consider考

 consider(熟考する)は目的語に動名詞しか取らない。これはTOEICテスト頻出の語法知識であると、ある参考書に載っていた。
 不思議に思って少し考えたくなった。
 不思議というのは、不定詞と動名詞の使い分けに関してのことだ。
 ある動詞の目的語に不定詞を取るのか、動名詞を取るのかは、動詞の要求する目的語の内容が、これからすることなのかどうかを考えれば、大抵間違いがない。これからすることは不定詞、そうでないことは動名詞が目的語になる。ありがちなところで例を引くなら、

I want to go there.
I enjoyed playing the piano.
He finished washing dishes.

などがあげられよう。wantする内容はこれからすることであり、enjoyやfinishする内容はそれ以前に行っていたか、同時にしていることと考えられる。この基準で考えるなら、considerはその時点でまだ、目的語の行為をしていないのだから、一見不定詞を目的語にする気がする。しかし実際には、動名詞しか目的語にならない。これは一体どうしたことだろう。
 ヒントとなりそうなのは、avoidという動詞だ。これは「〜を避ける」という意味の単語で、やはり避ける対象となる行為はまだ行われていないにも関わらず、動名詞のみを目的語とする。この動詞の語法について検討してみることで、considerについても得るところがあるかもしれない。
 なぜavoidは動名詞だけを目的語とするのか。
 私見だが、avoidが目的語に動名詞を取るのは、比喩的な用法なのではないかと思われる。障害物をよけるという本義がまずあって、それが拡張され、他の用法が出来上がったのだろうと想像される。始め、目に見える障害物をよける動作に使われていたのが、やがて「そこにあると予想される障害物を避ける」に意味が広がり、そのあとで「頭の中に浮かんでいる不愉快な行為を避ける」用法が現れrた。
 こう考えるなら動名詞で表される行為は、話者の頭の中では発話時すでに存在しており、話者はそれを避けるという動作を行うことになる。つまり、ここで我々は準動詞の使い分けに、もう「これから行うかどうか」以外にもうひとつの基準を与えることができる。それは話者の中の実在感である。行為に対するリアリティーと言い換えても良い。同時に、不定詞はその行為がまだ存在していないと感じられる時に用いられるとも、想定しうるだろう。これからという未来志向は、この不在感とリンクしているかもしれない。

 であるならばconsiderがなぜ動名詞しか目的語としないのかという問いは、次のように言い換えなければならない。すなわち、
 動名詞しか目的語にできないconsiderとは、どういう意味の単語か?
 準動詞への考察を経て、この単語を眺めてみれば、「consider=熟考する」の図式のみを道具としていた時とは違って、ある程度の見当も生まれてくる。
 つまり、considerによって表現される「熟考する」とは「アイディアをひねり出す」式の熟考ではなく、「すでに存在する案件を取り出して、あれこれ検討する」ということになろう。であるからこそ、目的語には動名詞のみが入る。頭の中ですでに存在していなければ、それを取り出して検討を加えることはできないからだ。
 書いているうちに、この実在感/非在感によって動名詞不定詞をどこまで正確に使い分けられるのかという興味も湧いてきたけれど、それはまた別の機会に考えてみたい。

 注:このエントリを書くに当たって、コーパスをチェックしたとか、なんらかの典拠に当たったということもなく頭の中で考えただけのことなので、あんまり真に受けないようにお願いしたい(正直、辞書すら引いてない。動名詞の実在感の話は昔読んだ「ネイティブ・スピーカー」シリーズのどれかに書いてあったことをなんとなく思い出したのが典拠っちゃー典拠。不定詞の不在感の方は江川泰一朗の「英文法解説」に書いてあったことが典拠っちゃー典拠だけど、見直したわけじゃないので当たり前のように誤読・曲解があると思う。)。あくまでも思いつきのメモである。