黄民基 唯今戦争始め候。明治十年のスクープ合戦

唯今戦争始め候。明治十年のスクープ合戦 (新書y)
黄 民基

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洋泉社 2006-09
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 明治十年の西南戦争が新聞の存在を変えた。本書は明治初年から西南戦争終結までのあいだを新聞が何をどのように伝えたかを、「東京日々新聞」の福地桜痴ウィキペディア)、「朝野新聞」の成島柳北ウィキペディア)・末広鉄朝(近代日本人の肖像)を中心に描き、新たに台頭してくる世代として「郵便報知」の犬養毅ウィキペディア)をさせつつ追いかけたもので、 なかなか面白い読み物に仕上がっていると思う。
 特に面白かったエピソードは「はじめに」に引かれている新聞供養の話。明治9(1876)年6月28日、首都の新聞が一斉に臨時休刊して、浅草寺に百人ほどの新聞関係者が集まった。ちょうど一年前布告された讒謗律(ウィキペディア)*1と新聞条例に対する無言のデモンストレーションだった。当時、新聞業界の社長、局長クラスはほとんどが入牢、この日も五十人近い記者たちがまだ獄に繋がれていた。この新聞供養を企画した成島柳北からしてわずか十日前に出獄してきたばかりだ。図らずもこの新聞供養から一年経たないうちに西南戦争が起こり、新聞は急速に存在意義を変容させていく。他の場面ではなく、ここから話を始めた作者の構成はなかなか効果的だと思う。ここで最初で最後の並び立ちをするのが、柳北と桜痴という当時の二大スターで、西南戦争に対照的な関わり方をしたふたりであるわけだから。
 もう一つ面白かったのが、「日新真事誌」を創刊したジョン・R・ブラックの話。彼は木戸孝充にとりいって「左院御用」という認可を取り付けつつ、その立場を利用して政府のスキャンダルをすっぱ抜いた。さらには明治7年1月「民選議員設立建白書」を掲載。世論を煽った。
 当然政府がキレたがどうしようもない。なぜなら彼には治外法権が適用されていたからだ。ある意味で新聞条例はブラックを潰すために制定されたと著者は見ている。条例には

持主若くは社主及編集人若くは假の編集人たる者は国内人に限るべし

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 とあり、本人を罪に問えないなら、そいつを閉め出す法律を作ってやるってのが伺える。むしろここを目くらましにして、他のうるさい奴らも一網打尽と考えたのかもしれないが、ちっとも分からないのでここらへんは保留しておく*2。まあどんな意図であれ、結果としてこの法律が国にとって気に入らない意見を黙らせるのに使われたことは憶えておいていいことだろう。
 ちなみに本書では触れられていないが、このジョン・R・ブラックの息子が落語家の快楽亭ブラック(初代)である。

*1:この法律の凄いところは、本当だろうが嘘だろうが天皇、皇族、官吏の悪口は許さないというところだと思う。

*2:原文を捜したが見つけられなかった。