#収容ストップワンコインアクション のこと

 先日こんなことがあった。

 ほとんどの人がドトールで隣にいた人と同じく「え、何それ」ってな反応だと思う。
 実は今、全国5カ所の入管で無期限長期収容に抗議するハンガー・ストライキが収容された人たちによって行われている。
 おれの見た話だと参加者3桁。今回、大規模なハンストが始まったきっかけは長崎で収容されていた人が抗議のハンストをして亡くなったことだった。
 上のツイートに載せているハガキは各入管に送る抗議のお葉書である。

 と、たった4行書いた時点で、すでに「なんで収容されてるの?」という疑問を読んだ人が持つだろうと思われるので、そこを補足しなくちゃならないが、いきなり途方に暮れるのをいかんともしがたい。収容されているのは主に難民申請はねられたり、入管法違反とされたりして、もとの国に帰れと言われた人たちだったりすると書けば「それなら仕方ない」って考える人が多数なのが目に見える。難民申請の通る率が先進国のなかで異常な低さを弾きだしているとか、ずっと日本で暮らし、仕事を持ち、税金を納め、家族もいるような人がビザの更新にいって更新が認められない(理由は開示されない)とその瞬間に入管法違反にされてしまうとか、全然仕方なくない話だし、帰るに帰れない人を帰るというまで閉じ込めておくというのは、国連の拷問禁止委員会から是正勧告出てるので、このシステム完全に国の汚点だしとか、1個1個かみ砕いて説明するオツムもないし、たとえオツムがあったとしても、相手がそれに全部耳を傾ける根気の持ち主であると想定するのは無理だと思う。(相手の時間と根気がバリアになってしまうの、報道量が全然足りないせいなんで、もしメディア関係者がこれ読んだら、マジでもっと報道してください)
 だからどうしても、この辺の背景知識がすでにある人か、ここまで読んで「なにそれひどくない?」って思える人を読者対象とするしかないんだけど、そうした人たちにぜひ見てもらいたいのがこちらのブログ(薄荷らぼ。)である。エントリータイトルにした #収容ストップワンコインアクション の内容はここにあらかた書かれている。
hakka-pan.blog.jp

 ドトールで話しかけてきてくれた人に「このブログ読んでください」と言えばよかったとずっと思っているので、ここで紹介する。できたらはてブなりツイッターなりフェイスブックなりラインなりで拡散してほしいし、できればオフラインでも話題にしてほしい。#収容ストップワンコインアクションはカチカジャ!いばらきさんがこのツイート


から始まるスレッドで呼びかけたアクションなんだけども、薄荷らぼ。さんの記事のほうが一覧性に優れているので紹介しやすいと思う。

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フジイロックが素晴らしすぎて動揺している

 タイトルがすべてみたいな感じ。なんだけども、藤井フミヤのニューアルバム『フジイロック』が出た。

 前作『大人ロック』のときはまだ、聴くのを再開していなかったからオリジナルアルバムのリリースを楽しみに待ったのって、『PURE RED』以来。いや、「楽しみに」って言うんだったら、『R&R』以来かもしれない。ということは24年ぶり。
 今回のアルバム、おれ的に何が素敵かってまずジャケットだよね。まさかの手塚キャラ、しかもロック。手塚キャラのなかでも好きな方から数えて何番目ってやつで、小学校の終わりから中学校のはじめの手塚好きピークの頃はファンクラブに入ってて若気の至りというかなんというか、ロックのイラスト描いて投稿したらファンクラブマガジンに掲載されたなんて甘酸っぱすぎて普段はめったに思い出せない思い出もあんのよ。そんなわけでもうフミヤのアルバムがロックっての、それだけで嬉しさ二乗でさあ。しかも先行公開された動画「WE ARE ミーハー」がまた楽しい作品で。ちょっと貼るから見てよ。
www.youtube.com
 楽しくない? この懐かしポップカルチャーっぽいあれこれを気軽に遊んでみましたって感じ。しかもいつでもどこでも判で押したみたいに「歌はラブソングじゃないと聴いてもらえない」って言ってるフミヤさん(それを聞くたびにあれこれ例外が浮かぶわけだけど一般論としては間違ってない)がアルバムプロモーションのために選んだこの曲、ラブソングじゃなかったってところもまたおれ的にはツボだった。タイトルもいいよね、ミーハーって。フミヤさんのホームですよね、そこって感じもするし。一般語としてはすっかり「にわか」とかに変化しちゃってる気もするけど、「にわか」には入りようのない軽やかさとか愛おしさがWE AREとくっつけることでフォーカスされてるし。そんなところからごちゃごちゃややこしいことも考えたけど、ここでは割愛。
 で、わくわくわくわくと7月10日のリリース日を待っていたら、その数日まえに配信が始まったんですよ。速攻DLしたよね。CD置き場所取るしって理由で(今になってCDで買ってもよかったというか買っといたほうがよかったんじゃないかという気もしているが)。
 とりあえず曲目リストを眺めるとこんなだった。

