法月綸太郎『雪密室』

雪密室 (講談社文庫)
法月綸太郎

B017K33L6O
講談社 1992-03-15
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 『頼子のために』(感想)読んだし、いよいよ『ふたたび赤い悪夢』(Amazon)だ、と取りかかったのだが、ちょっと読み進めた段階で、これは『頼子のために』だけでなくて、『雪密室』の続編でもあったとわかった(ほんと、どんだけ忘れてるんだろ、おれ)。そんなわけでふたたびの回り道で『雪密室』を読んだ。

奇妙な招待状に誘われて『月蝕荘』を訪れた法月警視を待ちうけていた不可能犯罪。―美貌の招待主・真棹が、客の全員集まったその夜、離れで殺されたのだ。外は一面、銀世界。なのに足跡は発見者のものしかない!雪と鍵による二重密室の謎に、名探偵・法月綸太郎の推理が冴える。これぞ本格ミステリの王道。

 こんな話である。読んだ記憶はあり、トリックだけは覚えていたのだけど、それ以外はすっかり忘却していた。昔読んだときの印象もそれほど芳しくなかったので、当然の如く期待値低く読み進めた。冒頭で「どこにでもいるただのおじんですから」という台詞が出てきたときには、「あー、おじんとかおばんとか、そういう単語あったよなあ」とちょっと懐かしい感じがした。「ナウい」ほどのインパクトがなかったのか、「あの頃のだっさいフレーズ」としても取りあげられない気がする単語だったので、これが同時代の細部だ、などとどうてもいいことを思った。
 で、再読を終えた印象は、コンパクトにまとまった話ではあったけど、ほんとにプロットありきな感じがして、インパクトに欠けた。ただ、つまらないというより勿体ない感じ。文庫版あとがきで作者は本書を「書いている間ずっと、現実の社会から降りてしまったという意識に悩まされて、あまりすこやかな精神状態ではなかった」と述べたあと、こんなことを書いている。

 私が驚いたことというのは、この本自体がそうした当時の自分の境遇を、露骨に正当化しようと四苦八苦していることなのだ。とりわけ沢渡冬規という登場人物をめぐる扱いに、それが顕著である。しかし、これだけは今でもはっきりと覚えているが、書いている時点では私の中にそういう自覚は全くなかった。

 おれがもったいないと思うのは、ここで言及されている沢渡という登場人物の扱いだ。こいつは本書のキャラクターで唯一ちょっと面白い。ほかのキャラクターはプロットを成立させる要素を作るための設定が貼り付けられたに過ぎない感じがするのに対して、いささか過剰なところがあった。防空システム開発のプロジェクトに携わっていたのが、ある日、神の啓示を読み取って山奥に引っ込みペンションを経営しつつ、自分が実践してきたパーソナリティーの回復プログラムを拡大敷衍して、現代の吸血鬼的な高度資本主義社会のシステムに傷つけられた若い魂を救済することに役立てようとしている人物(この部分、自己紹介部分を切り貼りしたため、いささか長くなってしまった)なのだが、たぶん本来はこいつがプロットを乗っ取って中心に居坐らなくてはいけなかった。のに、それをしなかったものだから、いまいちに終わってしまったんじゃないかと思う。そう考える根拠は、「若い魂の救済」について説明するくだりに、「精神の集中を要する訓練を通じて、こころとからだの関係を純化し、それによって今まで意識というものに対して持っていた先入観をあらためる。いわゆる自由意思というものの存在を疑わせるきっかけを与えるのです」「僕たちの意識というのは、一般に思われているほど万能なものではないし、自由意思に従ったつもりで、その実、不自由な選択を決定づけられていることだって、少しも珍しくはないんです」という文があることで、ここまで書いているのに、これが中心モチーフになっていないのが不思議なくらいだし、その結果、本書から個性が消えていると感じた。あとがきでは自覚なく自分の境遇を露骨に正当化しようとしていたと書かれてあったけど、読んだ印象からすると、むしろどっかで「正当化してはいけない」って考えていて、このキャラの扱いを軽くしたんじゃないかと勘ぐりたくなるくらいだった。
 そんなわけで、個人的には、本書は可能性が引き出されきらなかった物語なのではないかと思う。いや、まあ、あと知恵っぽい感想だけど。