『黄金伝説・雪のイヴ』

黄金伝説・雪のイヴ (講談社文芸文庫)
石川 淳

4061961462
講談社 1991-10
売り上げランキング : 1069429
おすすめ平均 star

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 石川淳の大正期と戦後の作品を集めた短編集。収録作品は「鬼火」「ある午後の風景」「長助の災難」「桑の木の話」「明月珠」「黄金伝説」「無尽灯」「雅歌」「いすかのはし」「雪のイヴ」。
 このうち「黄金伝説」「無尽灯」「雪のイヴ」の三本は「石川淳短編小説選(感想)」にも収録されている。
「桑の木の話」までの四本が大正時代、同人誌「現代文学」に発表されたもので、これといった魅力は感じなかった。しかし戦後の作となればやはり石川淳、どこかとぼけていて楽しい。たとえば戦争中が舞台と思われる「明月珠」では、主人公が自転車に乗れるようになりたいと練習に励むが、背景では空襲があって、消火活動なんかもしつつ、それでも空襲警報解除と同時にまた自転車の練習を始めて見たりするのがいい味を出している。というよりも戦争=悲劇の図式にとらわれたら、この組み合わせを作ることはとてもできないだろうから、逆説的にこの作品には歴史になる前の戦争が息づいているようにも感じられる。空襲が終わったとたんに自転車に乗る練習を始める人間のたくましさを読むのも良いかもしれない。いや単純に組み合わせが愉快だってことで十分だとも思うけど。

 結婚式の場面から始まる「雅歌」では、語り手がこれまで関係した女すべてに「桜子」という名前をつけて、

桜子と別れたのち今日に至るまで、ときどき間歇的に、ふとすれちがった女のひとに惚れて、せっせと通ったり、しばらくいっしょにくらしたり、捨てたり、捨てられたり、大体に於てその束の間は逆上ぎみで仲良く附き合った。はじめの桜子を1とすれば、桜子2、桜子3とつづいて桜子nまで行くことになる。

 とリスト化した後、「桜子1からnまで全部ひっくるめても、とてもくらべようのないほどに美しく畏るべく、およばぬおもいの、身をふるわせて、ぞっこん惚れぬいた遠い相手が別格に秘めてあった。」とか言い出して、誰なんだろうと思ったら人ならず、たった一つの遠い相手とは、プランク定数hだったと書いていて俺にも意味はよくわからないが、まあとにかく桜子n人よりもずっとhは魅力的であるらしい。
 また、同じく結婚式から始まる「いすかのはし」では、参列した語り手が晴れ着を着るのを失念していたことにうだうだ思いを巡らせつつ家に帰れば、服がなくなっている。

つらつらおもうに、まず泥棒でなくてはこうきれいな手ぎわにはゆかないだろう。はたせるかな、泥棒であった。

 語り手はしかし服が消えたことよりも一本のペンを持ち去られたことに落ち込む。そして脱ぐのを忘れていた外套のポケットに手を入れてみると、指に何かが当たる。

取り出して見ると、結婚式の「おみやげ」である。なにげなくその紙包をひろげて見たとき、あっとひめいをあげるばかりであった。そこに、小さい箱の中に、わるく甘ったるそうな栗饅頭がいくつか詰まっている。女こどもがよころんで舐めたがる栗饅頭ごときものを、おりもあろうにこの際目の前に突きつけて来て、これをぼそぼそ食えというか。恥辱である。きょう吉日の打止め、ずいぶんよくできた。かりにも男子のはしくれ、此世に生を受けて以来、いまだかつてこれほどの恥辱をこうむったことは無い。

 と怒り狂うさまは、いい感じに読者を置いていってくれる。そして、ほかの作家であるなら、ひょっとすると欠点になるかもしれないが、この作者に限っては置いていかれることもまた楽しい。また泥棒つながりの連想でひょっこり転がり出た坂口安吾のエピソード(四五人連れの追いはぎに襲われ、ペンを取られそうになったが、すぐに相手が「礼をおもんじて、親切にも元のところに挿しこんでくれて、すっと行ってしまった」)もどこまで本当か分からないが、あってもおかしくなさそうなリアリティがあって良かった。
 しかし大正期の硬さから見て戦後作品の奔放さはどうだろう。文は人なりが本当であるなら、石川淳の年の取り方は非常にすばらしかったのだろうと推察される。
 残念ながら絶版なんだけれども、是非とも復刊してもらいたい一冊……とも言い切れないのは最初の四本があまり魅力のないものだからか。しかし「明月珠」以降のデタラメな楽しさは読む価値ありだと思う。

追記2013/12/10
キンドル版が出ていた。確認時の価格は840円。
黄金伝説 雪のイヴ (講談社文芸文庫)
石川淳

B00GYTHSGK
講談社 1991-10-10
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools