エロを守るより大事なこと

 こんな記事を読んだ。
レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ1 - 日常ごっこ

Equality Nowが日本のレイプエロゲ―を批判し、それが報じられて以来、ネット上ではそれについて様々な意見に基づいた議論がなされてきました。

その中には、もちろん真面目で説得力のある議論もあったのですが、しかし一方で、自分の意見を他人に理解してもらい、他人を説得しようとは一切考えず、ただ自分たちの自尊心の保持だけのために文章、ブックマークコメントや2chへの投稿を書く、いわゆる内向きの人々も多く、そしてソーシャルブックマークの性格*1から、そのような意見ばっかりが脚光を浴び、結果「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉通り、真摯に真面目な意見が注目されなくなるということが、生じてしまいました。
(中略)
今回は、そういう内向きな発言ではない、外の、「エロゲ―を規制したい」と考えている人にもきちんと伝わる真面目な議論だけをとりあげ、そこでどんな議論がなされてきたのか、それについての僕の考えも公表したいと思います。このような記事により、反エロゲ―規制論者ではない「外の人」に、きちんとネット上には、そういう内向きの議論ではない、まじめで説得力を持つ議論もあるということが、伝われば幸いです。

 ここの内向きでない議論リストに俺の書いたエントリが取りあげられていた。内向き外向きってのが何を意味しているのかいまいち明らかではないが、たぶん「自分と同意見の人を読者に想定している」=内向き、「自分と違う意見の人を読者に想定している」=外向きということになるかと思う(反エロゲー規制論者ではない「外の人」って書いてあるし)。
 取りあげていただいたのは光栄な話ではあるのだが、定義が俺の記したものであっているなら、リンクしてもらった文章はこの上なく内向きの話をしている。ってのは、俺自身が基本的には反エロゲー規制論者で、想定読者も反エロゲー規制論者だったからだ(ただし差別的だよねってのは認めようよって立ち位置)。

 正直最初のエントリは違和感の表明をしただけだし、ふたつ目のエントリは自分のゴチャゴチャした考えを整理したかっただけみたいなところがあったから、外向きと言われると不思議な気がする。まあどう読まれるかもどう引用されるかも制御できないし、それを不満に思うつもりもさらさらないんだけれども。

 が、せっかく外向きと言われたのだから、一丁このエントリは外向きを目指して書くことにする。つまり規制論者を想定読者にしてみようと思う。正直、説得できる自信なんてないんだけどね。

まとめ

 あんまり長いので先にまとめておく。忙しい人はここだけ読んでください。
 法規制にはどうしても反対する。規制したところで規制に賛成する人が求める「安心」は得られないと考える。しかも法規制は規制に賛成した人にも悪影響を及ぼす可能性がある。現状ある程度の効果が見込めるのはフィルタリングとゾーニングの再設定だが、それも解決の決定打にはならない可能性がある。しかしながら、男女差別の観点から考えても安心の観点から考えても、成人ゲームを法で規制するのはメリットよりリスクの方が大きい。

 で、先日までは内向きに規制反対の人を読者にして「黙れは言っちゃ駄目だろ」って話を書いていたんだけれども、この記事を見て方向転換することにした。
日本製「性暴力ゲーム」を批判 自民女性局長「規制を検討」

 自民党山谷えり子女性局長(参院議員)は22日、国会内で記者会見し、日本の業者が開発、販売している「性暴力ゲーム」を批判し、実態を調査するとともに規制策を検討していくことを明らかにした。
(中略)
 山谷氏は「党の女性局として、このような現状を調査し、有識者とも意見交換して(規制策の)提言をまとめたい」と述べた。山谷氏は、与党が検討中の児童ポルノ規制法の改正内容にも反映させていく考えを示した。

 こんなん支持されちゃたまらないわけですよ。っつーことで法律なんてよく分からない俺が勢い任せで以下思うことを書き散らかします(つまり法律の話はしません。社会学的なデータもありません。)。半端なく長いので、もはや誰にもお勧めできないレベル。

法規制に反対する理由

 どっから書き出せば良いのかがよく分からないんだけれども、たとえば規制推進派って、ゴリゴリの女権論者には何を言っても届かない感たっぷりなので、もっとライトな層を想定してみる。散々あちこちで引用されているこの増田。
某エロゲ問題へのブクマコメントが怖い