  • BET
  • PINK
  • WE ARE ミーハー
  • Tokyo City Night
  • 言葉しかないLove Song
  • Who's fine?
  • そのドアはもう開かない
  • Tonight
  • 千夜一夜幻夜
  • ラクルスマイル
  • フラワー
  • ラブレター

 何はなくとも再生してみる。ピンと来る曲が全然なくても十回聴くとすべていい曲に思えてくるのが藤井フミヤの曲、というのが、自分の勝手にこしらえているイメージなので、とにかく十回聴かなくてはという気分。だったのだが、BETの前奏が始まった瞬間、あれ? かっこよくない? 嘘、しょっぱなからキャッチーじゃない? という意外性に持っていかれた。フミヤのアルバムで一曲目の一度目からこんなに「あ、これはいい」と思ったことがあっただろうか、たぶんねえぞ、と興奮し、その勢いのままに最後まで。終わったらまた再生みたいなことを繰り返して今日に至る。一曲だけ歌詞がピンと来ない(メロディーは素敵)のあるけど、最高じゃないかという結論になる。遅ればせで集め出したアルバムがまだ『Coverfield』(去年出た100曲ベストに1曲も入らなかったアルバムらしい)までしか揃ってないんだけども、そのなかではキラッキラ補正の入っている不動のマイベストアルバム『ANGEL』の次くらいに素敵なファーストインプレッションであった。
 このアルバムと併せて聴くとなんとなく『大人ロック』は大人(一般語で言えばおっさんだと思う)になったことを遊んでいるような曲があって、こっちは大人なの飽きたからちょっと若返ってみよっかなみたいな曲があるので、ロックでつないでるのも意味がある感じ。
 何より嬉しいのは、何曲かはなんかチェッカーズを聴いてたときの感触があるところ。これをなんと表現したものかと何日か折々考えていたのだけど、いちばんしっくり来たのは「適度な背伸び感」。いや、大ベテラン歌手が今更背伸びなんかしねえだろというのはそりゃそうなんだけど、BETとTokyo City Nightと千夜一夜幻夜はなんでかそんな感じを受けたんだよ、で、「そうそうこういうのを待っていた」と。もちろん、昔と同じ感覚じゃなくて、大マジでやってたことを遊びでやりなおした感じもあってそれもまた心地いいんだけどね。Tokyo City Nightがいちばん露骨にそんな感じを受けた。ちょっと気取った前奏からの歌い出しが「Tokyo City Night 愛 孤独 交差する ロマンス」だよ? いつの東京だって話なんだけど、こういう歌詞世界にフミヤの声は非常に映えるんだよねえ。この曲は20代のときに大マジで歌っててもおかしくなかったと思う。っていうか、ずっと東京に住んでて、こんなあこがれの街っぽく歌う歌詞を今書けるのが凄い。こんなん歌われちゃったらスージーさん、どう評価するんだろ。
千夜一夜幻夜」はディスコと神話のイメージを重ねた歌(だと思う)女性ボーカルとの掛け合いとか最高。「マハラジャな夜にあなたを意のままにしたい この手で マハラジャのようにわがままに連れ去って」「呪文を唱えよう さあ開けゴマ」というサビが凄く気に入ってる。この「さあ開けゴマ」ってわかりやすさがフミヤのサービス精神だよなあと。何回もリピートしちゃう。で次の「ミラクルスマイル」との落差が割と激しいんだけど、もう10回くらい聴いてしまっているので、もはや気にならず、「ミラクルスマイル」もいい曲っていうか、チェッカーズではなかなかこういう曲は作れないよねみたいな、なんだかよくわからないありがたみを感じだしたりしてる。
 あとね、聴いていなかった20年(長え。ほんとによくぞ消えずに活動し続けてくれていました、ありがたい)のあいだに、歌い方がやたら丁寧になっていて、うまいはうまいし、そりゃ素晴らしい声なんだけど、若い頃の才能の濫費みたいな(今と比べりゃ無造作な)歌い方じゃないところに一抹の寂しさを感じたりしてたもんだから、丁寧さがそれほど目立たない(丁寧に歌ってるんですよ、当然)何曲かは、いなくなったと思ってたあのフミヤに近い人がここにいるよって感激もあったり。なんつーの、あのフミヤもこのフミヤも聴ける感激? あ、それだ。だらだら書いてきてようやく、何が言いたいのかわかってきたぞ。『フジイロック』には藤井フミヤのキャリア35年がまんべんなくぶち込まれているって思ったんだ、たぶん。そんなわけでこれ読んだ人でまだ聴いてない人(いるんだろうか)、とりあえず、とりあえず聴いてみてくれ。聴いてみたけど、おまえ全然言ってること当たってねえぞって場合はご容赦をあくまで個人の感想なんで。でもってこれは今後もたくさん間違った仮説を立てちゃいそうなアルバムです。主観的にはムッチャお勧め。

