伊藤計劃 虐殺器官

 第一回PLAYBOYミステリー大賞国内編第一位の作品。

ポスト9・11罪と罰を描く衝撃のデビュー長篇

 と帯には書かれている。友人が、何はさておきこれだと勧めてくれたことがあって、そのあとすぐ買ったのだが、ずっと読まずに放っておいた。のだが、なんとなく先日読み始めてみたところ、出だしに掴まれてしまった。

 みんな死んでいる。
 みんな死んでいた。扉を開けると、そこにはぼくの母親がいて、すでに葬儀屋がワシントンの州法で義務づけられた防腐処理をすませている。エンバーマーがきっちりと表情をつくり、化粧もじゅうぶんにほどこされ、永遠に凍りついた偽りの安らかさをたたえている。
「ほら、ごらん、お前のうしろを。すべての死者たちがすぎゆくのを」
 母さんがそう言ったので、ぼくは振り返る。すると、そこには広大な世界が広がっていて、死者たちがぼくに手を振って微笑んでいる。そこには、人類が同胞を埋葬することをおぼえて以来のすべての死者がいる。かたちが保たれているものもあれば、さまざまに欠損しているものもいる。頭のない死者がどうして微笑んでいるとわかるのか、ぼくにもさっぱりわからなかったけれど、それでもやっぱり彼は微笑んでいて、自分の腹からこぼれ落ちる腸をどうしたものかと所在なげにもてあそんでいる。
「みんな、死んでいるんだね」
 ぼくはそう言って死んだ母さんのほうを振り返る。母さんはうなずいて、ぼくを指さし、
「そうよ。ほら、お前のからだをごらん」
 そこでぼくが自分のからだを見ると、それはすでに腐りはじめていて、はじめて自分が死んでいることに気がつく。

 はるかかなたでは、人類の歴史がはじまって以来すべての死者たちが河となって、ゆるやかにいずこかへと行進を続けている。
 ここは死後の世界なの、とぼくは母さんに訊く。すると、母さんはゆっくりと首を振った。子供のころ、そうやってぼくの間違いを正したあのしぐさで。
「いいえ、ここはいつもの世界よ。あなたが、わたしたちが暮らしてきた世界。わたしたちの営みと、地続きになっているいつもの世界」
 そうなんだ、とぼくは思う。安心して涙がこぼれた。

「人類の歴史がはじまって以来すべての死者たちが河となって」というやたら壮大なイメージ。これが俺には非常に強いフックとして働いた。で次の引用部分でノックアウトされた。

     2

 ぼくの母親を殺したのはぼくのことばだ。

 たっぷりの銃とたっぷりの弾丸で、ぼくはたくさんの人間を殺してきたけれど、ぼくの母親を殺したのは他ならぬぼく自身で、銃も弾丸もいらなかった。はい、ということばとぼくの名前。そのふたつがそろったとき、ぼくの母親は死んだ。
 これまでぼくはたくさんの人間を殺してきた。おもに銃と弾丸で。
 刃物で殺したこともあるが、正直言ってあまり好きなやりかたじゃない。同僚にはその種のやりかたを専門に請け負うプロフェッショナルがおおぜいいる。背後から音もなく接近し、喉笛を切り裂き、次いで獲物を構えた両腕の腱を断ち、そのまま内腿の大動脈を切り裂いて、最後に心臓に突き立てるまで、三秒とかからない連中が。
 その種の技術を極めようとは思わないが、必要とあらばこなす自信はもちろんあるし、それになにより馴染みぶかい銃と弾丸で、ぼくはこれからまだしばらくは殺し続けるだろう。というのも、二〇〇一年のある朝、ニューヨークに建っていたのっぽなふたつのビルに、航空機が勢いよく突っこんだからだ。

 最初の一行目で母の死について語られるんだろうな、行空きで過去に飛ぶんだろうなと思ったら、なんとまあ、お袋の話なんざ飾りみたいなもので、全然関係ない話が展開していく。次に母親の話に焦点が定まるのは5頁あと。そのあいだ、母親のことが気になって気になって仕方ないが、目の前の世界設定の語りにも魅力的で「ほうほう、そうなのか(ところでお母さんの話はどうなったわけ)」と思いつつ、頁をめくった。
 すくなくとも第一部は著者が意図してやろうとしている「英語の語り方(フレーズ単位ではなくて)をそのまま日本語で」という書き方は成功していると思った。スタイリッシュだとかスマートだとか言うのではなく、たしかに英語っぽい。SFだとかエンタメとしての斬新さだとか、アイディアの面白さ以前の問題として、こんな語り方ができるのかという驚きがあった。これは「池袋ウエストゲートパーク」や石川淳の短篇や「フリッカー式」を初めて読んだときに近い気分(あくまでも俺個人の話で、ここに名前を出したどれとも本書は似ても似つかない)。とりあえず引用部分を読んで「お、なんか気になる」と思われた向きは読んで損はしないはずである。全頁というわけにはさすがにいかないけれども、かなりの割合で著者は人工的に生んだ、英語に似せた日本語の作成に成功している気がする。


