ニューヨーク・タイムズ的報道のバランスの取り方イン50's

 三輪祐範『ニューヨーク・タイムズ物語』を読んだ。物語というのは、どうも時事ネタばっかりだなあと思っていたら、最終の四章になって、ようやくニューヨーク・タイムズの歴史を語る風になってそこがやたらに楽しかった。章題は「ニューヨーク・タイムズユダヤ性」。知らなかったのだけども、ニューヨーク・タイムズは19世紀の終わりから社主がユダヤ系だったので、「ユダヤ新聞」というレッテルがついてまわっていたらしい。この本によると、南北戦争あたりからアメリカでも反ユダヤの風潮があって、時代がくだるに連れて、結構激しくなっていったらしく、20年代にはハーヴァードとかコロンビアでユダヤ人の入学制限措置がとられたりしたんだとか。ひどい話だ。
 そんな時代だったので、「ユダヤ新聞」のレッテルはきっついものがあるのだけども、さりとて正面切って否定してみようにも実際社主はユダヤ系(ただし同化を是とする改革ユダヤ人だったので、ますます複雑なことに)だし、変に騒ぎを大きくするのも得策じゃないという判断があったのか、表だってそういう誹謗と戦うのではなく、新聞の内容で世の人々に訴えようとした。結果、ニューヨーク・タイムズは長いこと反シオニズムを論説の基本方針とし、ユダヤ人を役職に就けることはないまま(というか、1930年代の終わりまでユダヤ系の記者には署名記事も書かせなかった)、結構な時間が過ぎ、第二次世界大戦ナチスによるホロコースト記事も熱心には取りあげなかったらしい)が終わった。つぎにやってきたのはイスラエル問題だ。このときもイスラエルを積極的には支持しなかったので、ユダヤ人団体からずいぶん批判を受けた。
 60年代の後半から段々にこうした「非ユダヤ性のアピール」は薄まっていくみたいなのだが、そのまえの50年代、イスラエル関係記事を載せる時にどれくらい気をつかっていたかというエピソードが、なんというか常軌を逸していたので、引き写してみる。ただ、この本に書いてあるのを読んだだけなので、本当かどうかはわからない。と、前置きしたくなるような話です、はい。

一九六〇年代初頭まで、ニューヨーク・タイムズでは、毎日コピーボーイたちが何人か一緒になって、紙面に掲載されるイスラエル関係の記事とアラブ関係の記事だけを拾い上げ、それぞれの記事の量を計っていたのである。そして、それを一週間が終わった時点で合計して、ニューヨーク・タイムズがその一週間に掲載したイスラエルユダヤ人)関係の記事の分量と、アラブ関係の記事の分量が同じになるように調整していたのである。
 イスラエル・アラブ関係の記事を計量するこのような仕事は、当時、「ユダヤ人・アラブ人カウント」(Jew-Arab count)と呼ばれ、ニューヨーク・タイムズ社内でも「知る人ぞ知る」ものであった。

 これはニューヨーク・タイムズの記者ベン・フランクリンが実際に目撃した話として紹介されているのだけども、参考文献の著者にそういう名前の人物がいないので、そのどっかに入ってたエピソードの引き写しなんだろうか。いずれにせよ、木曜日くらいにどっちかをあと5グラム分増やせとかやっていた図を想像すると、なんともいえない気分になる。

ニューヨーク・タイムズ物語―紙面にみる多様性とバランス感覚 (中公新書 (1507))
三輪 裕範

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