川島高峰 『流言・投書の太平洋戦争』読書メモ6


 この本の読書メモ。
 前回。
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第二章 戦争の長期化 第三節 忠誠と不敬の間

 『特高月報』昭和18年1月分で紹介された不敬罪を犯した男性の話が紹介されている。この男性、靖国神社を訪れた天皇皇后夫妻の報道写真を見て、国母陛下が英国式洋装をしているのはけしからんと考え、その旨特高の視察員(民間人監視するスパイみたいなものらしい)に伝えて御用となった。去年だか一昨年だかに「天皇反日」というツイートを見て頭がクラクラしたのだが、戦時中にも「天皇は非国民」みたいな発言があったんだな。ただ、著者によると後者は前者ほどデタラメでもないらしい。

皇室批判にのみ問題を限れば、この男は「不敬」であろう。しかし、「皇后陛下の御洋装こそ戦時下に有間敷(あるまじ)き米英思想の表現にして国内思想悪化の根本原因」であるとのこの男の指摘は、当時の英米の文化・思想の排撃という脈絡からすれば、実は“非常に正しい”のである。
(中略)
明治日本が欧化の結果できたものであるとすれば、実は「米英排撃」は自己否定をも含んでしまう。この自己否定の結果が、先に見た「皇后陛下の御洋装」への批判であった。

 このあと、話は西洋文明の克服という話題に流れる。このテーマは戦後にも繰り返される「伝統」だと著者は言う。

大東亜戦争」肯定史観もつまるところ、この戦中より持続されてきた対欧米文明史観の延長上にあった。したがって、アジアの解放といった時、そこには、西洋文明の先進性を克服するという意識が底流にあった。

 が、現代(執筆当時)と戦中では大きな違いがあって、それは「戦中のそれ」が「天皇制を中心とした排他的かつ、教条的な公定イデオロギーとして思想と言論の自由を抑圧していた」点だと著者は言う。で、当時の公定イデオロギーを紹介するため、『国体の本義』(1937年)と『臣民の道』(1941年)を紹介している。キーワードは「醇化(じゅんか)」。

「醇化」とは日本民族の先進性と優秀性を示す概念であり、「西欧的」な「近代化」という世界史的展開への対抗概念として「日本的な醇化」が位置づけられたのである。『国体の本義』における日本文化の史的展開は外来文化の国体による「摂取醇化」の連続として描かれている。この図式によれば、日本文化は過去に中国大陸の文化を摂取醇化した後に新たな「和魂漢才」という新文化を創造し、明治の文明開化においては西洋文化を摂取し「和魂洋才」による新文化の創造を行ってきたということになる。このように様々な外国文化の伝来にもかかわらず「よく我が国独特のものを生むに至ったことは、全く我が国特殊の偉大なる力」であるとして日本文化の優越性を主張するのである。

 で、これと目下西洋文明は「崩壊の一途を辿り」つつあるという認識が相俟って「今や我が国民の使命は、国体を基として西洋文化を摂取醇化し、以て新しき日本文化を創造」すべきであるという主張がなされた。これは「我が国にして初めて道義的世界建設の使命を果たし得る」という世界システムへの状況対応から状況創出への宣言となる。このくだりを読んだときには、「道義的」って言葉に目が止まった。
mainichi.jp
これを思い出したためである。

