ダニエル・カーネマン 村井章子訳『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか(上下)』

ファスト&スロー (上)
ダニエル カーネマン 村井 章子

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ファスト&スロー (下)
ダニエル カーネマン 村井 章子

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 いや、これ、面白かった。どう面白かったかって話のまえにとりあえず内容紹介引用しとく。

整理整頓好きの青年が図書館司書である確率は高い? 30ドルを確実にもらうか、80%の確率で45ドルの方がよいか? はたしてあなたは合理的に正しい判断を行なっているか、本書の設問はそれを意識するきっかけとなる。人が判断エラーに陥るパターンや理由を、行動経済学認知心理学的実験で徹底解明。心理学者にしてノーベル経済学賞受賞の著者が、幸福の感じ方から投資家・起業家の心理までわかりやすく伝える。

 ついでにウィキペディアからだけど、著者の業績も引用しとく。

プロスペクト理論

プロスペクト理論(prospect theory)は、不確実性下における意思決定モデルの一つ。選択の結果得られる利益もしくは被る損害および、それら確率が既知の状況下において、人がどのような選択をするか記述するモデルである。この理論は、1979年、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって発展した。
ヒューリスティクスとバイアス

心理学におけるヒューリスティックは、人が複雑な問題解決等のために何らかの意思決定を行う際、暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことを指す。これらは経験に基づく為、経験則と同義で扱われる。判断に至る時間は早いが、必ずしもそれが正しいわけではなく、判断結果に一定の偏り(バイアス)を含んでいることが多い。ヒューリスティックの使用によって生まれている認識上の偏りを、認知バイアスと呼ぶ。
ダニエル・カーネマン、ポール・スロヴィック、エイモス・トベルスキー共著、『Judgment Under Uncertainty: Heuristics and Biases』、1982年、およびT・ギロヴィッチ、D・グリフィン、ダニエル・カーネマン共編、『Heuristics and biases: The psychology of intuitive jadgment』、2002年参照。

ピーク・エンドの法則

ピーク・エンドの法則(Peak-end rule)とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まるという法則のことである。

 はあ、そういう系の本ですね、人間が不合理な判断するってあれでしょと思った人はまったく正しく、そんな系の本である。なんだけども、「人間の不合理な判断」って言い方を著者は好まないとのこと。

合理性を一貫性として定義する以上、あらゆるものに一貫してこのルールを適用しなければならない。つまり限られた思考力しか持たない人にはとうてい実行できないような、論理規則を厳守しなければならない。この定義では、ふつうのまともな人は合理的にはなり得ない。だからといって、この人たちに不合理というレッテルを貼るべきではないだろう。不合理というのは強い意味を持つ言葉であり、衝動的、感情的、道理に対する頑固な抵抗といったものを想起させる。エイモスと私の研究は「人間の選択が不合理であることを示した」といった説明つきで紹介されることが多いが、そのたびに私はうんざりしたものだ。実際には私たちの研究が示したのは、合理的経済主体モデルではヒューマンをうまく記述できない、ということだけである。

 ここでヒューマンって書き方をしているのは、経済学が想定する合理的な判断しかしない人間が「エコン」と呼ばれてて、そんなやつはどこにもいないという話の流れがあるから。でそれにたいして、直感的に判断を下す速い思考(大抵はこれでうまくいくけれども、速い分さまざまな場合に体系的にエラーを起こす)と、遅い思考(遅い分ちゃんと考えるがなかなか作動しない)を持っているごく普通の人間のことをヒューマンと言っているわけ。

 で、なかに書かれていることの大半はググれば出てくるだろうからすっとばします。
 本書が類書(これとかをソースにしてざざっとまとめてくれた本やら、別の研究者による真面目な解説書とか)と違うところは、上の引用に出てきたエイモスの存在である。このエイモスさんことエイモス・トベルスキーは1996年に亡くなっているのだけども、プロスペクト理論の開発やらバイアスの発見やらをカーネマンと一緒に行ったパートナーだ。ということは上巻の冒頭で説明がある。で、これは自分たちがどうやってそういったバイアスを見つけたり理論を組みあげたかって話を実験の設定説明やら結果の解説やらと一緒に語っているので、超一流心理学者の青春グラフィティという色合いも浮かんでくる。そしてそこには大抵エイモスがいるのである。亡くなっているエイモスが。そのため、すべてのエピソードは亡くなった友人への挽歌のような色合いを怯えている(いや、表には欠片も出てこないんだけど、読むほうとしてはどうしてもそんな気分が生まれるって話で)。これが本書の個性だと思う。心理学の本に著者の個人的エピソードが出てくるのは経験上それほど珍しくないのだけど、片っぽが亡くなっていると明示されているせいで、それらのエピソードすべてがもうここにはない時代をどうしても想像させて、なんか著者の人生を垣間見たような気になる。この手の本で、こういう気分になったことはちょっと記憶にない。
 人間がどう不合理な判断をするのかってことに興味のある向きには、ほかの本読むよりこっちがいいよとちょっと言いたくなる感じの独特な温かさ(とも違うんだけど、なんて言ったらいいのやら)があって、読み出したときに想像したものとだいぶ違っていた。これはかなりいい本だと思う。

 ちなみに、こういう本を読むときの色気のひとつに、判断間違えそうな局面で正しい判断ができるようになるみたいな希望があるかと思うのだけど、その効果についてカーネマンは次のように述べている。

経験から言うと、システム1にものを教えても無駄である。私自身の直感的思考は、ささやかな改善(その大半は年齢によるものだ)を除き、相変わらず自信過剰、極端な予想、計画の錯誤に陥りやすい。その度合いは、この分野の研究を始める前と、じつはさして変わらないのである。私が進歩したのは、いかにもエラーが起こりそうな状況を認識する能力だけである。「この数字がアンカーになりそうだ」「問題のフレーミングを変えたら、この決定にはならないだろう」といった具合に。一方、自分が犯したエラーではなく、他人のエラーを認識することにかけては、大いに進歩したと思う。

 エラーが起こりそうな状況を認識する能力だけでも進歩すれば御の字と思っておくといいのかもしれない。最後の一文は真理過ぎて笑った。
 繰り返すけど、なかなかに面白くよい本だった。