ちょっと前までレーティングありとはいえ日本のAmazonでも買えたんでしょ?それは全然アングラじゃないよ。

興味本位でクリックしてしまった私も悪いのかもしれないけど、でもそんな簡単なところに置いておかないでよ。

見たくないよ。


ちょっと前に痴漢についての話題が増田中心に盛り上がっていた。あのときはここを読んだ多くの男性に、「被害はある程度電車に乗る女性なら10人に8.9人程度経験があるほどメジャー」とか、「電車以外の場所でも被害に合うことは珍しくない」ということがわかってもらえたようで、よかった、と思った。

だけど、フィクションならいいわけじゃないよ。

フィクションは誰も傷つかないわけではない。そういう嗜好の人の発散場所になりうるけど、一方で、「そんな嗜好はたいしたことない、わりとメジャー」っていう土壌を作りだすんだよ。

だからそんなフィクションが存在するならせめてもっともっと潜ってほしいよ。

元増田です

どうしたいんだろう。たぶん、基本的に非合法というのが安心するんだと思います。



でも私も、小説だの映画だのでは一部の人が眉を顰めるような作品も好きだったりして、そこにはレイプ描写も含まれることもあります。

一律規制したら確かに文化の破壊になっちゃう。何が違うんだろうかっていうと、エロゲとかエロビデオとかそういうもの自体が嫌なのかな。「そういう用途のため(だけ)のもの」だから。それで普通のやつなら別にまあいいんですよ(なのでR18基準だとちょっと違う)、凌辱とか性暴力、「レイプして妊娠させて堕胎させる」なんて話をそういう目的のためだけに消費するってのはやっぱ嫌だよ。
(中略)
たぶん私はエロにはやっぱり業の深さのようなものが欲しいのかもしれません。

http://anond.hatelabo.jp/20080318031119

表現の規制というのは非常に大きな危険性を孕む問題だと思っています。

けれどその昔、公衆電話ボックスにあふれていたピンクチラシがある時期を境に一掃されたのはやっぱりほっとしたのです。

2次元/3次元を問わず、そういうアダルト表現は望まなければ目に入らない状況になってくれればいいのにな、と思うのは事実です。

 ここで引用した文章が法規制に賛成するor仕方ないという意見の代表的なものではないかと俺は思う。乱暴にまとめればその手のフィクションはきっと「「そんな嗜好はたいしたことない、わりとメジャー」っていう土壌を作りだす」し、「見たくないから基本的に非合法というのが安心」って感じではなかろうかと思われる。

 で、まず考えたいのは、「基本的に非合法というのが安心」ってところだ。ここで言う安心とは「非合法なので、目につかないから安心」という意味だと思われる。これは本当だろうか?
 成人ゲームについて、差別的かそうじゃないかという点で差別的じゃないとはひっくりかえっても言えないけれども、非合法なら安心かどうかに関しては、俺は非合法にしても安心は得られないと考える。
 という根拠の一つは、規制がない野放し状態よりも、規制がかけられた方がエロに対して安心を持てるのだとすれ前提には、規制なんか全然なかった時期のエロはそうでない時代のエロよりも過激で、顰蹙を買う表現であるはずという発想がある。「現代の性風俗の乱れ」的な刷り込みがこの手の不安の後ろにはあると思われる。


 実際、大昔にわいせつとされた作品は今から見ると「はて?」と思うものが少なくない。だから昔はこんなもので良かったのに今は野放しだからあんなものやこんなものが流通するのだというのは、直感的には実にまっとうな考えにも思える。


 が、これは実は引っ繰り返して考えることも可能だ。つまり、規制が強い社会ではエロ認定される範囲が広がるという可能性である。つまり規制を強めると、エロに化ける表現というのが出てくる可能性がある。であるならば、法律作ってでも安心したいという欲求は法律を作ってもなお安心を与えない。むしろエロを見ないで済む安心は得にくくなっていくだろう。たとえば性へのタブーが想像を超えて厳しかった19世紀イギリスでは、俺からするといくとこまでいっちゃったっというか、なんというか、素足を出すのがエロいなんかじゃ済まず、机の「足」が剥き出しなのはエロいってことになって机や椅子の足にカバーを掛けていた。現状と机の脚が剥き出しでもエロい世界、エロに触れる可能性がどちらが高いかは、誰にでも分かるかと思われる。


