「高校英語、英語で教えるべし」学習指導要領の改訂案

http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200812220292.html

 文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基本」と明記し、教える英単語数も4割増とする。
(中略)
 経団連が00年に出した意見書「グローバル化時代の人材育成について」で「小中高で英会話を重視」「生きた英語に」と財界の要望をうたったことも底流にある。

参考高等学校学習指導要領案(PDF)
 優秀なビジネスマンになる人材を育てるプログラムという意味では正しい方向転換じゃないかと思う。中学校もそれに合わせていまのでたらめなカリキュラムが是正されるなら、まあ良いんじゃないだろうか。
 ただ中堅校以下(ブクマでは底辺の話してたけど、これが実行されたら底辺どころか公立ならトップ校以外はすげーことになると思うぞ)には、英語で留年はないよみたいなセーフティーネットを作っておかないと三年で卒業できない奴が大量発生しそうな気がする。
 むしろ並以下の高校は今だって高三にならないと「前置詞」って言葉を知りませんとか、授業は和訳プリントが配られるので、自分で訳はやりませんとか、そんなんばっかなので、この件が実質的な影響を与えるということはあんまなさそう、というか、文法教えようとしない英語教師がその上会話もできなくて退職なんて展開なら数年で見違えるほど教育環境良くなるかもしれない。本当に現状は凄まじいものがある(全部の学校じゃないだろうけど、俺の見聞する限り、目眩がする話が一杯)ので、この路線変更は気分的には歓迎したいなあ。
 というか、これはエリートを作りましょうってプランなわけだから、いっそのこと英語を必修にしない学校とか設置したらどうなんだろう。大学受験に関わるっていうかもしれないけど、進学メインじゃない学校だってあるんだし、そういうところで使う当てもない外国語やらされる空しさから解放するのは悪いことではないんじゃないかと思う。いや、その空しさってのは大学入ったあとにやらされた英語の授業で俺が感じたものだったんだけど。なんのために? ってとこがわからないでやる語学は正直キツイ。教わる方もキツければ教える方もキツいと思う。結果、グダグダのループが始まるんじゃないかという気がする。
 エリート養成プログラムを敷くんだったら非エリートにまで付き合わせる必要はないんじゃなかろうか。推薦とかAOとか入試も色々バリエーションがあるんだし、全員を世界で活躍する人にしなくてもいいだろう。
 なんかグチャグチャしてきたからまとめると、イメージ的には学校の偏差値で三段階くらいに分けて一番上はカリキュラム通りにやる。真ん中ラインはカリキュラム通りの授業に救済策を付ける、それ以下の学校では英語必修を止めるというのがは良いのではないかと個人的には考える。
 じゃあその前の中学校はっていうと、授業について行けた人間はトップ校のカリキュラムに乗れる程度の単語力と文法知識が身に付くくらいにはなれるようにするのが目標にならないとおかしいだろう。いまのカリキュラムは作られたときに役人が「これで落ちこぼれはいなくなる」っていったようなものだから、変更はそれは大変な作業になるだろう。
 問題はマス・メディアのネガティブキャンペーンに踊らされた連中の声を文部科学省がどこまで無視できるかだな。
 すくなくとも、前回の底辺に焦点絞ってできあがった、平均レベルを引きずり下ろすようなカリキュラムよりは今回の変更は希望が持てるはずだ。

 なお、文部科学省では平成20年12月23日(火曜日)〜平成21年1月21日(水曜日)までパブリックコメントを求めているそうなので、意見を言いたい人は送ってみるのもいいんと思う。賛成にせよ反対にせよ、注目されていることを教えるのは、適当なことをさせない結果になるはずだし。
 ただ、送る前に理解して欲しいのは、どんだけ簡単にしたところで、落ちこぼれゼロの世界はありえないと言うことと、難しすぎるから反対だというのは、学習者の可能性を試さず潰すことにもなりうるということだ。