 と、文体の話ばかりしてしまったのは、それがあまりに鮮烈だったからで、きっとストーリーやらアイディアやらについての話は余所のブログが散々してくれているに違いないと信じている。個人的には「虐殺の文法」というアイディアは気に入った。
 それにしても、つくづくと残念なのは、もう新作が読めないってことだな。中島敦の同時代人が味わった気分はこんな風だったに違いない。

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追記:他の人はどんな感想を書いているんだろうと思ったらあるわあるわ。で、引用したくなった記事を一覧にしてみた。あんまり多くなってしまったので、なんとなく気が引けるから、トラックバックは飛ばさない。

多くのSFオタはこれを読んで「俺がそのうち書こうとしていた」もしくは「こういうの読みたかった」と思うことだろう。

2007-06-26 - mmtakaの日記

読みながら、あ、もう「象られた力」(旧版)は用済みになったかな、という感慨が脳裡をかすめました。

2007-06-29 - 題材不新鮮 SF作家 飛浩隆のweb録

虐殺器官』は、そうした現代から攻殻機動隊に至る前の社会と近未来戦を書くことをポスト福井晴敏的に描くことに成功しているスゴイ作品だ。

2007-06-30

君よ、真の悲劇の目撃者となれ!

「ぼく」には向かない宿業 - 虚馬ダイアリー

ほんの数年前であれば、講談社ミステリが文学の世界を揺さぶっていた。

だが、少なくとも今年に限って言えば、間違いなく早川SFだ。

つまり、円城塔の『Self-ReferenceENGINE』であり、宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」であり、そしてこの伊藤計劃虐殺器官』だ。

伊藤計劃『虐殺器官』 - logical cypher scape2

 『ときめきメモリアル』の人間観と『虐殺器官』の人間観にはなるほど何か通底しあうものがある

2007-07-18 - 帰ってきたへんじゃぱSS

結論として、冒頭に上げたようにこの小説は、

* 凄いか凄くないかと聞かれれば、間違いなく「凄い」
* 面白いかつまらないかと問われれば、「面白くない」

虐殺器官 - 三つ編み外様大名

つまり、スターリングもイーガンも山田正紀もチャンも書いていないことが、書かれていたというわけ。

伊藤計劃『虐殺器官』 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)

この作品で描かれる悪夢的な未来は、決して新しいものではない。この時代に生きているものなら、誰でも薄々は「虐殺器官」的な世界を想像したことがあるはずだ。しかし、誰もこんな風には描けなかった。SFのレーベルから発売されている小説で、舞台設定も未来なんだけど、そこで描かれているのは、圧倒的に現在。どこか、いつか、の話じゃない。僕らの、僕らの戦っているこの戦場についての物語だ。

セックスフレンドじゃない - 未来の蛮族

この本は今年のベスト5に間違いなく入る本です。この小説が何か賞を取らないのはおかしい。

http://d.hatena.ne.jp/tatsumidou/20071123#p1

な、何だこの本は・・・。バカミスと言えばいいのかガチSFと言えばいいのか、何だかとっても危ういところでバランスを保っている奇跡のような作品なんだと思うんだぜ?

小説感想 伊藤計劃「虐殺器官」 - 積読も読書のうち?

どのジャンルも強かに利用し、そしてどのジャンルにも礼儀を尽くしているからだ。それでいてジャンルに縛られていない。ジャンルを否定する小説としての理想型に近いものがある。

虐殺器官 伊藤計劃 A- - 棒日記VII -Life without art is stupid-

これほど徹頭徹尾、サイバーとか技術とかガジェットとかに誠実な小説は読んだことがない。

http://d.hatena.ne.jp/atnek/20080121/p1

テロとの戦いが舞台となっている点は『華氏911』(マイケル・ムーア) *2と一見共通しているかのように思えますが、根底に流れるものは焚書世界を描く『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ) *3や『リベリオン』*4の方が近いかも。

虐殺器官 - デトネイター・オーガンも平和を侵す侵略者を裏切る - 読丸電視行

SFの夜明けは近いぜよと坂本竜馬のごとく語ってしまいそうになった大傑作。

虐殺器官 / 伊藤計劃 - 誰が得するんだよこの書評

 どのくらいすごいか?といえば、今日仕事を休んで、ほかのことをしようと思っていたのに、そのほかのことをしつつも、ちらちらとこの本を読み、そして、ついには、そのほかのことを諦めて、この本を読みきってしまうというくらいに、すごい。

http://d.hatena.ne.jp/cookingalone/20081107

5年後にこの本を読んでもその魅力は半減してしまうのだろう。その時代において共有されているコンテクストが変わってしまうからだ。この本が2007年に書かれていたことは衝撃ではあるけれど、2010年には賞味期限が切れるだろうと思う。そういう意味で、「虐殺器官」は2009年が一番の旬なんじゃないだろうか(と、2009年にしか読んでいないオレが言う)。

第13惑星

中盤のジョン・ポールのまじめな語りで、ときメモネタがでてきたのには壮絶に吹いた。

2009-05-17

2013/06/13追記文庫版とキンドル版にも、それぞれリンクしておく。キンドル版は確認時の価格が571円だった。
まず文庫。
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こっちがキンドル
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