文學大概 (中公文庫)
石川 淳
中央公論新社 1976-12-10
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目次(原文旧字)
- 文章の形式と内容
- 一 書かれたことばのはたらき
- 二 文章を殺すもの生かすもの
- 三 文章の美について
- 短篇小説の構成
- なにが作品の長さを規定するか
- 短篇とは何か――その名称のいろいろ
- 短篇の領域
- 俳諧初心
- 江戸人の発想法について
- 能の新作について
- 虚構について
- 雑文について
- 悪文の魅力
- 歴史と文学
- 文化映画雑感
- ラゲエ神父
- ことばと常識
- 牧野信一
- あけら菅江
- 鴎外についての対話
- ヴァレリイ
- マラルメ
- バルザック
- スタンダル
- アナトール・フランス
- 祈祷と祝詞と散文
- 二葉亭四迷
- 岩野泡鳴
- 岡本かの子
- 解説 丸谷才一
無性に石川淳が読みたくなったのだけど、体力続かなそうだったので本棚の奥で眠っていた本書を取りだした。期待した歯切れのいい文体は堪能したものの、やっぱり小説を読むべきだったかなあといった読後感。断言だけがあって説明が端折られまくっているような印象。そんななか面白いなと思ったのが「祈祷と祝詞と散文」だった。考えごと(荷風の「妾宅」とシャルル・ペギー*1のある論説のこと)をしながら動物園に行き、それから下町の場末のほうへ行って、町角の小汚いコーヒー屋に入ったというところから始まる。
で、そのコーヒー屋で鴎外のこととか荷風のこととか、ペギーのこととかをぼんやり考えている。以下の引用は新字真仮名に直した。
ところで、わたしの休んだコーヒー屋というのは、例の高級喫茶などと称して、ひょろひょろした女の子が禿げた壁紙に貼りついているような場所ではなかった。長方形のテーブルが三四台ならんでいて、テーブルの上にガラスの箱が置いてあって、箱の中にはパラフィンで包んだ南京豆の三角の袋があり、箱の上には手垢のしみついた古雑誌が積んであるような店であった。そして店内には小さい男の子の給仕が横行していて、客がなにか注文すると、とたんにどら声をはり上げて、ええ、コーヒー一丁、ええ、トースト一丁と、えげつなく吹聴する仕掛になっていた。まわりにいる客たちも、たいがいボーイに毛が生えたぐらいの、ジャンパーをきた若者ばかりであった。わたしのすぐそばに、そんな若者の二人づれがいて、こどもっぽくふざけながら、乱暴なことばづかいでしゃべりあっていた。わたしはコーヒー一丁の客となって、しばらく巷の青春に伍した。
すると、ラジオが鳴り出した。大本営発表のニュースである。もちろん景気のよい知らせである。店じゅうがしんとした。ラジオがやむと、わたしのそばにいた二人づれがいきなり立ち上がって、さあ、こっちも敵前上陸と行こう、と外に出た。(わたしは入口のガラス戸の近くにいたので、外に出た二人がよく見える。)今までこどもっぽく見えたその若者たちが急におとなびたようすで、改まったことばづかいになって、じゃ、いずれまた、どうも失礼しましたと、立てかけてあった自転車を引き寄せて、飛び乗ったかとおもうと、ぱっと左右に分れて、あとをふりむかず、春の真昼の日が光る往来にすうとはしり出して、遠くの軽いほこりの中に、もう姿は見えなくなった。
いつ書かれたとか気にしないで読んでいたのと、この本のなかで初めて(たぶん)場面らしい場面が出てきたのとで、ふんふんと読んでいって、二段落目で突然「大本営発表」が出てくる。作者が意図してないのはもちろんだが、読んでるこっちは何か叙述トリックにでもかかったかのような驚きがあって、この本で記憶に残るのはここだけだろうなと思ったのだった。まさか戦時中の描写とは思わなんだ。
このあと敗戦国(当時)のフランスを「あわれむべし」と書いたり、明治大正期に言及して「祈るべき神はとうの昔に死んでいる」と言ったり、結構突っ張っているようにも見えたが、ラストは空気に負けて書いているように読めて、まあこんなもんかというか、これがぎりぎりだったのかというか。
たぶん上に引用した部分以外は全部忘れてしまうだろうなあ。
*1:おれは知らない人だったのでリンク張っておく。ウィキペディア「シャルル・ペギー」