真野泰『英語のしくみと訳しかた』

英語のしくみと訳しかた
真野 泰

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研究社 2010-08-21
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 タイトルまんまの本。二部構成になっていて一部が文法項目を取り上げての解説。二部がグラハム・スウィフトの短編小説「Our Nicky's Heart」を部分ごとに切って、解釈の解説をしながら全訳提示って流れ。
 まずは目次。一部が

  • action noun 動作名詞
  • article 冠詞
  • comparative 比較級
  • coordinate conjunction 等位接続詞
  • ellipsis 省略
  • fronting of object 目的語の前置
  • inversion 倒置(I)(II)
  • long words 長い単語
  • noun equivalent 名詞相当物(I)(II)
  • objective complement 目的格補語
  • prepositional phrase 前置詞句
  • punctuation 句読法(I)(II)
  • relative 関係詞(I)(II)
  • subjective complement 主格補語
  • subjunctive 仮定法(I)(II)
  • tense 時制
  • trope 言葉のあや
  • word order 語順

 で二部は

  • Graham Swift'Our Nicky's Heart'の全文、翻訳、解説

 一部の目次を見ればわかると思われるけれども、読者対象は「日本の大学入学試験程度の語彙と文法をひととおり身につけ、英語が好きで、自信だって結構あるけれど、もっと英語が読めるようになりたい」人。なんだけど、「大学入学試験程度の語彙」がひととおり身についているってのは、結構えらいハードルなので、これらの条件に加えて、辞書引きながら本読むのが苦じゃないってファクターが必要になりそう。というのも、いっぱい例文出てくるんだけど、必ずしも日本語訳がついてないんだよね。
 数年に一度、英文法がマイブームになる自分としては(これは魅力を説いても誰も乗ってきてくれないので、まさしく「マイブーム」というにふさわしいと思う)、全体にとっても楽しく読めた。特に等位接続詞の最後のほうとかが面白かった。
 全体に楽しかったのだけども、一部と二部では楽しさがちょっと違う。一部が「へえ、知らなかった。感心」だとしたら、二部は「ウケる〜」に近い。
 目次を見ると明らかなように二部は短編小説の全訳に解説をつけている。言ってみれば、著者の役割が翻訳者と学者に分裂する。
 この分裂度合いがちょっとした個性になっている気がするのである。
 今まで読んできたもののなかにも、試訳をつけてる本はたくさんあったのだけど、たいていの場合、どの著者も学者が主で訳者が従になって解説をしているという印象があった。嘘、今回この本を読んでそんなことを考えた。でもって、そういう場合、解説を読めばいいのだからと、あんまり真面目に訳文を読んでは来なかった。
 ところが、本書では第二部の冒頭でまず「どんな翻訳をよしとするいかについて旗色を鮮明にしておきたい。」と述べ、

 ひとことで言えば、直訳に毛の生えたような意訳、これがぼくの理想である。毛はうっすらと生えた程度で原文の頭のかっこうが透けて見えるような、けれども独り立ちした文章として読める訳文を書きたい。こちらが力不足でそれができないときに限り、やむを得ず思い切った意訳に踏み切る。

