十八拳

横光利一の「時間」に「とおはちけん」の描写があって、ついこのあいだ、この言葉を調べたような気がしたんだけど、何に出ていたんだったかともだえる。

八木が十八拳で決めようといい出した。それじゃ一本歯で来い、いや軟拳にしろといい合っているうちにもう片方の二人から、は、は、よう、たち、はい、に、さんぼん、とやり出したので、傍で見ている女たちも笑い出して高木さんの方が手つきがいいのいや木下さんの方が締っているのといいいい波子を背負う順番だけを漸く決めると、もう先きに立ったものが竹林を出て歩き出した。

 ひとまずもう一度検索すれば何か分かるかもと思ったのだが、検索しても、辞書に当たっても、十八拳の項目はなく、どうなっているんじゃろ? と首をひねったところ、字が違っていたようで、広辞苑などには藤八拳で収録されていた。またウィキペディアによると、東八拳という表記もあるようだ。で、この「は、は、よう、たち、はい、に、さんぼん」ってのは、本当に使われるかけ声なのかなあとちょっと検索してみたら、東八拳の公式サイトが出て来た。どうやら十八拳は東八拳=藤八拳で間違いないらしい。無形伝統文化だったのか。

藤八拳から東八拳になったのは明治後期から大正にかけてというのが有力な説ですが。特筆すべきはお酒の席での座興としての拳も大いに打たれましたが、「拳道」というお酒や遊びと離れたところで武士道精神を盛り込み礼節を重んじるというやり方が、全く別の物のように太平洋戦争のころまで続きました。現在でもおこなわれている東八拳のルーツはどちらかと言うと後者の方で家元制度を持ち、土俵を用いて相撲に準じた独特の儀式もおこなわれ礼節を重んじ勝負そのものを楽しんでいます。

http://homepage1.nifty.com/tohachi/rekishi.htm

 家元制度なのか、なんか凄いね、それ。
 ついでにもうひとつ発見した記事には、写真もあった。こちら。本当に土俵が作られている。こちらの記事によれば、普及したのは「東海道四谷怪談」の中で用いられてからのことなんだとか。そんな場面あったっけか?
 そして結局、ついこの間藤八拳のことが書いてあったのは、なんの本だったかは分からないままなのだった。