西洋絵画の父「ジョットとその遺産展」

 損保ジャパン東郷青児美術館にて。本日最終日ということもあってか、なかなかの盛況だった。ジョットは大学の授業で眺めたときに、なんとなく好きになった画家だったのだが、以来追いかけることもなく、ジョットがイタリア人だったことも知らず(なぜか北欧かロシアの人だと思いこんでいて、このあいだ知り合いから「イタリア人です!」と教えてもらった)今日に至っている。というのはなんとなく好きの理由が「どことなくコミカル」だったからなのではないか、というのがどうでもいい自己分析。
 最後の晩餐がモチーフの絵は聖人の後光がお皿状に表現されているせいで手前の列にいる人の顔が見えなかったりしたのが非常に強い印象を残していた。で、それの実物が見れたらラッキーと思って言ってみたのだが、それは来ていなかった。
 展示されている実物をちゃんと見てみると、コミカルってのも違ったみたいで、いったい当時の俺は何を見ていたのかと。ジョット作のものに限らず、聖母マリアを描いた絵はどれも眼が怖い。「嘆きのマリアたち」という絵に至っては嘆いているのか、はたまた何かを嘲笑っているのかも判然とせず、実に不気味だ。
 どんな場面を描いていても、そこにうっすらと閉塞感が漂っている(ように感じる)。唯一の例外はラピスラズリの突き抜けた青が眩しい背景の空で、その頃のイタリアは空だけが抜けるように鮮やかな憂鬱な場所だったのかもしれないなんてことをいま考えた。見てるときはこりゃあなんじゃろうと思っていただけ。あ、聖ドンニーノのエピソードを題材にしたジョバンニ・デル・ビオンド作《斬首された自分の頭を拾い上げ、埋葬地を探して川を渡る聖人の奇跡、聖ドンニーノの埋葬》は閉塞感の中で飛び越えてどっかの境地へと出ている感じがあった。
 他印象が強かったのはスクロヴェーニ礼拝堂壁画の中の「最後の審判」とユダがキリストに口づけする場面を描いた絵。後者のキリストの横顔は実にクールかつセクシーで、歴史の正確性云々抜きに格好良かった。俺はモデルのパトリシオが好きなのだが、その系列の格好良さを感じた。閉塞感のある絵が多い中、これだけはドラマチックなカタルシスを感じさせると思った。
 知識がないので適当な感想にしかなり得ないけれど、なかなかに楽しむことができた。ジョットを呼んでくれた人たちに感謝したい。