クレームへのクレームについて

 こんな記事を読んだ。
炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断

 不況の深刻化とともに、路上生活者のための炊き出しに並ぶ行列が伸びている。そんな中、隅田川にかかる駒形橋(東京都墨田区台東区)では、近隣住民からの苦情を受けて3月末で炊き出しが中止になる。ベテランのボランティア団体が12年続けてきた活動だけに、ほかの団体にも不安が広がっている。
(中略)
第五建設事務所は、河川法に基づき「公共の空間で独占的な使用は認めがたい」と指導してきた。管理課によると、近くに児童公園があり「子どもが声をかけられ怖がる」「狭い道で並んでいると通りにくい」といった苦情は07年度から少なくとも十数件あったという。同事務所の担当課長は「昨今の厳しい経済情勢は理解しているが住民の苦情もないがしろにできない。両立できればいいが難しいところだ」と話す。

 記事についたブコメにこんなのがあった。

sakuragaoka 「不法滞在外国人の親だけ退去」の問題と違う点は、この人らは犯罪者というわけではないことだ。だから、叩かない。/確かに自分の近所で浮浪者が長い列を作ったら嬉しいわけではないので難しい問題。

はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断 - 社会

 そうかな、俺には「住人叩けるからホームレスは叩かない」って風に見えるけど。集まったホームレスに犯罪歴があるかないかは不明であるに過ぎない*1
 とはいえ、引用されているクレームの「通りにくい」はさすがに問題外だけど、「子どもが声をかけられ怖がる」の方は、クレームを言う根拠として否定されるべきではない(妥当性は一回一回検討される必要があっても)。

 ただ記事を読み、おかしいと思ったのは、「苦情は07年度から少なくとも十数件あったという」ところ。数十件ではなく、十数件。せいぜい月一のクレームでしかない。これをないがしろにできないってどんだけ少数意見に対応する素敵な行政だよ。
 こんなの住民の苦情(月一)をダシにして、役所がホクホクホームレス切ったってだけにしか俺には見えない。クレームを理由にすれば、叩かれるのは文句言った住民だもんな。つまり行政はホームレスも支援団体も住民すらも守ろうとしないっつーこった。

 解決できないから無能だとか言いたいんじゃない。解決できないもんねと居直って「一番弱いところが死ねばいいよ♪」って考えを態度に出している東京都第五建設事務所(ウェブサイト←キャッチフレーズは「未来を創ろう みち・水・緑」「当事務所は災害に強く、快適で住みよい街・東京をめざし、道路・橋・河川の整備・管理などの事業を行っています。」)の方針が不快だと言っているだけだ。

「ゴネ得を許さない」とか「みんな我慢してるのにけしからん」とか言ってる人は、それが水戸黄門的フォーマットの価値観(どっかで道徳的に優れたお上が困ってる誰かを見つけて、自発的に助けてくれる)を前提にしていることに気づいた方が良い。偉くて悪い奴をもっと偉い正義の人が懲らしめてくれるなんて話はテレビの中にしかありえない。黙っていたり空気を読んだりするのが美徳なのは、その空間で強い奴が、自分が絶対正しいと思える快適さに浸っていられるからだ。
 たとえ自分が声を上げるのに抵抗があるにしても、他の誰かが声を上げるのを押さえつけるのに加担するのは、結局自分の首を絞めることにしかならない。だって、悪意があろうとなかろうと、声を上げていない奴は行政からはたぶん見えていないんだから。
 声を上げないことを美徳にする人々は、自分が斬られるとき、その美徳のせいで止めを差される。そしてその人が斬られたことに、誰も気づいてくれない。誰が斬られるかはランダムだ。そうやらないと社会が保てないと、俺には思えないんだけど、今の風土を肯定し、声を上げないことを美徳と考える人たちは、誰かを守ろうと声を上げると、関係のない誰かたちから罵られなきゃならないような社会を最上だと思えるのだろうか。

*1:あったら許さないなんて思わないでくれよ、頼むから。