 ここでもう一度確認しておくと、あくまでも差別の話じゃなくて、安心の話をしているんですよ。だから女は我慢しろとか、エロは差別かとか、そんな話じゃなくて、エロを見ないで済む安心を法規制で手に入れられるかという話ですからね、誤解のないように(こっちも言いながらマジびびってるんだから、せめてちゃんと伝わって欲しいところ)。

 短くまとめると法規制によってある種のエロを閉め出すと「許せるエロ」が残るのではなく、「許せろエロ」の一部が「許せないエロ」化し、それに加えてたまに法規制されたエロが間違って世間様に顔を覗かせたりしてしまうわけで、安心にはほど遠い状態になるだろう。

 で、安心という観点から考えたときに、さらに追い打ちをかけるのは、成人ゲームを規制したところで、性犯罪は撲滅されないというほぼ百パーセント鉄板の予想だ。ゲームが減った分だけ、こうした事件はフィクションとして消費されやすくなるのではないかと自分は危惧する。つまり今度は「ニュースへのコメント」として、暗然となる言説が飛び交うんじゃないか、しかもそれを規制するのには、表現の自由じゃなくて言論の自由の話が壁として立ちふさがるんじゃないかという予想だ。俺の予想では、ゲーム消費から「ニュースへのコメント」へと流れ込んだ、見せつけられるうんざりする言葉は、現与党が与党である限り規制されない。レイプ集団に対して「元気が良い」とか言っちゃう奴を擁している政党がそんなもん、取り締まるわけがない。


 ところで、こんなもんは机上の空論っつーか、ただの妄想に過ぎず根拠にならないと思われるかもしれない。なるほど、イギリスの話を根拠にして、エロ規制になったらエロと感じられるものが増えるからやっぱり安心できないとか、レイプ集団を褒める政治家がいるからと言って、おぞましいコメントには政府が動かないとか、飛躍があるのは認める。
 しかし一本どうにも擁護のしようがないゲームを見つけたからといって、ジャンル全部を潰すように法律を作れと言ったら、俺の妄言なんかよりよっぽど出鱈目ではないだろうか? そんな出鱈目を通してしまったら、センセーションさえ起こせばなんでも簡単に潰せることになる。


 というと、非現実的に聞こえるかもしれない。みんなそんなに頭が悪いはずがないから、反対するところは反対して、法律を穏当に運用することは可能だという常識に基づいて、そう判断されるかもしれない。
 だがたとえばエロ+おたく+犯罪のシンボルである宮崎勤について、こんな記事があるのを知っているだろうか。
事件報道のリソースに「恣意的な映像」を加えていたマスコミ、それを黙認するマスコミ。

ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います。
実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です。
宮崎勤が逮捕されたという一報で、
五日市町の彼の自宅に急行しました。

なんと、まだ警察官も来ていなくて、
3−4人の他社の記者が彼の両親を取り囲んで話していました。
そのうち、だれかが彼の部屋を見せてほしい、と言ったところ、
彼の父親はどうぞ、どうぞ。
母屋から彼の部屋には幅30センチほどの板が通路代わりに渡されていました。
幅が狭いので一人ずつ渡ることになり、
5,6人の記者でじゃんけん。
で、私が一番になった、というわけです。

部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。
窓がなくて薄暗く、
四方の壁面がすべてビデオテープで埋め尽くされていたのです。
テレビとビデオデッキが3−4台あったと記憶しています。
そんな部屋は見たことありません。
まさに「理解不能」でした。

おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
大慌てで、ビデオのタイトルを写したのですが、
ほとんどは「男どあほう甲子園」とか「ドカベン」といった、
ごく普通のアニメばかりでした。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。

なぜ、そういうイメージが伝わってしまったか、
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
どんな雑誌かももちろん確認しました。
大半は、「GORO」「スコラ」です。
20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。

その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、
一番上に重ねて撮影したのです。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
誤ったイメージが流れてしまったのです。

 元記事は削除されているらしいので、引用してあるブログから孫引きした。リンク先のブログ主は

その当時に恣意的な映像を生み出そうとした「ある民放のカメラクルー」を、彼やその場所にいた報道陣はなぜ止めようとしなかったのか。また、その恣意的な映像を黙認した上で、報道を続けていたのだろうか。
少なからずとも、その恣意的な映像を生み出した「ある民放のカメラクルー」が一体どこなのか、率直にどこなのか・誰なのかを書かないということは、自分たちの「報道という商品」の品質を落とした同業者を庇い、またその「恣意的な映像」の公表をしないことで、自分たちの業界全体の正当性を保っているという風にしか見えない。

