ヴァージニア・ウルフ片山亜紀訳『自分ひとりの部屋』

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)
ヴァージニア ウルフ Virginia Woolf

4582768318
平凡社 2015-08-27
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 本屋で棚を眺めていたら、『自分だけの部屋(amazon)』というタイトルの背表紙が見えて、なんか面白そうだぞと手に取り、値段がいささか高かった(みすずのハードカバーなのでね)ため、スルーすることにし、そのあと文庫コーナー見てたら新刊っぽく並んでいたのが本書。わあタイミングのよろしいことでと購入した。微妙にタイトルが異なっている(のに今気がついた)が、内容は同じもの。

 でもねえ――と、みなさんはおっしゃるでしょう。〈女性と小説(フィクション)〉について話してください、とお願いしたんです。〈自分ひとりの部屋〉なんて、いったい何の関係があるんですか?
 ご説明しましょう。女性と小説の話をしてほしい、との依頼を受けたわたしは、川のほとりに腰を下ろして、この言葉の意味を考えてみました。
(略)
 わたしにできるのは、せいぜい一つのささやかな論点について、〈女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない〉という意見を述べることだけです。したがって、女性の本質とは、小説の本質とは、といった大きな問題には答えられません。これら二つの大問題に結論を出さねばならないという義務から、わたしは逃げ出します。女性と小説という問題は、わたしにとっては未解決のまま残ります。
 それでも、せめてものお詫びのしるしに、〈個室とお金〉についてのこうした意見にわたしがどのようにしてたどりついたのか、これからできるだけご説明したいと思います。

 と、とぼけた、というかリラックスした雰囲気を漂わせながら話は始まり、速攻で語り手は作者から虚構の語り手にバトンタッチされて、引用された結論に向けたお散歩(とでも言えばいいのだろうか)が始まる。
 上に書いたように、購入理由は「タイトルに惹かれた」だったものだから、中見てびっくりな話題と申しましょうか。そんな話が始まるとはかけらも思ってなくて、冒頭多少のとまどいを覚えた。いや、悪いのはなかを確認しなかった俺なんだが(というか、それよりも、タイトルが微妙に違っていることに気づいとけって話で。見較べると、やっぱりハードカバー版のほうがタイトル素敵に思えるぞ)。
 解説によると、原著は1928年に行われた講演をもとにして翌1929年出版されたもの。半年で2万2000部が売れた。著者の本としてはかなり好調な売れ行きだったらしい。
 内容についてどう思ったかは何を書いても本書のスマートさには遠く及ばなくなるに違いないので省くけれども、語り口が軽やかなのは強く印象に残った。ウルフがそう書いているのか、訳者がそう工夫したのか、はたまたその両方なのかはわからないが、煽られるとか不愉快になるとか、そういう感情とは無縁のまま、「ほうほう」と読んでいくことができた*1。これは二重に意外だった。ネタがネタだし、著者についても、妙に難しいというイメージしかなかったので、こんな軽やかな語りが飛び出してくるとは思いもしなかった。ちょっと身構えない気分で著者の小説を読んでみようかなという気にさえなった。ついでに言えば、本書は男女の不平等という個別の案件を語りながら、マジョリティ/マイノリティの話全般としてもそのまま使えるような普遍性が備わっているような気がした(なんでフォンX教授は怒っているのだろうという考察とか、絶対に男性/女性の話だけにとどまらないと思う)。そういう語りのできる小説家の作品はたぶん面白いのだ。
 最後に触れておきたい点がもうひとつ。この本がいい本だと思えた理由のひとつは、時折見られる著者の勘違いを訳者が訳註で指摘している点にある。訳文の読みやすさに加えて、ほんとに痒いところに手の届く丁寧な仕事だと感心した。

*1:ただね、1語だけ首を傾げる訳語があって、『女性の精神的・道徳的・身体的劣等性』という本を執筆中のフォンX教授とそのお仲間のことを「連中」って言うんだけど、これ、もしかして原語はtheyなんじゃないかと思うのね。前後の雰囲気からして。こちらの読み違えでなければ、ここは感情的にニュートラルな訳語のほうがよかったように思った。「彼ら」でいいんじゃないかなあ。