 で、この特殊性・優越性を強調した論法は

「人たることは日本人たることであり、日本人たることは皇国の道に則り臣民の道を行ずる」(『臣民』)ものであるという独善主義に陥るのである。ここには自らの民族性を尊重するからこそ、他国の民族性も尊重するという相互性が見られない。これはアジア・ナショナリズムからの決別であり、日本本位の「八紘一宇」によるアジア主義なのである。

 この冒頭のトチ狂った人間定義は十人中九人がトチ狂ってると思う(ことを期待する)。のだが、今であってもなんか残酷な犯罪とかが起きると「日本人じゃない」ってフレーズを口走る人結構多い(頭の悪いレイシスト以外でも使う人がいるんだよね。文脈から考えると「人間じゃない」って意味で使ってるの)ので、この独善性ってのは連綿と受け継がれている気がしてならない。
 が、このような精神のために、「国家建設は近代的に、国民統合は伝統的に」という二重標準的な近代化が余儀なくされた。「皇后陛下の御洋装」への批判は、まさにこの点から生じたのである。やがてこうした論理の綻びは戦争末期に至り、銃後の民衆の生活の随所に不条理として現れることになるが、この段階で、『国体の本義』『臣民の道』が国民に要請していたのは、「総力戦体制の完遂とその効率化についてのみ合理的にものを考え、政治や社会については非合理的に、極端に『伝統的』にものを考えること――それはもはやものを考えるなという次元に達している――」ということである。現代の世論調査を見ると、大抵の場合、あらゆる政策で反対が、疑惑の説明に関しては不十分が多数派でありながら、内閣支持率は高いという不思議な現象をよく見るが、あれも戦時から続く伝統なのかもしれない。(世論調査の結果については捏造だという人も一定数いるが、その思考も基本的には非合理だと自分は考える。捏造できるならあんな不思議な結果にする必要はなく賛成やら説明は十分果たされたって意見を多数派にしてしまえばいい。)だから、ここで言われてる和魂洋才ってのは、全然滅ばずにずっと蔓延っていたんじゃないかという気がしてならない。清沢洌の『暗黒日記』(感想)を読むと批判の内容はそのまま現代に当てはめることができるし。今回紹介されている『臣民の道』、それから同時期に出された『戦陣訓』が規範にされた超監視社会を生き残る処世術が三猿主義だったのは、すでに書いた。敗戦でシステムは破綻したわけだけども、兵士にされた人たち同様、銃後も社会復帰カウンセリング的なものを受けられなかった。となれば、規範と処世術はデリートされなかったことになる。結果が現代である。俳優が役作りの話をしたら炎上する現代である。もうすぐ憲法は変えられてしまいそうな雰囲気だけども、自民党憲法草案(PDF)には緊急事態条項が含まれている(第九十八条、九十九条)。そうなると、我々の人権は制限され、参政権は停止する(九十九条四項はそういう意味だ)。一瞬でこの本の世界が出現するわけである。これは軽く見ちゃいけない話だ。なぜって、上でも引いたように閣僚を務めた議員がその答弁で「道議国家」なる戦中ワードを発し(もっと小物で八紘一宇を称えた議員もいた)、国会議員が北方領土は戦争して取り返すしかないと口走る、そんな世の中にわれわれが暮らしているからだ。威勢のよさがアピールポイントだと学習してしまった三流どもが権力を握り、アホがその威勢のよさに喝采を贈っているうちに、どんどん悪いほうに事態は転がっているからだ。戦時中の民衆がトチ狂ったお上に唯々諾々と従ったことについては、制度・情報その他があったから仕方なかったと言えるかもしれない。けれども、後世が現代の状況、そして悲惨なシナリオで進んでしまった場合のこれから十年くらいを見たとき、彼らはわれわれにどんな言い訳を許してくれるのだろうか。

川島高峰 『流言・投書の太平洋戦争』読書メモ5


 この本の読書メモ。
 前回。
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第二章 戦争の長期化 第二節 ガダルカナル「転進」と「大本営発表