 と言っている。俺も同意する。それ以外にも宮崎勤について流布されているイメージの内少なからず虚構が含まれている話については、吉岡忍の「M/世界の、憂鬱な先端 (amazon)を参照してもらいたい。
 で、俺がこの脱線で言いたいのは、みんな常識的な判断が示せるのを認めた上で、その判断の根拠になるところが常に間違いのない情報を流しているとは限らないというところなんだ。たとえば宮崎勤はすくなくともロリコンメインのアニオタではなかったが、あのような事件を起こした。しかし最初のイメージ操作の結果、おたくの犯罪という言葉が幼児に対する性犯罪というイメージを喚起するならば、実際どうかよりも、何と結びつけられてしまうのかで、判断は下されることになる。
 これは甚だしく危険なことだと自分には思われる。今回の件で法規制を持ちだすというのは、決して成人ゲーム作成者の表現の自由とその消費者の趣味を満たす権利をどう扱うかというだけにとどまらない。エロが嫌いだと言う人の住みよい社会への第一歩が踏まれるかどうかでもない。あれはみんなが嫌っているものだと名指せば、なんでも縛り上げることができる社会へ向かうかどうかの問題なのだ。


 怒るのは良いと思う。怒らなければ誰かを怒らせる可能性に思いを馳せることもできないから。ただ法規制を望むことだけは止めることを勧める。たとえばネットで見ないで済むようにしたいなら、まずフィルタリングの方法を考えた方が安心という観点では有効なのであって、法律を持ちだす必要はないように思う。

不安再生産装置としてのゾーニング

 もっともゾーニングやフィルタリングをすることの負の側面もある(ただし正の側面とどちらが大きいかは分からない)だろうと個人的には考えるようになった。というのは何故か。17世紀イギリスの詩人ミルトンが言論・出版の自由について書いていて、検閲を異端審問になぞらえている。それは真理への探求を邪魔するものであるみたいな文脈で。
 で、異端審問という話で連想するのは当然魔女狩り。あ、早とちりしないで欲しい。別に成人ゲームを可哀想な魔女に例えるつもりはない。
 そうではなくて、魔女裁判の時代、「魔女」と呼ばれる人たちが行っていたとされる黒ミサ始めとする魔女の儀式などは、異端審問官たちの妄想によって、生み出されたという話を何かの本(岩波か中公の新書だったと思う)で読んだのを思い出したのだ。
 そこに胡散臭い奴がいる。何をしているのかよく分からない。というときには、不安を煽る情報は確認できなければできないほど増幅される例ではないかと思う。
 で、ゾーニングについてこれを当てはめるなら、ゾーニングがしっかりされていればいるほど、不安を煽る情報が出てきたときに、確認するのが難しいために、それを信じることになる。結果、「見えないゆえに安心できない」という結果になる。慌てて確認するが、ゾーニングがまったく無駄だと言っているわけではない。ゾーニングによって人目に触れにくくなれば、すくなくとも安心が破れにくくはなるはずだが、破れてしまったとき(今回のケースのように、知られていなかった痴漢→レイプ→中絶プロットが発覚するとか)には、それがどの程度アホらしいかを検討しにくくなるため、必要以上に不安を煽られる一面が出てくるかと思う。ここら辺、じゃあどう解決するんだよと言われても答えがないので困ったもんだが、それでも暫定的にはフィルタリングの仕方を考えていくのが有効かと思う。ってのは、法規制したところで、「どこかでこんなゲームを流通させている奴がいるかもしれない」って不安は消えないからだ。

で結局目指すところはどこになるのか

 法規制は絶対止めた方が良いと言えば、「じゃあどうしてくれるのか!」って意見が出てくると思う。そうなったところで、とうとう「差別」の話が取りあげられる。即効性のある答えは当然見いだせないし、頭に浮かぶ解決策はちょっとお気楽すぎて発表を躊躇われるので、これだけが正しい発想であるとは思わないのだけども、成人ゲームが差別を「維持する」というとき、俺がその内容だと考えるメッセージは「成人ゲームは差別的な社会の価値観に乗っかって作られたゲームである」ということだ。その場合、成人ゲームは庭に生えた雑草やケーキの上に乗っかったいちごみたいなものだろう。たとえば雑草を鎌で刈ってもまた生えてくるし、いちごを外してもケーキのカロリーは高いままだ。この問題を「解決」するつもりになるなら、あるいは本当に安心を手に入れたいなら、雑草は根っこから引っこ抜く必要があるし、ケーキをまるごと廃棄する必要がある。この根っこやケーキは社会構造全体を指している。
 前回のエントリに寄せられたブコメにこんなのがあった。

