村上春樹 僕はなぜエルサレムに行ったのか

 えーと、すでに素敵な感想文が「琥珀色の戯れ言」さんの記事であがっているので、読んだよ、良いこと言ってましたと言えば済むかとも思いつつ、原文に当たって見たところ、引用したくなるところは大抵リンク先の感想で抜かれているものの、いくつか落ち穂拾いできそうなところがあったので記録しておきたい。

 ガザやウェストバンクに行くことも考えましたが、今回はそれよりも、普通のイスラエルの人が何を考えてどんなふうに生きているのか、むしろそっちの方を知りたかった。エルサレムやテルアビブの町を歩いて、できるだけ多くの人に話しかけてみました。
(中略)
 ある人は僕にこう言いました。「イスラエルの国家予算の四五パーセントは軍事費だ。俺たちの所得の五〇パーセント近くは税金で持っていかれる。建国してから六十年間、俺たちが生きのびるためにはそれだけの金が必要だった。そんなことがなければ俺たちの暮らしがどれほど豊かになっていたか、考えてもみてくれと。

 こうした発言を通じて村上が行おうとしているのは、政治の文脈から人間を取り返そうという試みなのかなと考えた。俺はパレスチナ問題ってのがあることを知っている程度でさっぱり興味がなく、例の子供の死体の写真を紹介したアルファブロガーのエントリを見てから、ちょっとずつ関連書籍を読み出したんだけど、イラン革命期に出た本、ポスト湾岸戦争期、ポストイラン戦争期に出たものをランダムに読んでいて今までに分かったのは、絶望的な袋小路だってことくらいだ。「イスラエルという国自体が、個人と同じレベルでトラウマを背負っているのです。過剰防衛はいけないと頭でわかっていても、少しでも攻撃されれば身体が勝手に強く反撃してしまうのかもしれない。」というのは、それがパレスチナに対して行われていることの言い訳にはならないという前提付きで、頷けるし、外圧をイスラエルがどう解釈するかを考えれば、村上の表現方法は正しかったと俺は思う。それに文句を付けられるのはパレスチナ人だけだろう(実際つける人もいて、「俺たちもパレスチナ文学賞を作ろうぜ」と主張したって話を新聞で読んだ。ウェブでは見つけられなかったけど。
 そして次の部分も印象に残った。最後にどうしても引用しておきたい。

 僕は戦後生まれで直接的な戦争責任はないけれど、記憶を引き継いでいる人間としての責任はあります。歴史とはそういうものです。簡単にちゃらにしてはいけない。それは「自虐史観」なんていういい加減な言葉で処理できないものです。「システム」という言葉にはいろんな要素があります。我々がパレスチナの問題を考えるとき、そこにあるいちばんの問題点は、原理主義原理主義が正面から向き合っていることです。シオニズムイスラム原理主義の対立です。そしてその強烈な二つのモーメントに挟まれて、一般の市民たちが、巻き添えを食って傷つき、死んでいくわけです。

 ところで、この号の特集は「教科書が教えない昭和史 あの戦争は侵略だったのか」である。中は読んでない。

文藝春秋 2009年 04月号 [雑誌]

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 ちなみにこの号には、高島俊夫が漢検批判の文章を寄せていて、それが容赦なさ過ぎて笑えた。