スーパーサイズ・ミー

スーパーサイズ・ミー
モーガン・スパーロック

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レントラックジャパン 2005-07-08
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 友人ふたりと遊ぶことになり、「何する」と訊ねたところ、返ってきたのが、
「『スーパーサイズ・ミー』を見ながらマックをたらふく食おう。ついでにバーガーキングもつけよう」
 という色々な意味でレアな提案。破滅へ向かって一直線っぽい予感がしつつも、たまには心の底から「俺たちは馬鹿だ! どうしようもなく馬鹿だ!」と叫んでみたい欲求がどこかにあったのか、残りのふたりも反対せず、実行に移されたのだった。
 集合場所へ行ってみると、すでに立案者がバーガーキングの袋をふたつ持って待っている。ひとりが遅れてくるというので、ふたりでサンデーを食べながら待つ。三人揃ったところでマックへ行く。フライドポテト(L)を六個とハンバーガー21個頼む。最初提案されたのは50個だったのだが、さすがにそれはひっくり返っても奇跡が起きても食べられないので、数を減らしてみた。しかし店員さんは「21個ですか」と聞き返していた。

 友人宅につき、さっそく袋をどんどん開けていく。21個のハンバーガー、6個のフライドポテト、オニオンリング3個、ウエスタンワッパー3個、コカコーラ3本が並んだ様子は、壮観というか圧巻というか、すこし視点をずらしてみると汚いというか、とりあえずあまりお目にかからない眺めだった。

 で、DVDを再生開始。苦しくなったら字幕なんて追いかけられないだろうと、日本語音声を提案したのだが、なぜか字幕の消去を誰もしなかったので、日本語音声に日本語字幕が付くという、これまたあまり記憶にない仕様で映画がはじまった。

 そもそもこの映画、2002年に「マックの食い過ぎで太った。賠償しろ」という訴訟に対して「マックを食べ続けると健康に害があるという証拠を提出せよ」と判事が言ったのに、端を発している。「よーし、じゃあ俺が実験台になろうじゃないか」と勝手に名乗りをあげたのが、本編の主人公兼監督のモーガン・スパーロック

 彼は一ヶ月マックだけを食べて(お店の人から「スーパーサイズにしますか?」と聞かれたら絶対に「はい」と答える。なんであれ、マックの商品以外は絶対に食べないというルールもくっつく)、自分の身体がどうなるかという実験を始める。モーガンは、ベジタリアンの彼女と同棲し、実験前の健康診断では、完璧な健康体で体脂肪11%。さあていったい何が起こるのだろう。我々もオニオンリングをつまみ、コーラを飲みながら、彼の動向を見つめた。
 初日、マックを食べ始める。我々も食べている。俺はさきにウエスタンワッパーを食べておかないと、絶対に食べきれないと思って、それをモグモグ。
 二日目、彼はスーパーサイズの量にやられて戻してしまう。スーパーサイズというのは、コーラが1200ccあって、ポテトはLサイズの2倍くらいに見えた。
「こりゃあ大変だ」などと言いながら、我々はポテトをほおばり、バーガーの袋を開ける。

「禁煙だって三日目を過ぎれば楽なものだ。三日さえ過ぎれば、このマックな食事にも慣れてくるさ」
 とけなげなことを言って、ビッグマックを食べる彼。それに頷きバーガーをほおばる我々。すべては順調にいっているかに見えた……のだが、一週間が終わったときの体重があり得ない増加を示しているのを見た辺りから、我々のペースも落ち始める。5キロだか7キロだか太っていたのだ。
 栄養士が言う。「あなたに必要なカロリーは一日2500だけど、この一週間の平均接種カロリーは5000。多すぎるわ」
 確かに多すぎだね、などと話し合いつつ、それでもバーガーをほおばる我々。心の底から一日のイベントで好かったと思い始めたのはこの辺。ひとりはここで休憩に入った。急がないと食べきれなくなるなと俺は思った。
 急ごうとした。
 無理だった。
 画面ではサングラスをかけた男が話していた。「免許を取って最初の日に、マックへ行ってビッグマックを三つ食べた。あまりに美味くて、また三つ食べた。そして閉店間際にまた三つ食べた」
 聞いているうちに胸焼けがしてきた。その男性は奥さんにプロポーズしたのもマックの駐車場で、とにかくこのマックには思い出が多いとか言っていた。
 そしてもはやどんな文脈だったか細かいことは忘れたが、奥さんの話を聞いたモーガンが致命的な一言を発する。
ビッグマック・スムージーだね」
 そのとき、我々の手も口もピタリと止まり、全員うなだれた。同じ胸焼けを共有したのだ。確かめる勇気がなかったので聞けなかったが、俺がビッグマック・スムージーと聞いて思い浮かべたのは、ビッグマックがドロドロに溶け出した幼児の口から吐き出されたパンのような感触になってしまった何か。バーガーを5個も6個も食べたあとのこのイメージはキツイ。実にキツイ。嘘だと思うなら、ハンバーガーを食い続けがら、この映画を見ると良い。この場面で手が止まらなければ、そいつは鈍いか胃下垂かどっちかだ。