 開戦後半年くらいから徐々に戦況が悪化する。それはまた同時に「大本営発表」の虚報の始まりでもあった。ということで、ありもしない戦果をでっちあげたり戦略的な敗北を大戦果と言ってみたりしつつ1943年2月9日にはガダルカナル、ブナからの「転進」という発表がなされる。粉飾された戦果をメディアもそのまま垂れ流しているのだから、国民が気づけるはずもないと思いきや、この頃から報道に対する不信が警察への匿名投書の形で観察されるようになったのだとか。
 そうした事柄を背景にしつつ、筆者の筆は当時の労働状況に進む。大量招集で熟練労働者が職場から前線に奪われ、労働現場に混乱を招いたため労働力の確保そのものが大きな課題となっていた。

 労働力の確保について、その埋め合わせとして、当時「徴用(ちょうよう)」という制度があった。(略)これは日中戦争のさなか一九三九年七月に公布された国民徴用令により、国家権力が重点産業に労働力確保のために一方的に民衆を招集する制度のことである。兵隊の召集令状がその色から俗に赤紙と言われたのに対し、徴用は、その令状の色から白紙召集と呼ばれた。今日ふうに言えば、強制的な転職であるが、ほとんどの場合、待遇・賃金ともに以前の職業よりも低下していた。名誉の白紙召集などと称されていたが、精神面ばかりが強調され、その見返りははるかに少なかった。
(中略)
 この徴用行員に加え、当時の工場には転業者と呼ばれる人々がいた。軍需産業に重点をおく経済統制の強化により、当時、戦争経済に不要不急とされる業界は規制、廃業、転業を余儀なくされていた。

 待遇・賃金ともに以前の職業よりも低下しているの一例として、1942年6月から7月の調査が引かれている。それによると転業者の収入は「最高一三〇円余、最低四三円余、平均七七円」である一方、ほかの一般労務者は「最高二九八円余、最低九七円余」だったという。つまり、転業者の平均収入はそれ以外の一般労務者の最低賃金を下回っていたわけだ。上の引用を見ればわかるように、これは本人たちが希望した転職ですらないわけで、やってられなかっただろうな。実際、転業、徴用といった人々は、好条件の求人があるとさっさとそっちに行ってしまうことも多かったのか、1942年11月の『特高月報』には三菱神戸造船所で欠勤率30%を川崎艦船工場では63%を記録したとある。しかし、当局には状況を改善するような策もなく、労力不足の対策として捕虜の子葉と徴用の延期に踏み切る。なお、捕虜の就労は戦時における国際法違反だった。なんかこれまた今も昔もな話だと思いません? もちろん、これで生産効率が上がるはずがない。
 徴用期間の延期は「心理的動揺を来し、勤労意欲の低下に依る生産減退を生ずる懸念ある」状況だったが、じゃあどんな対策をしたかといえば、

 この「特別の措置」として、当局は精神主義でこれを埋め合わせようとした。例えば、陸軍航空本部では関係工場の模範徴用工員を表彰した。(略)特別の措置とは、精神主義による国民の犠牲に名誉を与えることであった。国民の側で、これを名誉と受けとめている限り、それは最も効率的な支配に過ぎないのである。

 なんかあんまり関係ないが、最近(数年以内)も少子化対策とかいって子ども何人か産んだ人を表彰してはどうかってアホなこと言った議員がいたと思うが、発想は戦時中と同じだね。

 能率、意欲の低下は農村でも起きた。理由は(1)軍需中心の産業政策の結果、肥料・農機具の入手が困難となり、さらにその品質が悪化していた。(2)大量召集による労働力不足の深刻化。(3)米価引き上げの見送りとのことで、この節読んでると、いったい誰得でこの戦争は遂行されていたのかという気がしてくるわけだが、「始めてしまったものをやめたら面子に関わる」(アベノミクスみたいに)ってだけだったのではないかという気も強くする節だった。転業のせいで数代続いていた店畳まなきゃいけなくなった人物から「天皇なんか殺せ」という投書もあったらしいが、そりゃそうだろうなあ。

 

川島高峰 『流言・投書の太平洋戦争』読書メモ4


 この本の読書メモ。
 前回。
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第二章 戦争の長期化 第一節 戦争熱の冷却

