Roomの薔薇

 チェッカーズのRoomの話である。
 このエントリでこんなことを書いた。

当時から歌詞について一箇所引っ掛かっているところがあって、靴を履きかけてふと振り向いたときにあの日の薔薇が咲いてるってところ。引き払うときに窓辺の花瓶は置いていったの? 水入れたまま? でもって、なんで薔薇は復活したの? いつもここを聴くとET的なイメージが浮かぶんだけど、なんのメタファーなんだろう。花が色褪せて二度と愛は戻らないことを知ったっていうんだから、その花が咲いてるなら復縁におわせてるってことなのかなあ。謎である。

 とりあえずどんな曲かは↓を見て欲しい(すんません、自分が見たくて貼っただけです)。
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出典はたぶんこれ。

で、いきなり脱線するが、このツアーのオープニングがこれ。最高ではあるまいか。
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 閑話休題

 で、この薔薇については上のような疑問が1989年からずーーーーーっとあって、「わからーん」ってなっていた。歌詞カード見ると冒頭に、

君が窓辺に 挿した薔薇を
もうどれくらい 眺めてたのか
花は色褪せ 二度と愛は
戻らないことを知ったよ

とあって、いかにも愛のシンボルっぽく使われている。
のだけども、二番にこんな歌詞が出てくるわけ。

靴を履きかけて ふと振り向いた時に
あの日の薔薇が咲いてる

愛のシンボルだったら復活しちゃってるじゃん、愛。なのに、なんでそのあと復縁話にならないわけ? というのが、謎で、解釈ができないもんだから「郁弥さん、かっこよさげなフレーズを並べたんですね、じつはこれ、適当ですね」とか思うことにしてやりすごしてきたんだよね。
ところが、さっき煙草吸ってたら突然「あれってもしかして記憶のメタファーじゃね?」という閃きが訪れた。

そう思って歌詞を見直してみると、Roomの一番は一貫して時間と記憶憶の話をしているように見える。
別れの場面も記憶だし、「ふせた写真立て」「倒れた空のマニキュア」も「瞳を伏せたく」なる記憶のトリガーだ。
で、「時が過ぎるのが怖い 君が遠く離れてく」ってサビの「君」も正確には「君の記憶」だと思う。

二番になって、ふんぎりつけるぞーと語り手は「何も告げずに出てゆくつもり」になる。
で、問題の箇所が来る。

靴を履きかけて ふと振り向いた時に
あの日の薔薇が咲いてる

 読み返してほぼほぼ確信したが、薔薇は記憶だ。(異論は認める)
 何を見落としてたかというと、この薔薇を「あの日の」を無視して冒頭の薔薇と同じものだと思っていることに気づけていなかった。
 やっぱり部屋を引き払おうってときに窓辺の花瓶が残ってるわけもない。
 このシチュエーションでふと振り向いたら何が見えるかってがらんとした部屋であり、そこで咲くものは何かっつったら、思い出しかあり得ない。
 ぶわあああっと溢れた思い出の数々が薔薇のように美しかったから、まとめて「あの日の薔薇」と言ったと考えるなら、次の行が「この部屋で君を愛し そして君を抱いたね」になるのも頷ける(メロディーからの要請って話とは別に。歌詞だけを見たとして)。思い出に呑まれているから。でもって、薔薇に較べたら不思議度は低い「誰かこのドアを閉じておくれよ」の「このドア」ってなんじゃいという疑問も解ける。当然これは「思い出を閉じ込めてある記憶の部屋」のドアで、「薔薇が咲いてる」と表現された記憶の想起は今度は部屋のメタファーに変じて語り手が自力で扉を閉められない=振り切れないものとして提示される。で手元を見ると「もう二度と使うことのない鍵が てのひらで二つ」あって、それを「長い日々への終止符(ピリオド)みたい」だと感じる。
「郁弥さん、かっこよさげなフレーズを並べたんですね、じつはこれ、適当ですね」とか思っててほんとすみませんでした。むっちゃロジカルに作られてますわ、これ。さすがおれが30年以上も愛してやまない曲の歌詞、そんな適当だったらずっと好きでいられるはずはなかった。
 すごいすっきり! ……なんだけど、スージーさんはここスルーしてたし、ネットでもこの薔薇のこと書いてる人見た覚えがないんで、たぶんこれ、わかんなかったのおれくらいなんだよね、たぶん。作詞レベル舐めてたのかな、いや、そんなつもりもなかったんだが(いささか戸惑い気味)。