頭が良いの具体例柴田国明のパンチテクニック

 あちらこちらで「勉強ができる」と「頭が良い」の違いみたいな話が噴出中で、このふたつを分ける人と勉強ができた人のあいだで相当意見が違うみたいだ。
 自分的には「頭が良い」というフレーズは相当色々な用法で使わる基本語だと思うので、分けるのか分けないのか考えても不毛だなあと感じる。「勉強ができる」というのはパターン処理の速度と正確性が突出しているという意味で、他にも「問題設定ができる」とか、「適切な状況把握ができる」とかも「頭が良い」の用法としては入ってくるんじゃないかと思う。あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則に基づくなら、そうした能力はそれを伸ばすような訓練にどれだけ時間を割いたかということになるので、当然そこから外れた部分の進歩は特化した部分と同じペースでは進まない。
 にも関わらず我々は圧倒的能力差を見せつけられると、つい妬ましさから訓練されてない部分を攻撃して、能力差を見せつけた人間の価値を引きずり下ろそうという行動に出がちだ。特に優秀というマークを付けられた人間にはオールマイティーを期待することが多いため、欠落部分を見ると期待値との差が大きくて妙にそれをあげつらいたくなる。そのときに使われる基本語が「馬鹿」や「頭が悪い」になるだろう。これも無限に近い用法があるので、正直、全用法を駆使すれば使った奴が間違っているとは証明できない無敵ワードではないかと思う。逆に根幹用法に絞り込んだら「おまえが気に入らない」という意味しか残らないだろう。空気が読めないのも頭の悪さなら、自分の意見を持たないのも頭の悪さになるという具合にAも反Aも頭が悪いカテゴリーに入ってきてしまうからだ。「頭が悪い」といわれたときに有効な言い返しは「おまえこそ頭が悪い」だけなのだ。
 そんなわけで「頭が良い」という言葉も広くとれば、内容は無限に化ける、つまり「誉めてます」って以上の意味はないんだろうなあと思いつつ、自分が「おお、頭が良い」と思うときがどんなときかを考えてみたら、出てきたのは「喋るプロ」の姿だった。喋りのプロではなくて。あくまで「頭が良い」の一用法だけど。
 たとえば先日、競馬の三浦皇成騎手が自分の勝ったレースをビデオを見ながら解説していたのを見たときに、再話されるレース中の思考を聞いて「頭良いわあ」と思った。あとイチローや落合がバッティングのことを喋るときにも頭が良いなあと感じる。しかし長嶋には感じない。それからファイティング原田にも感じない。
 差はどこにあるのかと言えば、身体が覚えたことを通じる言葉に纏められるかどうかということに尽きるのではないかと思う。長嶋も原田も自分の身体が反応する基準であったり、ある局面で自分が何を考えているかということを説明できる言葉を持っていない。
 んで、今日全然関係ないことを検索していて見つけた頭が良いの具体例がこれ。

WBA、WBC3冠王、柴田 国明元王者パンチテックニックセミナー 7.19 2008
 柴田国明は米倉ジムに所属して二階級を制覇した名チャンピオン。リンク先ではその人自らが格闘クリニックのみなさんに指導をしている姿が見られる。どれもこれも何故そうするのかが見える説明で「おお、頭良い〜」と思っていたのだが、白眉は「リーチのある相手の制し方」という動画。なんとポイントが二の腕。それを動作と言葉で教えられるってのは凄い。深い。やってる人なら当たり前なのかもしれないけど、ど素人的には世界が広がるような感覚があった。
 そして同時に柴田氏が「エディ・タウンゼントがこう言った」と言っていることからも、この説明はエディ・タウンゼント直伝なんだろうと思うのだが、名トレーナーとして伝説になっているエディさんの言語化能力=頭の良さはやはり本物だったんだなと強く納得もした。

 正直、頭が良いとか悪いとかどうでもよくて、この動画を紹介する枕に使っただけなんだけど、ものの見え方の画像解像度が上がるようなことを言える人は「頭が良いなあ」と感じるな、やっぱり。もしかすると、この「頭が良い(悪い)」という言葉があるおかげで、自らの感じる何かをそれ以上詳しい言葉にする必要がないおかげかもしれないけれど。このふたつの言葉を使わないだけで、結構な日本語能力向上が見込めるかもしれない。ってそれは別の話だ。