 フランス人特派員のロベール・ギランは「一九四二年四月。三ヶ月にわたる絶え間ない勝利によって巻起こされた熱狂の波は、急速に引いた」と『日本人と戦争』で述べた。今から考えると意外にも思うが、勝ち馴れしたらしい。そうすると、前面に出てくるのは生活苦。一般的に「ひもじい思い」ってのは戦争末期の話と考えられているが、それは誤りで、「銃後は『開戦』間もない頃から食糧不足に瀕していた」のである。1942年3月横浜の大岡警察署管内で行われた調査では配給米の食い込み(次の配給日までに配給米を食べ尽くしてしまうこと)に陥った家庭は63.3パーセントにのぼっている。配給日の3日前までに米びつが空になったという家も5.3パーセント。1938年には2.46キログラムだった児童の体重増化の平均は1.4キロまで落ち込んでいた。そんな世相を反映してか、「買い出しの米を巡査に取りあげられて首を吊って死んだ者の話とか、一椀の飯を争って兄が弟を殺してしまった」といった流言が記録されている。『特高月報』昭和17年6月分には、

内乱だ 革命だ 東條必殺だ 国民学校生徒弁当紛失事故頻々たる何と見るか。

 との、「不良投書」が記録されている。清沢洌の『暗黒日記』にも昭和18年頃には革命の予想が出てくる。リアルタイムだと「こんな状況では革命不可避だろう」という実感があったんだろうね。なんでそうならなかったのか、という疑問を懐く資格は、史上最低の政権を懐いたまま、退陣に追い込む世論すら形成できずにいる今の我々にはない。
 この頃すでに生活必需品のほとんどが配給制となっていた。

 制度の運用は著しく公正・平等を欠き、むしろ自由販売が統制配給となったことは流通機構を不透明にし、不正が横行する結果となった。

 配給店の態度がガラリと尊大になって問題化したらしい。目の前の奴の「態度」に焦点があたっているところとか、リアルだ。もういっこリアルなのは、

物不足は買いだめをあおり、買いだめが物不足を生むという悪循環に加え、販売時間の制限は行列をますます長くした。ところが、当局はこの行列の時間を時間の空費であるとしてその取り締まりに乗り出した。

 3.11のあとのことを思い出しちゃったよ。取り締まりってのを官憲がやるんじゃなくてメディアにやらせてたけどさ。あとプッシュ型支援とかいって物資をコンビニで買わせようとしたのも思い出した。まあそんなに同一性ないだろと言われればそのとおりだけど、そうせざるを得ない事情を無視して「全体のことを考えて我慢しろ」って発想は同じじゃなかろうか、これ。で、食料難の憤懣は農家に向かい、都市部の人間は農村に強い反感を懐いたらしいのだが、農村のほうも都市部の住民に反感を持っていたのだそうだ。

その理由は主に農産物の低価格政策と供出の二点にある。食料の低価格政策は「小麦一俵とスフのズボン一着の交換では百姓が嫌になる」という不平を農民に広げた。

 「スフ」ってのはステープル・ファイバー(木綿・絹などの不足を補う代替品の化学繊維、ひどく耐久性に欠け、農作業に不向きだった)のこと。また、衣料切符制でも都市部が優遇されたことも不満の一因だった。「遊んで居る都会人が沢山食べて我々が腹を減らして居てよいのか」というのが農村部の認識だった。もちろん、応召・徴用のせいで労働力は不足している。しかし、これも我々には親しい展開なのだけど、

民衆は政治体制の矛盾を指摘するよりは、むしろ民衆同士がいがみ合うという悪循環を拡大していた。そこには聖戦意識という理想があり、その裏では窮乏化した民衆の相克があり、そして、その底流に民衆の慟哭(どうこく)があった。この理想と底流が表裏一体となり、戦中意識を構成していた。

 しかし、

言論報道機関は挙げて戦争熱をあおり、紙面にはその「高尚」な知識を持っているはずの「識者」や「知識人」たちが、日本の聖戦や必勝についての「哲学」やら「思想」とかを延々と披瀝(ひれき)していたのである。

 子どもの戦死通知を受け取った親が「幾ら国家の為とは云え親の身として之が泣かずに居られるものか」と嘆いたために特高警察に送検される(本書に掲げられたエピソードである)ような統制状況で、メディアがこんなもん垂れ流してれば、憤懣は庶民間でぶつけ合うしかないよな、そりゃ。

 また、マスコミは戦死者の「軍神」化、「勇士」化をあおる。そのため、遺家族は「その慟哭とはかけ離れた規範を要求されるのであった」。子どもが三人戦死して表彰された親は読売新聞の取材に

