本書の存在を知ったのは、保坂和志のエッセイで、そのときは引用を読んでちょっと面白そうと思いつつスルー、少しして河出の世界文学全集に収録されているのを見たけれど、値段が高かったのでこれもスルー、で、それから数年岩波文庫に入ったのを見ても、まだスルーしつつも、やっぱり気になり続け、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で言及があったのをきっかけに、なんとなく立ち読みしたら、冒頭の
父は、わたしにやし酒を飲むことだけしか能のないのに気がついて、わたしのため専属のやし酒造りの名人を雇ってくれた。
というくだりがじわじわ来たので、読んでみようと手に取った。
これが、この文を書き始めるまでの「ぼくが『やし酒飲み』を読み始めるまでストーリー」としておれが認識していた事実だった。
が、なんということであろうか。せっかくだから言及箇所を引用しようと思ったら、まず保坂和志が取りあげた場所は見つからなかった。あれれと思いつつ、河出の世界文学全集の書影を見に行けば、思っていたのと色が違っていた。ふむむ、と思いつつ、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に当たると、チュツオーラへの言及はなかった。ということは、冒頭の段落はなんつーか、フィクションだった。事実に即して書き直してみると、
本屋で立ち読みしたら冒頭が笑えたので読むことにしました。
これだけのようである。大丈夫か、おれ。
それはさておき、本書のあらすじ。
「わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった」――。やし酒を飲むことしか能のない男が、死んだ次分専属のやし酒造りの名人を呼び戻すため「死者の町」へと旅に出る。旅路で出会う、頭ガイ骨だけの紳士、幻の人質、親指から生まれ出た強力の子……。神話的想像力が豊かに息づく、アフリカ文学の最高傑作。作者自身による略歴(管啓次郎訳)を付す。(解説=土屋哲・多和田葉子)
とこんな感じで、あちらの村からこちらの村へ彷徨いつつ、いろいろおかしな人物やら生物やらと邂逅し、あるときは難題を持ちかけられ、あるときは殺されそうになり、年単位で休息したりしつつ、十年かけて「死者の町」へ辿り着く。その道中はちょっとガリヴァー旅行記を連想させるが、海は一度も出て来ない。ずっと森。でもって神話的想像力が紡ぐ現代の神話というよりも、まんま神話みたいな淡泊さで、主人公はほとんどの場面で素面。
ちょっと面白いなと思ったのは、「不帰(かえらじ)の天の町」というところに迷い込んだ主人公夫妻(妻は頭ガイ骨の紳士が出てくるエピソードで娶った)がそこを脱出したあと、大きな手につかまって木のなかへ入っていくくだりで、ふたりが戸口の男に「わたしたちの死を売り渡し」「わたしたちの恐怖を貸与」してしまうところ。恐怖は返ってくるが、死は売ってしまったので、手元に戻らず、これ以後ふたりは不死になる。今まで知っている話で不死を扱うときには「不老不死の代償は○○」みたいな構図が支配的で、言ってみれば不死は何かを対価にして受け取るサービスだったが、本書では死を売り渡す財(ちなみに値段は70ポンド18シリング6ペニー)と捉えていて、興味深かった。
もうひとつはある町で主人公が判決をくだすようにと言われたエピソードの中身。Aさんは借金をするをなりわいとして生まれてこの方すべての借金を踏み倒している。友人のBさんはそんなAさんに金を貸し、踏み倒されたが、取り立てをなりわいとしているCさんのことを知り、取り立てを頼む。今まで一度も金を返したことがないAさんと取り立てに失敗したことのないCさんが大げんかを始め、それを見物人のDさんがにやにやして見ていると、
小一時間ほど猛烈に二人で争ったあげくの果てに、一ポンドを借りた債権者の方が、やにわにポケットからジャック・ナイフを取り出し、自分の腹部を突き刺し、どっと倒れて、その場で息を引きとってしまった。これを見て、今度は相手の方の債務取立人が、すっかり泡をくってしまい、自分が、仕事をはじめて以来、この世の中で債務を取立てられなかった債務者は一人もいないという誇り高き人間であることを思い出し、もしこの世で彼(債務者)から一ポンド取立てることができないのならば、天国まで行っても絶対に取立てみせると言って、これまたポケットからジャック・ナイフを取り出し、自分を突き刺し、どっと倒れて、その場で息を引きとってしまった。
ところが今度は傍に立って見ていた男までが、そのけんかに非常な興味を覚えてしまい、是が非でもその結末を見届けたいものだと言って、天国で争いの終末に立ち会おうと天に向かって飛びあがり、その同じ場所にぶっ倒れたかと思うとそのまま息を引きとった
この設定めちゃくちゃ面白いのに、こんなあっさり書いちゃもったいよなあ。ほかのエピソードにしても全体に駆け足な部分が多く、想像力溢れる読者にはこの本文170ページ弱の物語が大長編のように思えるかもしれない。
また原書は「風変わりで不正確な英語語法」で書かれているらしく、訳文もそれを反映しようとして「だ・である」調と「です・ます」調を混在させている。妙に読みにくいと感じる部分も結構あったが、それももしかすると原書の風合いを移植しようとしてわざとやっているのかもしれない。
個人的な趣味からすると、せめて「やし酒飲みを捜す」というモチーフで全体をまとめてほしかったなと思う。詳しくは書けないのだけど、読み終わったときに全体を見渡しても、くっきりした筋は見えにくく、その点は首を傾げた。読んでるときはそこそこ楽しいので損をしたとは思わなかったけども。
やし酒飲み (岩波文庫)
エイモス・チュツオーラ 土屋 哲
岩波書店 2012-10-17
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追記2014/03/12 自炊してたら保坂和志が本作に言及したエッセイが出てきた。書きあぐねている人のための小説入門(amazon)の一節だった。幻を見たわけじゃなかったのでまずはよかった。