平山譲『魂の箱』

 読書メーター見ても、文庫本は俺しか読了登録してないので、こっちでも感想をあげてみる。こういう本は読まれるべきだ。すくなくともボクシングファンくらいには。
 本書は、元世界ジュニア・フェザー級チャンピオン畑中清詞、それから引退後彼が立ち上げた畑中ボクシングジム(ウェブサイト)が輩出したふたりのプロボクサー、杉田竜平と中野博を中心に取材して書かれたノンフィクションである。
 ボクシングファン以外でも、三十代男性なら、畑中の名前に聞き覚えがあるはず。というのは、この名前『ろくでなしBLUES』で主人公前田のライバルだったキャラクターの名前でもあったからだ。森田まさのりがキャラの名前に当て込むほど、当時は期待の星だったに違いない。違いないと書くのは、畑中のホープ時代に俺はギリギリ間に合わなくて、最初の世界挑戦失敗後の再起ロードから試合結果などを見るようになったから。
 東海地方初の世界チャンピオンとなった畑中が全国的に名を馳せたのは、やはりペドロ・デシマ戦だったろう。チャンピオンのデシマはハード・パンチャーで、雑誌などもそれほど畑中に期待を寄せているような印象はなかった。当時は彼の下に辰吉・鬼塚・渡久地の平成三羽烏が控えており、同世代の名ボクサー高橋ナオトもこの世界戦の直前に致命的なKO負けを喫していた。世界的に見てもタイソンがひっくり返ったあとで、畑中の試合の直後にはレナードがノリスに引導を渡されている。世代交代の雰囲気が漂っていた。そのためだろうか、関東ではこの試合のテレビ中継はなく、結果がニュースで流れたにとどまった。放映側からすれば、あまり乗り気になれなかったのも無理はなく、妥当な判断と言えないこともない。
 けれども、結果から見れば、これは大失敗であり、かつその失敗のおかげで、畑中は、俺のような薄いボクシングファンの記憶に消えようのないインパクトを残すことになる。
 試合のダイジェストは開始早々尻餅をつくようにダウンする畑中の映像から始まった。そのあと彼はデシマを逆転KOするのだが、奪ったダウンの数、実に6回。それがダイジェストされるのだから、こんな痺れる映像はない。野球の映像だったら近鉄時代の野茂の17奪三振のダイジェストのような、これ以上なく分かりやすいヒーロー誕生の瞬間だった。
 当然テレビは初防衛戦を関東でも放映した。我々はデシマ戦のインパクトを胸にその日を待った。雑誌も唯一の世界チャンピオン(大橋は前年リカルド・ロペスに敗れ、玉熊は畑中がチャンピオンになってから初防衛戦までのあいだに陥落していた)に期待を寄せた。相手はロートルと見られていた34歳のダニエル・サラゴサ*1。チャンピオンの防衛は堅いと思われていた。
 ところが、今度は悪い意味で予想が裏切られてしまう。畑中は防衛に失敗する。出だしは良かったはずだが途中で失速し、冴えない判定負けを喫してしまったのだ。そしてそのまま、二度とリングに上がることはなかった。何があったのかは本書を読んで欲しい。そこに至る軌跡、畑中の闘いとそれを支える人々の闘い、これが前半の物語になっている。
 後半の主眼は、畑中が清掃会社に勤務したあと立ち上げたボクシングジムの選手たちへと移る。タイトルになっている「魂の箱」とは畑中ジムのキャッチ・フレーズ「SOUL BOX」を直訳した物だ。もちろんこのBOXは箱ではなくボクシングのことだろうけど、ジムの建物を箱に見立てて、そこに集う魂=ボクサーたちの物語という意味でもある。空気のように印象が薄い学生だった杉田竜平、ある事件がきっかけで重い十字架を背負うことになった中野博。ふたりはボクシングと出会うことで変わっていく。
残念ながら、ふたりの現役時代には、もうあまりボクシングを追いかけなくなっていたので、名前を知っている程度でしかない俺には、この辺りを記憶と結びつけて書くことができない。けれども彼らの闘いを見ていた人たちであるなら、俺が感じたよりもずっと胸に迫ってくるものがあることだけは保証する。
 ボクシング関連の名著というと俺の頭に浮かぶのは後藤正治の『遠いリング(Amazon)』と『リターン・マッチ(Amazon)』、あと沢木耕太郎の『一瞬の夏(Amazon)』なんだけども、本書はそれらに匹敵する、ボクサーたちの意地を活写した傑作だ。つーか、個人的意見を言わせてもらえれば、こんな良い本が全然知られていないなんて、もったいないんだよ。
 マジで多くの人に読んでもらいたい。

魂の箱 (幻冬舎文庫)
平山 譲

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追記20170113:今確認したら品切れでしたよ。ますます嫌いだ幻冬舎



*1:ちなみにロートル評価はあとから考えれば的外れも良いところで、サラゴサはベルトを失ったり取り返したりしながら97年まで世界の第一線で戦い続けた。最後の勝利はあの辰吉丈一郎を判定で退けた世界タイトルマッチだ。