 夜中にふっと眼をさまし一晩中眠れなかったこともよくありました、忘れよう〳〵と努めても思いだすのはいつも元気な姿や良い記憶ばかりなので忘れ切れませんでした。そのうちに三人ともまだ生きて働いているような気がしてきました。そう、三人とも生きている、生きていると思えば、なァに二町歩位の田畑の世話は苦にならない、残った三人が召されて征(い)って、そしてよし三人とも死んで跡とり息子が無くなってもわしらには国が残る。

 と述べ、読売は最後の言葉を使い「倅(せがれ)はみな死んでもわしらには国が残る」という見出しを打ったそうである。「忘れ切れませんでした」で終わっていれば、この発言も検挙の対象となりかねなかったと著者は述べている。しかし96~97年頃にこれを書いた著者は10年足らずで、イスラムテロ組織に息子を殺された親御さんが「ごめいわくをかけて申し訳ありませんでした」とカメラの前で謝る時代が来るとは思ってなかっただろうな。子どもを失って嘆くことが当然ではないという規範は残念ながら死に絶えていない。治安維持法がなくても政府が自己責任といいマスコミがそれに追従していれば、法律の罰則がなくても同じ役割をリンチの予感が受けもつわけで。もちろん、法律の存在は社会からそうした規範への葛藤を抑圧する機能があるので同日に語ることはできないにせよ、ここで引用したような醜悪さは過去のものではない。『永続敗戦論』からの孫引きをするなら、「私らは侮辱のなかに生きている」。昔も今も。「仕方ない」がそれを考えないようにするためのおまじないだ。

 本節の後半のトピックは1942年4月18日、米軍による日本本土初空襲となった「ドゥーリトル空襲」である。被害を矮小化するメディア、敵愾心を紅葉させる民衆の反応を紹介したあと、自作自演説が語られたことをが述べられている。9.11かよ。面白いと思ったのはその解釈。

 アメリカによる空爆とは信じないという点は、逆にみれば自国の勝利を疑わないからであり、この限りでみれば戦意は高いと言えた。

 つまり、勝つことは疑わないけども政府の施策に根強い不信が民心にあった。「要するに、国民はその必勝信念ほどに東条内閣を信頼していなかったということになろう。」とまとめられていて、一瞬よくわからなかったのだけど、あれなのね、たぶん、勝利は政策云々とは関係なく現人神の力でもたらされると考えていたってことだよね。まだ現在の世論調査結果(政策トピックには反対のほうが多いのに、支持率だけは高いってあれ)よりは筋道が通っているのかも。今なんてまとめちゃうと「やろうとする政策は全然賛同できないけど安倍しかいない」って意見がおかしいと思われていない節あるもんね。現人神教育施されていなくてもこんななんだから、天皇陛下は神様ですって叩き込まれていたら、政府信じられなくても戦争には勝つと確信するのも不思議ではないと思う。っていうか、今のほうが謎が深い。で、当時の選挙は無効票が増えていて、投票用紙に批判の文言が書いてあったりしたようなのだけど、ここで槍玉に挙げられているのが安倍の祖父の岸信介

新らしい共産主義者岸信介(きしのぶすけ)を打ち殺せ
官吏極楽商工地獄せめてなりたや守衛さん
スターリン岸大臣覚悟あれ
中小工業者は犬猫にあらず殺されてたまるか

 たぶん一行につき執筆者ひとり。中小企業経営者層からの岸信介の評価は極めて悪かったそうだ。にしても、この例に出てくるのって「○○は共産主義のスパイ」「公務員は優遇されていてズルい」「中小企業の労働者は人間扱いされていない」で、批判の形式に馴染みありすぎて嫌になるね。おまけにこの岸が戦後は総理大臣になって、その七光りで孫まで総理になっているわけだからさ……。健忘症か? とか思いたくもなるけれど、三猿主義が処世術だった時代のくぐり抜けて、新しい処世術へ移行する誘因を持たなかった人はもともとの規範を使い続けただろうから、政治的意見を持つのは危険という意識が当時の権力者の温存に役立ったんだろうななどと適当なことを考えた。
 大きく変わったと考えられるのは、上のような岸批判は報道されなかったんじゃないかということくらいかな。数年まえ、トイレに安倍首相の悪口が書いてあったというニュースを見て、「これがニュースになるのか」と薄ら寒い気分を味わったんだけど、口に出すと憲兵やってくるから投票用紙に書くしかない状況と、便所の落書きがニュース報道されるのと、どっちがマシかって問いが成立する程度にしか差はないように思う。もちろんこれは往事を矮小化したくて言っているわけではない。