安倍元総理の政治利用はやめてください。

 国葬の話である。
 7月8日に安倍元首相は奈良で凶弾に倒れた。
 意外にも狭義の政治テロではなく、広告塔になっていた宗教団体の絡みによる怨恨が犯行動機だった。
 問題の教団は与党にだいぶ入り込んでいて、目下つながっているのは誰かって話が飛び交っている。
 メディアのコメンテーターにもつながりのある人間が多いのか、あるいは自民党への義理からなのか、問題を矮小化しようと躍起になる人たちが散見されている。(しかし、一強の政権与党が霊感商法のカルトに侵食されているなんて話に「まあ、そういうもんだ」と言えてしまうのは、冷静でも独自の視点でもなく、そいつもつながってるんだろうと考えた方が無難だし正解可能性高いだろうと思われて終わりじゃないかという気がするんだけどね。自分の信用を賭けて何してるんだろう、あの人たち。まあいいや。)
 で、そんななか岸田首相が早々に安倍元首相の国葬を決めた。
 当然、さまざまな批判が出ている。
 信教の自由に抵触する。
 税金の無駄遣い。
 あれだけ国の私物化を続けた元首相は国葬にふさわしい人物ではない。
 根拠法がない。
 などなど。
 けれども、吉田茂が今の憲法下で閣議決定だけで国葬になっている前例があるのに加えて、上記のようにデカいスピーカー(メディア)は押さえられているので、政府は押し切れると踏んでいるだろう。
 この前例ありってのがやっかいで(関係ないけど、吉田の国葬をごり押しで決めたのは安倍のおじに当たる佐藤栄作なんだってね)、吉田の国葬を無効にすべしっていう、数年前のことだってろくに覚えちゃいない国では不可能な歴史検証を要求しないと前回「問題なかった」のに、今回できないと主張する論拠が出てこないように思う。吉田の国葬ができてしまった以上、屁理屈はついているのだろうと考えるからである。
 で、反対するならどうするのがいっちゃん簡単に世論形成できるんだろうって考えた結果、出てきたのがタイトルの主張。
 人の死を政権維持に利用するなというのは、違憲だとか違法だとか、安倍元首相の実績評価とかといった「小難しい」話よりも、通りがよくて「言われてみればそうだなあ」と思わせるのではあるまいか。少なくとも自分的には、このほうがわかりやすい。それじゃ駄目だという向きもあるだろうし、おそらくはそう言う方々の考える理由は正しい。なのだけど、ここでは「いっちゃん簡単に世論形成できる」という問いの立て方をしているので、大事な論点がごそっと抜けるのはご勘弁願いたい。
 ただ、国葬が安倍元総理の政治利用であるというのは、別に無理な解釈でもなければ、でたらめでもない。
 国葬にする理由として岸田首相は「国民が最後のお別れをできるように」とは言っていない。在職期間の長さやら功績(具体的には語っていない)やら、民主主義を守る(狭義のテロではないと思うので、この理由はなんとも不思議な気がする)やらを並べただけ。国葬を決めたのは、国民感情に応えたというわけではなく、最大派閥の領袖を粗雑に扱って反旗を翻されちゃ困るから多少支持率を下げることになっても無理矢理やってしまおうと思っただけなのは透けて見えている。ここで安倍元首相の扱いを間違えると政権を維持できないのだ。
 吉田の国葬の評判が芳しくなくて佐藤や大平のときは国葬にできなかったという歴史に鑑みて、岸田首相自身、ほんとはやりたいわけでもなく、ただただ安倍元首相周辺の機嫌取りのためにやらざるを得ないというのが実状だろうから、世論が盛り上がって取りやめになれば、ホッとするだろう(顔は苦渋の決断ですって表情を作っていたとしても)。
 安倍元首相にしても、霊柩車の通り道に人がわんさと押しかけたところまでは嬉しかったかもしれないが、みんながスマホを取り出してバシャバシャやり出したのは、「あのさ……」ってなっていたに違いないし、これ以上空しいパンダの役回りを押しつけられるのはいささかかわいそうに思う*1
 このうえ、カルトとの関係を追及させたくないという自民党の都合や、最大派閥にこび売っておきたいっていう岸田首相の思惑で、悲劇的な死に見舞われた安倍元首相がパンダよろしくさらに動員されるのは、死者の尊厳を踏みにじる行為というほかない。
 岸田総理、安倍元首相の政治利用はやめてください。

*参考にした記事はたとえばこれ。
news.yahoo.co.jp

岸田首相は国葬を決めた理由として①(第1次政権、第2次政権あわせ)憲政史上最長の8年8カ月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって厳しい内外情勢に直面するわが国のために首相の重責を担った②東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開など大きな実績をさまざまな分野で残した③外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けている④民主主義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行により逝去されたものであり、国の内外から、幅広い哀悼・追悼の意が寄せられている─の4点を挙げた。

その上で、岸田首相は「国葬儀を取り行うことで、安倍元首相を追悼するとともに、わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固と守り抜くという決意を示していく。あわせて、活力にあふれた日本を受け継ぎ、未来を切り開いていくという気持ちを世界に示していきたい」と強調した。

 ④の最後を見て、「国民が最後のお別れをできるように」とは言っていないというおれの主張が怪しいと思われた方もいらっしゃるかもしれないが、「その上で」以下を見ていただければ、最後のお別れ機会の提供には触れられていない。④の重心は「ものであり、」までにあると自分は考えている。

*1:っていうか、なんで人が集まったところで国旗か何か配って、手が塞がるように準備しておかなかったんだろうね、あれ。完全な見世物で少し同情したよ。おまけに国葬おめでとうだの、経済効果があるからやるべきだだのと目を疑うような「支持者」の言葉が飛び交うに至っては、この世の春を謳歌したように見えてた安倍元首相って、こんな風に思われていたのかとなんとも言えない気分になった(国葬の日を祝日にするべきってな意見は国語に不自由な人たちがいると思っただけだったけど、休日の意味で祝日を使っていないんだったら、これも「何言ってるかわかってる? 何を祝うの?」って思う)