 1929/3/1
  • 1443 E-0018 同伴者 1929/3/5 川崎 長太郎 川崎 長太郎 泰江堂
  • 83 A-0083 マルクス主義の旗の下に 1930/6/10 中村 徳二郎 中村 徳二郎 白揚社
  • 105 G-0032 プロレタリア 1930/12/5 黒島 傅治 黒島 傅治 プロレタリア社
  • 135 I-0007 プロレタリア科学研究 1931/5/10 プロレタリア科学研究所 プロレタリア科学研究所 プロレタリア科学研究所
  • 876 M-0032 マルクス主義藝術学研究 1931/6/5 伊東山 三郎 伊東山 三郎 内外社
  • 181 E-0045 娯楽ニッポン 1932/4/1 高田 豊 高田 豊 ニッポン社
  • 881 I-0019 アナーキズム文学 1932/6/1 ?長 五郎 ?長 五郎 アナーキズム文学社
  • 907 N-0018 唯物論研究 1932/11/1 福田 久道 福田 久道 木星社書院
  • 141 I-0029 モダン 1934/12/1 余島 周 余島 周 モダン銀座社
  • 45 A-0045 性文化研究 1936/1/1 太田 武夫 太田 武夫 性科学研究会
  • 902 N-0013 性科学研究 1936/1/1 太田 武夫 太田 武夫 性科学研究会
  • 72 H-0012 月刊ソヴィエト 1936/9/10 中山 次郎蔵 中山 次郎蔵 ソヴィエト法人文化協会
  • 900 D-0004 バクショー 1938/4/20 柴田 三郎 柴田 三郎 爆笑社
  • 118 D-0016 漫画 1944/7/1 児玉 勲 児玉 勲 漫画社
  • 28 A-0028 自由 1945/1/1 佐野 次郎 佐野 次郎 自由社
  • 32 E-0008 人民戦線  1945/2/15 中西 伊之助 中西 伊之助 人民戦線社

 ここで取り上げた雑誌類の何が気になると言って、これらの創刊がすべて治安維持法下で行われたということである。治安維持法は教科書レベルでの説明だと次のようになる。

治安維持法の制定は)無政府主義共産主義の活動を取り締まる目的だった。そこでは「国体を変革」したり、「私有財産制度を否認」する運動に加わったものを処罰することが定められており、のちにはこれがしだいに拡大解釈されて、さまざまな反政府的言動を弾圧するために用いられた。
「詳説日本史研究」(山川出版社

 この法律と共に暗い世相が訪れたと言うが、翌年創刊された雑誌は「セックス」だし、無政府主義共産主義の活動を取り締まる=大弾圧みたいなイメージがあったのだけれども、実際には大量の共産主義礼賛と思われる雑誌が出版されている*6
 このリストを見て、ちょっと怖くなったんだけど、それは何故かというと、話に聞いたほどの度量の狭さをこのリストから感じられないからだ。いま左翼と呼ばれる人びとが「○○法は現代の治安維持法だ!」みたいなことを言っても、たいていの人は真剣に受け取らない*7。だけど案外、その声は本当なのかもしれない。実際はどうなのか、十五年経たないと分からない。もし彼らの声が当たっているとして、そのとき我々は今の現状をどう思うのだろうか。
 ちなみに扶桑社の教科書をチラ見してみたところ、治安維持法は欄外の注にしか出ていなかった。軍隊悪玉論を批判するスタンスは良いとしても、この法律から目を背けるような真似はするべきじゃない。ついでに、このことを問題だと思えない奴には、中国や韓国の情報統制を笑ったり怒ったりする資格はない。

*1:ついでに返却期日までに読み終われそうにもない。読めたら追記するつもり。

*2:又兵衛を評価しなかった人に対しては人格攻撃も辞さないところとか。

*3:イサム・ノグチのお父さんでアメリカでヨネ・ノグチとして活動した詩人。本書で触れられていないが、この人はポーが大好きで、影響を受けすぎ、盗作疑惑を呼んだりもした。参考:ポーと日本 その受容の歴史 宮永孝著

*4:小林多喜二が獄中死するのは1933年である。

*5:それにあとを押される形で検閲の拡大がなされたのだとして、それは軍だけが悪いと言えないんじゃないかと思う。相手がへりくだっていると、どんどん横暴になっていくのは人間の常である。

*6:これらの雑誌の寿命は不明。調べれば分かるかもしれないが、気力がない。

*7:ただし、これは戦前を大袈裟に酷い時代だったと吹聴した彼ら自身の責任であるようにも思う。