steel_eel 女は稼がなくても結婚・生活できる道があるので、一生働き続ける保証がないため軽んじられるというだけの話。男が稼いで当たり前という差別の裏返しでしかない。専業主夫増えたら、企業では男女平等になるよ。

 俺はこの意見を一部正しいと思う。どこが正しいかと言えば「専業主夫増えたら、企業では男女平等になるよ」ってところ。一方で正しくないと思うのは、なぜ専業主夫が増えないのかという点で、それは結局女性の賃金が男性に比べて低いから、女性ひとりで男性を専業主夫として養うことが現実的に難しいからだ(賃金格差の件についてはこちらも参照してみてね。)。これは男女差別だと思うけれども、決して女性差別だけではない。このブコメの意見を真に受けるなら、不自由なのは男女ともにそうなのだ。稼ぎたい女性だけじゃなくて、働くよりも家事していたい男性にとっても。つまり同一労働同一賃金の実現は、女性にとってだけでなく、稼ぐよりも家事が好きって男性にも生き方の選択肢を増やすことになる。


 差別の話はパイをどちらが奪うかというイメージで考えがちだし、あるいは誰かの権利のために誰かが我慢するという話にとらえられがちだが、実際には権利を獲得した人に限らず、他の人の自由度を増やすこともあり得る。


 もうちょっと脱線させてもらってたとえば「日系人の歴史を知ろう(amazon*1」に書かれたこんな記述。ブラジルから出稼ぎにやってきた日系人の話。

 トランクを抱えて愛知県にジョンは引っ越していきましたが、その二日後にジョンはトランクを持って東京の我が家に戻ってきました。
「俺はあんなひどい班長のいるところでは働きたくない」
 温厚なジョンが珍しく言葉を荒げていました。ジョンが配属されたのはベルトコンベアの流れ作業の現場でした。流れ作業についていけずにラインが滞ると班長が怒鳴りだしたのです。
「ヤルキガナイナラ、ヤメテモイイゾ」
「ヤメテシマエ」
 最後は「ブラジルヘカエレ」でした。

 このエピソードはパッと見、外国人差別の話に見える。それを解消したところで、日本人の我々にはなんら関係がないような気がする。しかしちょっと見方を変えてみよう。最後のブラジルヘカエレ以外は、日本人のあいだでも日常的に使われる。そして外から来た人の常識ではこれはありえない暴言であるなら、これを止めさせることは、日本人労働者全体の利益にもなると俺には思われる。
 つまり一見対立する構図(ここでは女性の稼ぐ権利を認めることが男性の稼ぐ権利を抑圧するように見えたり、外国人の人権を認めると日本人の権利が減少するようなイメージ)は見方を変えるなら、両方にとってプラスになるような、目標を見つけられる場合もあり得るわけだ。むしろそこに対立軸を導入して煽る人々こそ、現状のシステムによって得をする人々なのだと俺は思う。


 話を成人ゲームに戻すなら、規制に反対する人々は成人ゲームが差別的であるところまでは認めるべきだが、成人ゲームを不快に思う人々が、もし「差別であるのを認めるなら潰してしまえ」という話に乗るなら、根っこになっている社会を無傷のまま保存することにも繋がる(ゲーム規制したじゃないですか、もう女性差別なんてありませんよという言論になったり、ゲーム潰しただけじゃまだ飽き足りないのか、てめえらいい加減黙れよという言論になったりすることだろう)ことになるだろう。
 そのときちょっとした世論のコントロールがなされれば、あっという間に女性にとっては発言しにくさ倍増の社会が生まれるのではないだろうか。なぜって「みんながむかつくものは潰せばいいよ」って合意がなされた社会において、むかつかれるものは、それが冤罪であろうと、理不尽であろうと、引っ繰り返す間もなく潰れてしまうからだ。上で引用した宮崎勤の扱いは、宮崎本人はともかく、宮崎と同族だというレッテルを貼られたおたくには事件から二十年近く経っても、まだ消えない刻印となっているわけで。


