ヘイトスピーチと排外主義に荷担しない出版関係者の会 『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』

NOヘイト! 出版の製造者責任を考える
加藤直樹 明戸隆浩 神原元 ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会

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 ツイッターで紹介を見かけて、少なくともその趣旨には賛同できると思ったので、本屋行って買って読んだ。
 目次はこんな感じ。

第1章 現代の「八月三一日」を生きる私たち 加藤直樹
第2章 書店員は「ヘイト本」をどう見ているのか?
第3章 出版業界の製造者責任
第4章 ヘイトスピーチと法規制
    表現の自由と出版関係者の責任 神原元
    人種差別禁止法とヘイトスピーチ規制の関係を考える 明戸隆浩

 奥付見ると11月に出た本なんだけど、そのあと『ニュース23』が特集(関連まとめ)組んだり『クローズアップ現代』が「ヘイトスピーチを問う〜戦後70年 いま何が〜」という流れもあって、インパクトはあまり感じないし、どんな人を対象読者にしてるのかも見えにくいって印象がある。十一月に読んでたら違う感想かもしれないんだけど、熱気を感じられない本という気がした。

 そんななか、個人的に面白いと思った指摘を抜いてみる。いずれも3章から。
 ひとつめ。週刊誌の惨状(これはおれの印象で選んだ単語ね)が生じている理由について。

オウム事件が、それ以降の日本のマスメディアを大きくゆがめたと思っています。当時、オウム絡みの記事にはオウム側からいっさい反論がなかったので、何を書いても許された。つまり「書き得」の状況が生まれたわけです。
 それまで、私なりに週刊誌にもジャーナリズムとしての最低限の抑制が存在すると思っていました。しかし、オウムに関しては何を書いても許される風潮のなかで、記事の裏をとるという最低限のタガが外れてしまった。

 ふたつめ。現代の状況を関東大震災前に重ねて「八月三一日」と表現することについて。

 九〇年前の日本は朝鮮半島を植民地支配し、一九三一年には満州事変を起こす。つまり両国よりも強い地位にいたわけですが、いまの日本はそうではない。中国にはGDP第二位の地位を奪われ、韓国にもスマホやITなどの先端技術で先を行かれています。そういう時代にこうした見出しが受けるということは、昔のような弱い者いじめの感覚ではなくて、複雑なルサンチマンがあるのではないか。つまり後発の国に経済大国の地位を奪われた妬みや、本当は羨ましいのにそれを表に出せないといった陰性のエネルギーが渦巻いているような気がします。それが安倍首相の言う「日本を、取り戻す」にシンクロしているのではないか。嫌韓嫌中を、単なる弱い者いじめやマイノリティ排除と見るべきではないと思います。

 ひとつめの起源はどこかって話は野間易通が十五年くらいまえ(もうちょっと詳説してるのが、この記事→「もはや首相自体が「ネトウヨ」である──安倍“ヘイト”政権が誕生した日」ただこっちでは96年までさかのぼってるので「くらい」は意外と大きいのかも)といい、別の発言者は『逆説の日本史』が売れた頃から歴史修正主義が一般読者にも浸透していったと言っていた。『逆説』十巻まで読んだのをマイ黒歴史認定してるおれとしては、後者の意見に激しく頷く。ことに第二巻だけど、あれを馬鹿(おれみたいな人間)が読んだら韓国への印象って絶望的に悪くなるよ*1(中国に対しても儒教批判って名目でかなりネガティブに扱ってたもんなあ)。
 とか考えていくと、野間の「嫌韓嫌中本の書き手と購入層のどちらも、われわれバブル世代が中心」とあわせて、ふたつめの引用も頷けてしまう。その手の本が、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンの亡霊という構図が描けるのかもしれない(『逆説の日本史』の連載開始は92年なんだそうな)。

 まあ、それはそれとして、熱気を感じられないとか対象読者がわからないって話をもうちょっとすると、最初から危機感を持ってた人が集まった。そして危機感を持っていることを確認し合ったというだけに感じられるないようだからではないかという気がしている。読み出したときと読み終えたときに、何もこちらに変わるところがないのだ。で、これを買う読者ってのも、やっぱりすでにやばいよねと思ってるから買う人がほとんどのはずで、そういう人が読んでわかることは、ほかにもやばいって思ってる人がいるんだってことがメイン。これが元になったシンポジウムの現場だったら、言い換えると、ここで文字になってることが発話され、それを聞くという体験をしたなら、印象は違ったのかもしれない。あるいは上にあげたような番組のまえなら、違ったのかもしれない。が、並んだ文字列を見るだけだと、伝わってくるものがない。半ば予想していたことではあったけれど、これはやっぱりちょっと残念だった。

 で、なかば予想したことではあったけれども、と書いた。じゃあ買わなきゃいいじゃないかという意見が当然あると思うんだけど、おれはそれには異を唱えたい。本書の最大の長所は、これ以上ないくらいわかりやすいタイトルだ。嫌韓嫌中本が売れるから出てるんなら、反ヘイト本が売れてるデータが出てくりゃ、出版社も商売なんだからころっとラインナップを変えると考えられる。本書には類書と比べて、「何が書いてあり、どんなものを読みたい読者が買ったのか」が一発でわかるという美点がある。である以上、この本は面白かろうと詰まらなかろうと、趣旨に賛同するなら、たとえ読む気がなくても買うべきだ、というのが個人的な意見なのね。だからこんなにぶうぶう言ったあとで、厚顔無恥な話だけど、今の週刊誌の見出しとか本屋のラインナップにうんざりしてる人は、みんなでこれを買おうと、ここで呼びかけてみる。でもって、「これなら、もっと面白いもん作れるから、大ヒット間違いなしだよ」って、類書の企画抱えてる人が言えるように応援しようじゃないの。

 本屋も出版社も儲かるのが第一なんだから、どんなもんが並ぶかは、おれらの購買行動で決まるわけで、文句言うより千円でこれ買って、各社にヘイト本見切らせようよ。

*1:今はさすがにこのときの刷り込みは抜けてるけど、ごくたまにふわっとこれ由来と思われる思考が浮かぶことがあって、なかなか面倒なときもある。この後遺症を考えると、読むべきじゃなかったと思う。