 しかし我々が止まってしまっても、モーガンは食べ続け、太り続け、体調が悪いと訴え続ける。食べた瞬間はハッピーだが、そのあとは気分は最悪だとか、今日は頭痛がするとか、胸が苦しいとか。医者からは「それは完全に中毒症状だ」とか「肝臓がおかしくなってきている」などと言われる。どうやらマックの大量摂取は、アルコールの大量摂取と似たような効果を内臓に与えるらしい。それを見る我々はすでに急逝マック中毒とでもいいたいような、膨満感と倦怠感に囚われ、しかも少しでも腹がこなれてくるとなんとなくポテトなんかをつまんでしまい、また胸の苦しさと身体のだるさをかこつのである。「確かにこれは中毒症状だ」ひとりが言った。「なんだか酔っぱらっているみたいな感じになってきた」別のひとりが言った。確かに飲み会中盤以降の感じと身体の反応がよく似ている。身体の節々が痛かったり、変な汗を出していたり。
 画面の中ではモーガンが、体脂肪を7%増やし、体重を十キロ増やし、コレステロールはじめあらゆる数値が不健康であることを示していた。
「まさかこんなことになるなんて、予想を超えている」画面の中で医者が言った。
「まさかこんなことになるなんて、予想を超えている」画面の外で我々は口を揃えた。それでもポツリポツリとポテトに手を出し続けたのは、断言するが義務感からでも口寂しいからでもなく、アディクションのなせるワザだった。そしてまたウンザリした気分に逆戻りするのである。
 二時間が過ぎ、モーガンの挑戦は終わった。途中、アメリカの給食制度の問題、2リットルのソーダを毎日4本ずつ飲んで、失明しそうになったおっさんの胃のバイパス手術の取材。イエス・キリストは知らなくても、ロナルド・マクドナルドなら分かる子供たち、アメリカの憲法前文は言えなくても、ビッグマックの広告なら唱えられる大人たちの映像など、見る人が見ればショックな映像も流れていた。ダイエットに成功した男が人生の成功者であるかのように太った中学生を励ましていたり、31アイスクリームの社長が家の庭のプールがアイス型で、毎日主食はアイスだったから、そうとう病んだという話をしたりなんてエピソードもあったような気がするが、もはや素面とは言えない状態だった俺は見た途端に忘れていったというか、いま思い出そうとしてもそれらが時系列順に並ばない。
 とりあえず、映画が封切られてからマックはスーパーサイズの中止を発表したというアナウンスとともに映画は終わった。しかし我々の食事はまだ終わらない。ひとりが散歩に出掛け戻ってくるあいだに、のこりのふたりは雑談をしたりもしたのだが、段々と部屋の中で思い思いの別行動を取り出す。しかしみなが定期的にポテトの所に戻っては、もはやちっとも美味くない冷め切ってパサパサモッタリのポテトをパク付いては辛いようとこぼし、また適当に別行動、しかるのちにポテトをボソボソ食べるという、客観的に見れば、何が決まっているのか(マックだ)というような、状況がずっと続いていく。しかも主観的には、別段、義務感だのもったいないだのではなく、なんとなくポテトに手が伸びるのである。畏るべしマック。

 家へ帰る道すがら、俺はディックの「暗闇のスキャナー」のことを思い出していた。アンチ・ドラッグノベルとして書いたという作者の言葉とは裏腹にめっぽうドラッグへのあこがれを煽っていると言われるあの本(読んだけど、内容は忘れてしまった。ここの評言は創元文庫の解説に書いてあったような気がする。間違ってたらごめん。)同様、このアンチマック、アンチファストフードを意図したのではないかと思われるこの映画は、少なくとも我々にとって、ことこの半年くらいはマックへ入った憶えもない俺にとって、むしろマックに興味をそそる最大のCM映画として機能した。そして思うのだ、どんな崇高な意図があろうと、どんな緻密な勝算があろうと、一ヶ月マックだけ食って過ごしたモーガンはやっぱり狂っていると。

 明日はふつうのごはんが食べたい。