 実際のところ、エロゲーがあるから他国と比べて日本は性犯罪率が低いというデータを俺はそこまで信じていない。もしかするとそれは、エロゲーがあろうとなかろうと、日本では性犯罪被害の申告が他国に比べて難しいという状況を反映しているだけかもしれない*2。で、もう一度増田の意見を引用する。

そういう嗜好の人の発散場所になりうるけど、一方で、「そんな嗜好はたいしたことない、わりとメジャー」っていう土壌を作りだすんだよ。

 俺は「そんな嗜好はたいしたことない、わりとメジャー」っていう土壌があるのは認めるし、それは改善されるべきだと思う。しかしながら、土壌を作り出すというところには疑問符を付けたいと思う。一学年約五十万人の男性がいて、それに対して成人ゲームの売り上げは一万本いくかいかないかだ。土壌を作り出すにしては圧倒的に浸透率が低い。そのようなささいな影響力しか持たないゲームが土壌を作り出すとは考えにくい(から、抑止効果の話も微妙だと思う)。であるなら、目立つからという理由で、成人ゲームを土壌の原因にするのは、たとえば冤罪事件同様、この土壌を生み出す真犯人への追求を後回しにして、スケープゴート的に用意されたやられ役を非難することになりはしまいか。
 もっとぶっちゃけて言えば、たとえば痴漢被害にあった女性の書いた増田に対するブコメで「お前の気持ちなんか知るか」的な発言をする人のうち、エロゲやってる率はそれほど高くないだろうと思うのだ。しかもエロゲを止めたら価値観が変わりますって人はさらに少数だろう。
 とするなら、気に入らないゲームが出たときに「こんなん出すな!」と叫ぶのは当然にしても、差別解消という点から考えれば、最優先事項にするだけの効果は期待できないし、表現規制がどう転がるか分からない現状では、リスクと想定できる利益を天秤にかけて利益が大きいとは絶対に言えない。
 むしろ日本は差別撤廃の先進国とか言ってる議員男女共同参画基本法について離婚堕胎促進法ではないかなどと宣う議員から議席を取りあげるのが是とされるようにしていく方が効果的だと思われる。土台を崩していく中で、成人ゲームの売れ筋も変わってくるに違いないし、たとえ残ったとしても、それを気にしない程度に女性の立場が尊重されている社会ができているなら、そもそも成人ゲームは問題にならない。こっちを最終目標に、当座はフィルタリングとゾーニングに関する話をしていくのが良いんじゃないかと俺は思う。
 現状男女差別的な文化があるのは認めざるを得ない。声を出さなきゃそれは目に止まらない。嫌だの声を上げる権利は守られるべきだ。が、その権利を守るためには、どうしても法規制の一線だけは踏みとどまらなくてはいけない。声を上げる自由を持ち続けるために。


 こんだけ書いてなんなんだけれども、実際このエントリを書いているあいだも、心苦しくてならない部分があった。文句言われるのは覚悟しているし、俺のセクシャリティヘテロ男性である以上、マイノリティとして生きる困難については想像力が及ばない部分があるだろうと思う。この件関連のエントリについては、他のと同様このエントリも「ふざけるな消せ!」と言われて、それが妥当だと判断した場合には削除するつもりだ。それから、長すぎて真意が伝わっていない場合に備えて、一応念を押しておくけれど、俺は「たかがエロくらいでギャーギャー言うな」という意見には賛同できない。ただ法規制はなお危ないと言っているつもりだ。それは法規制に賛成だと思っている人のほとんどにとっては、憎むべき敵の権利を奪うことに止まらず、自分の権利を奪われる可能性を開いてしまうから。どんなエロであっても、守られるべきとは思わないが、発言・発表の権利は誰であっても守られるべきで、エロを見る機会が減る程度のメリットで、どうとでも使われうる法律を作るリスクを負うのは、みんなの割が合わなくなるかもしれない、自分が危惧するのはその一点だ。
 俺が法規制に反対するのはエロを守りたいからではない。守られなければならないエロより大事なものがあると考えているだけなのだ。そして自分の考える最悪のシナリオでは、法規制の槍に狙われたエロの、すぐ後ろにそいつがいる。

*1:この本はかなり良書だと思った。

*2:当然、算出方法がないはずなので、これは推測に過ぎない。