手塚治虫コミックス Kindle版配信開始

手塚治虫コミックス Kindle版の配信がamazonで始まった。アトム、火の鳥ブッダブラックジャック、アドルフといった代表作をはじめとする160シリーズとある。今日段階で値段は300円のものと216円。今だけこの値段なのか、ずっとこの値段なのかはわからないものの、正直安いと思う。

 手塚作品は小中学校の一時期夢中になって読んだ。たぶんぼくくらいが手塚治虫リアルタイム受容の最後尾だろう。といっても雑誌掲載の形で読んだ記憶がある子ども向け作品は、『アトムキャット(amazon)』の一作限りだし、掲載誌の『ニコニココミック』のなかでいちばん面白いとも思わなかった*1ので、リアルタイムを主張していいものかどうかわからないけれども。
 児童館で読んだ『ミクロイドS(amazon)』(当時の単行本の二巻だけで、なんかえらいことになっているところから入った)とか図書館で借りた『ブラック・ジャック(amazon)』、アニメ版の『鉄腕アトム』で絵柄を覚え、テレビ東京で再放送していた『リボンの騎士』をきっかけにどはまりして、コロタン文庫の『手塚治虫全百科』を頼りに読み漁り、手塚が出てくるからという理由で『まんが道』も全部読み、矢口高雄の『ボクの手塚治虫』も読み(釣りキチ三平も読んでないのに)、本人による『ぼくはまんが家』って自伝も読んだ。『ブッダ(amazon)』や『アドルフに告ぐ(amazon)』で、「マンガってこんなことまで描けるのか」と打ちのめされるような気持ちを味わい、『バンパイヤ(amazon)』や『アラバスター(amazon)』でロックにしびれ、『人間昆虫記(amazon)』と『MW(amazon)』にどきどきした。

 昭和の終わりの小学生がそんな作品を読んでいれば、当然のことながらまわりと話は合わないわけで、あとから考えるとびっくりするんだけど、当時のぼくはマイナー意識たっぷりだった(実際、手塚治虫面白いよねという話を人とできるようになったのは、大学に入ったあとだ。しかも、その頃には読んだ内容をほとんど忘れていたものだから、あんまり突っ込んだ話ができなくて悲しいなんておまけがついた。)*2
 そして手塚治虫が亡くなった平成元年の2月9日の衝撃といったら。ものを知らなかった子どもだったぼくは、これでもう作品も消えていき、読む機会がなくなるものと本気で考えた。生涯最大の杞憂だったかもしれん。しかし子どもは本気も本気。「読めるうちに読めるだけ読みたい!」と親に泣きついた。当時は景気が今とは桁違いによかった。うちの親は甘かった。テレビは追悼特集ばっかりである種手塚治虫ブランドのバブルが生じていた。この読めなくなる詐欺は成功し、親の目の色まで変わって「すぐ注文しなさい!」ということになって、小学生のぼく、講談社に電話した。直売係(だったと思う)に繋いでもらい、それまで時折一冊二冊と買っていた漫画全集全部注文した。1〜100は品切れのものもあるよと言われて、届いたのは230冊くらい。『ジャングル大帝(amazon)』の一巻(全集の1)とか『きりひと讃歌(amazon)』とかが抜けていたけど、三日か四日かけてやって来たやつ全部読んだ。こう言ったらやや寂しいけれども、ひたすら段ボールからコミックスを取り出して読み耽ったあの数日間は、生涯最良の日々だったかもしれない。とはいえ、それからの四半世紀で手塚作品がむしろ手に入りやすくなっていたことを考え合わせると、あさってすぎる行動だった。

 そのとき買った全集は今も本棚に並んでいるので、これを機に読み返してみようかな。新しい発見もいろいろありそうだ。

*1:アニマロイド○○』(←○○には年号か何かが入る86? 87?)とかいう漫画のほうが楽しいと思った

*2:けれども、書いてから思い出すに、それでぼっちというわけではなかった。繋がる要素なんてほかにいくらもあったし。じっさい小学校の同じクラスにはデコチャリにはまって『トラックボーイ』を毎号楽しんでる奴とか、ビートルズに夢中な奴とか、果ては自分独自の文字体系を作って、それで何やら書いている奴とかもいて、そういうのもそうじゃないのも、わきあいあいと過ごしていたのだった。例示した子からは、すべて手ほどきだけ受け、何が何だかさっぱりわからなかった(チャリンコに電飾する喜びもわからなきゃ、英語の歌はの良さもわからず、文字体系に至っては仮名でいいじゃんと思った)が、なんかそうした夢中になってる感じは面白かった記憶がある。