トマス・H・クック村松潔訳『沼地の記憶』

 人に勧められて読んだ作品。面白かった。
 語り手のジャック・ブランチは高校教師で、旧家の御曹司。舞台は1954年のアメリカ南部、レークランド。ここでジャックは悪について教えていた。語りの時間は現在で、ストーリーは老いて、ニューヨークからの小包を郵便配達人が届けてくれるのが楽しみになっているジャックが昔あったできごとを回想する形で進んでいく。
 1954年のある日、教え子の一人シーラが失踪したという報せが届く。ジャックは自分がシーラを見かけたような気がする。彼女は茶色いヴァンに乗っていた。ヴァンの持ち主はやはり教え子のエディ・ミラー。そのヴァンはエディの父親がかつて、女子高生殺しにも使った車だった。ジャックの通報によりエディは取り調べを受ける羽目になる。それから茶色いヴァンは他にもあったことに気づいて、ジャックはもう一度警察に連絡する。そのおかげでエディは取り調べ室から解放される。ジャックは身元保証人になってほしいというエディの願いを聞き入れて、彼を迎えに行く。
 この事件をきっかけにジャックはエディと接近する。その結果、酷い悲劇が訪れるとは知らずに。

 これはたぶんミステリ扱いなのでネタバレしないようにあらすじを書くとこんな感じになるし、これはたしかにミステリっちゃあミステリなんだけれども、推理小説には必須のキャラクターがぽっこんと外されている。それは探偵役だ。
 何か事件があったのは語りからわかるようになっていて、作品世界の中でもそれは自明のこととして提示される。わかっていないのは読者だけ。だから読者は出てきていない探偵役に変わって、犯人=語り手の繰り出してくるヒント(語り)から何があったのかを推理していくことになるわけなんだけど……これが見事に当たらない(ソースは俺)。

 言っても問題ないところの話だけすると、この作品は回想という側面を結構強めに出している。なもんだから、職員室の場面なんかで、ある先生が発言する場面があると「この人はのちにこれこれで死んだ」みたいな情報もくっついて出てくる。それが妙な効果を醸していて、過去の過去性が立ち上がっていると思った。この辺は死者の記憶がはっきり立ち上がってくるポール・オースターの「幽霊たち」と似ている気がした。やってることは逆で語りの中では生きている人の死を激しく意識させているんだけども。
 どんな人にお勧めなのか考えてみたんだけど、ミステリ好きだけではなくて、癒しのなんのというのがくだらないと思っている人にもお勧めできると思うんだ、これ。理由は、「犯罪者の父親を持つ少年が、教師の手助けを受けて父親のことを調べ始め、ある意味それが原因で悲劇が起こる」という裏表紙に書かれたストーリーラインから何を想像しても、十分に正解とはなりにくい、癒しやらお安い感動なんざどこにもありゃしない話だから。
 帯に「哀切と慟哭」なんて書いてあるんだけども、すくなくとも俺にはどこに哀切やら慟哭やらがあるのかは見当もつかなかった。たぶんこの帯にしにくい話をなんとかまとめようとした苦心の結果ではないかと思う。ので、あらすじと帯を読んで「うわ、安そう」と思った人こそ、読むべきだ。そういう人が満足できる派手さのないスリル、派手さはないけど効果のあるツイスト、慟哭なんてしないが胃の腑のあたりに確かにしっかりしたもん食ったよという重たさ、そういうもんならたぶん保証できる。なんて紹介の仕方をすりゃあいいのやら、本当に頭を抱えてしまうが、こいつはなかなか地に足のついた作品だった。読み終えたら、同じく読み終えた人とネタバレしまくりで語り合いたくなるに違いない。あるいは話相手がいなくてもだえるに違いない(ソースは俺)。

沼地の記憶 (文春文庫)
Thomas H. Cook

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