東山彰良『流』

流 (講談社文庫)
東山彰良

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講談社 2017-07-14
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 第153回直木賞受賞作。『火花』の芥川賞受賞がメディアで大きく取りあげられたときの直木賞

何者でもなかった。ゆえに自由だった――。
1975年、台北。偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。
内戦で敗れ、追われるように台湾に渡った不死身の祖父。なぜ? 誰が?
無軌道に生きる17歳のわたしには、まだその意味はわからなかった。
台湾から日本、そしてすべての答えが待つ大陸へ。歴史に刻まれた、一家の流浪と決断の軌跡。

 という大枠は正しいのだけども、正直、その枠を追いかける話なのかという気もする。祖父の事件は開幕と閉幕のために使われただけという印象。
 上記のようなあらすじを先に見て、読み始める。
 書き出しはこんな感じ。

 その黒曜石の碑は角が取れ、ところどころ剥がれ落ち、刻まれた文字もまたかなり風化していたが、それでも肝心な部分は辛うじて読み取ることができた。

 で、碑には語り手の祖父葉尊麟が、この地で住人五十六名を惨殺したとあり、語り手はそれを写真に撮る。場所は青島。定型っ田舎の光景が描写され、雄大な風景が頭のなかに広がる。で、語り手の最初の台詞が来る。

「同志、ついでにもうひとつ訊きたいんですが」わたしは腹をさすりながら重ねて質問した。「どこかにトイレってないですか?」

 いきなりずいぶん、矮小な話になった。
 運転手はすこし離れた道路脇の壁を指さす。そう、壁である。

わたしたち台湾人の感覚では、それはただの壁以外の何者でもない。しかし中国人があくまでそこはトイレだと言い張るのなら、わたしにはどうすることもできなかった。

 選択の余地はない。語り手は壁の陰に駆け込んだ。

 そこはたしかにトイレだった。前人の残していったものがちゃんとあり、わたしは嫌悪と安堵を同時に噛みしめた。が、いくら肛門よ裂けろ、裂けるなら裂けてしまえと力んでみても、下腹はまるでコンクリートでも詰まっているかのようにビクともしない。すぐに滝のような脂汗をかきだした。
 わたしはひとりぼっちで戦った。かつてこの場所で共産主義者と戦った祖父とは大違いだ。腹はきりきり痛み、出るものは出ず、大地を吹きぬける寒風のせいで尻は凍えるほど冷たい。おまけに違和感を覚えてなんの気なしにふりむくと、壁の上からのぞきこんでいる赤黒い顔があるではないか!
 わたしは仰け反り、尻餅をつきそうになった。尻餅などついたら、先客のものの上にすわりこんでいたかもしれない。尻餅などつかなくてほんとうによかった。

 覗き込んでいたのは、現地の老人で、語り手に「なにをしとるんだ?」と尋ねる。

 耳がおかしくなったのかと思った。もしだれかがトイレと信じられている場所で尻を出してしゃがんでいるなら、台湾や日本ではまずされない質問である。

 ここまで読んで、おれはこの話がとても好きになった。外国を舞台に物語を開幕させておいて、何はなくともまずトイレという不思議なオープニング、テンション低めな語りに突如挿入されるビックリマーク、尻餅尻餅尻餅と三度繰り返すことで滲むおかしみ。あらすじを見たときに予想したものとは相当な隔たりがあったものの、どれもが好ましかったし、正直、あらすじのイメージ通りの作品だったら、冒頭からこんなにうきうきしなかったと思う。話がどこへ向かうのかさっぱりわからなかった、というより、さっぱり気にならなくなって、次の文に何が書いてあるかを追いかける感じで読んでいったので、なんと祖父が殺されたときにはびっくりした。あらすじに書いてあったのに!←ちょっと使ってみたかった。
 個人的には、筋をまとめに入らなくちゃいけないという制約のある後半より、ほんとにどこへ向かおうとしているのかわからない前半に魅力が詰まっていた気がする。殺人事件はあるわ、幽霊は出てくるわ、初恋物語があって喧嘩があって、お祭りみたいな浮かれた気分で読んでいけた。
 あちこちのレビューをのぞくと、まあ詰まらないという人もいて(なかには「ただの創作じゃないか」と書いている人もいて驚いた)、日本語がおかしいなんて指摘もあった。気になるところは人それぞれで、おれも本屋の店員が「レシートを挾まさせていただいてもよろしいですか?」と言ったり、サッカー中継の実況で「選手の足が痛んでいます」とか言うのを聞くと意味はわかっても「はぁ?」と思ったりする口なので、引っかかる人がいるのもわかるんだが、この本は日本語に堪能な台湾人が語ってることになっているんだし、作者はわざとやってるに一票入れておく。そうした「変な日本語の使い方」が面白いと思って読めたのが根拠。
 作者のほかの作品も読まねばなるまい。

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