マイケル・ジャクソンが亡くなった

 今朝(日付変わっていたんだね、昨日の朝か)のフジテレビのワイドショーは一時間に渡ってマイケル・ジャクソンのニュースだった。8時段階では心肺停止状態で病院に運ばれたという話で、ほぼ亡くなっていることを前提に番組が作られていた。で、これがガセだったら凄い騒ぎだなあなんてことを考えつつ、昔のヒット作のPVがリピートされるのを眺めていた。
 夕刊の一面に訃報が報じられ、ああ本当に亡くなったんだなあと思った。50歳だった。

 もう十数年昔のこと、東京ドームで一度だけマイケル・ジャクソンを見たことがある。友達に誘われて出掛けた。内容はほとんど覚えていないんだけども、また見たいなあなんて言いながら帰って来たのを憶えている。もう見れなくて残念だというより、行っておいて良かったというところだろうか。
 生のライブにも行き、何枚かアルバムも持っていて、さらにはDVDにまで手を出したんだから、悲しくなっても良さそうなものだが、不思議なことに悲しいという気はしない。

 多くの人が指摘しているだろうし、自分にはそれほど知識の持ち合わせもないのだが、たまに目に止まるマイケル・ジャクソンの記事はトラブル関係のものが多くて、見ていてしんどかった。その中でも最たるものは数年前の「マイケル・ジャクソンの真実」という番組だ。ジャーナリストのマーティン・バシールマイケル・ジャクソンの秘められた私生活にメスを入れるというような主旨だったが、「こいつは異常ですよ、こいつは異常ですよ」って煽りたくて仕方ないジャーナリストと、マイケル・ジャクソンのやりとりを見ていて、胸が塞がれた。児童虐待の噂に関しては、本当であるなら相応の罰を受けるべきだった(ただし逮捕された物の有罪宣告は受けなかった)だろうが、しかし「マイケル・ジャクソンの真実」で非難されたのは買い物癖であったり、整形手術であったりもした。カメラの前で骨董を買い占めるマイケル。整形の話を突っ込まれてオドオドするマイケル。そしてそんなバシールに懇切丁寧にムーン・ウォークを教えてあげるマイケル。あの映像は、こと俺に関していえば、制作者の意図と別の効果を俺に与えた。今でも憶えているが、あの番組を見ながら、俺が思ったのは、マイケル・ジャクソンを受け入れるには、世界は世知辛すぎるのではないだろうかということだった。
 たとえばマイケルはカメラの前で「子供と寝ているよ。とても癒される」という主旨の発言をして「きみはなんてことを言っているんだ」とバシールに難詰された。寝るが示唆するものから考えるなら、バシールのリアクションもありだし、被害者がいる可能性も考えるなら、この発言の扱いには慎重にならなければならないのだが、あの映像でのマイケル・ジャクソンの表情と口調からは寝るには寝るの意味しか込められていないような気が、俺にはした。
 その後、マイケル・ジャクソンの逮捕が報じられたときに、俺はこんなことを書いている。

 思うにマイケル・ジャクソンは道化なのだ。スポットライトをいっぱいに浴び続けて来た彼は大多数の人間の価値観では理解できない価値観(たとえば一緒に寝る=セックスではないなど)を持っている。普通の人が普通に生きていくのに採用している価値観(一緒に寝る=セックスのような)を肯定するのにマイケルという存在はある種邪魔なのだろう。彼が冤罪だとしたら、起訴の本質的な理由はそれしかない。だからこそ誰も上に挙げたような疑問は起こさない。あいつは変態だ、なんでもありだ。と頭から決めつける。
  マイケル・ジャクソンは逮捕された。でもひょっとしたら、彼はずっと前から懲役刑を受けているようなものなのかもしれない。キング・オブ・ポップは本当に裸の王様だ。たとえ無罪になったとしても、結局、彼の居場所はどこにもない。

 このあと無罪だか和解だかになって、子供との暮らしをパパラッチされたりしながら、今日に至ったわけだけれども、俺のマイケル・ジャクソン観はこれといって変更がない。だから訃報に対しても、やっと終わりましたねと言いたい気分になった。享年50でうち40年間がトップスター。うち25年くらいが世界中に熱狂的なファンをもつ一方、顔面崩壊のなんのという無責任なデマ被害を受け続けた彼がホッとできるところがあるとするなら、それはやっぱり地上ではないどこかだったんじゃないか。
 残された子供たちの今後は気に掛かるけれども、マイケル・ジャクソン本人については、寿命というよりも天命だったのかもしれない。ひどい放言ではあるが、自分の感想はそれに尽きる。

 一番好きな曲を張っておく。

 ダンス・曲・声・演出、全部格好良すぎる。