 とぶち上げる。まあ、ぶち上げると言っても、これって結構無個性な表明なわけだけど。でもって、第二部1のラストでは「当講座は『我慢する翻訳』を目指します。」と締められている。
 正直に言えば、ああこっからは詰まらないだろうなと思った。あ、これは趣味の問題で、自分はそういう訳文が退屈に感じるって話。
 で、覚悟を決め、どんなご立派な訳文になるんでしょうやという下衆な好奇心を燃やして、読み進めていったんだけど、まず原文が提示され、そのあと解説が続いて著者がどう文章を読んだか、日本語に移すに当たって、どこが難しかったか、さらにはどこか手に負えなかったかまでが、割とはっきり書いてあって、そのあと、そうしたあれこれを経て完成した訳文が提示される。
 最初は予想の範囲内の、まあ原文にもそう書いてありますよね、的な訳文と思って読んでいたんだけど、とにかく読みが精緻なので、解説が面白くて苦にもならず、そのうちに、結構筆者のなかの翻訳者が主張していることに気がついた。つまり、上で引用した方針を放棄してると思われる箇所が眼につきだした(だって解説でその旨教えてくれるから)。これを眼高手低と取ったら面白くもなんともない話になるんだけど、読んでいて感じたのは、学者としての著者がよしとする訳文と翻訳者としての著者がよしとする訳文にいささかずれがあって、そのふたりがこの原文と訳文を巡って喧嘩してるというか主導権争いをしているというか、そういう葛藤だった。語学の本で内面のドラマを見るとは思わなかったので、その文脈を発見したところから、にわかに面白くなった。学者著者は読み取ったものを原文に寄せて訳したい。しかし訳者著者はそれじゃ日本語として納得できないと反論する。おれの勝手なイメージでは初出が『英語青年』であることなどから、学者著者が「そんなふうに訳したら知り合いの皆さんから後ろ指を指される!」と怒り、訳者著者が「やかましい!」と答えるみたいな、寸劇までが展開した……って、そんなことは本書のどこにも書いてない。いや、そんな妄想を抱いたのは、試訳があえて色のない訳文にされているような窮屈さをちょっと感じたからかもしれないけど。これが理想にいちばん近いってことはないと思うんだよね。かなり翻訳者著者が割を食わされてる印象がある。
 で、最後はモームの『月と六ペンス』の冒頭を論じて終わる。ここが学者著者の本領発揮というか、ある箇所について、列なす既訳のほとんどが誤訳していると批判する(大意で)んだけど、びっくらこけたことに著者の主張は確かにすっげえ筋が通ってるし、おれも一票を投じてしまった。本書が出たあと、新潮社から『月と六ペンス』の新訳が出てるんだけど、ここで論じられている箇所がどう訳されてるかは気になるところ。『月と六ペンス』は今生きてるのだけで4バージョンくらいあるみたいだけど、おれは著者の訳した『月と六ペンス』を読んでみたいと思った。
 そんなわけで、試訳をつないで読んだ短編小説は面白いとも思わなかったけど、それをどう読むかってところは、かなりわくわくしたので、文法の話が読みたい人、とすっげえしっかり英文を読むっていう芸が見たい人(読んでて何度も、「これくらい読めたら素敵だろうなあ」と思ったよ)なら、読んでみてもいいんじゃないかと。個人的な好き嫌いで言えば、好きな部類に入る。
 ああ、そうだった。絶対引用しなきゃと思ったところを放置してしまうとこだった。

store up permanent troubleについては、Longman Dictionary of Contemporary English(Fifth edition)などに当たるとstore up trouble/problems etcが定着した表現であることがわかります。それが「禍根を残す」というclichéを使った言い訳ですが、英語に比べて日本語が堅すぎることのほうは言い訳が見つかりません(引用者註:こういうところ、大好き。)。なお、大修館『ジーニアス英和辞典』(第4版)のstoreの項、他動詞の第2義にある「<怒り・恨みなど>を胸にしまっておく(+up)」や、『ジーニアス英和大辞典』のstore up troubleの訳「トラブルを避けて胸にしまっておく」は誤りです。英語のstore upは日本語の「胸に畳んでおく」とは違い、store up troubleならば「のちのごたごたの種をまく」というようなことですし、store up angerとなるとまた別で「怒りを鬱積させる」というようなことです。

 とあって、「おお、そうなのか!」と思い、念のため手元の電子辞書でジーニアス英和大辞典を呼び出して、成句検索でstore up troubleを捜してみたらヒットしなかった(が、用例検索したら出てきて、たしかに「トラブルを避けて胸にしまっておく」となっていた)。ジーニアス割とよく見るので、覚えておかなくちゃと思ったのだった。
ついでにこのくだりを読んだときにはジーニアスが「胸にしまっておいたものがくすぶるうちにトラブルに発展する」みたいなストーリーを端折って載せちゃったのかなあと考えたんだけど、今ロングマンを確認したら、「to behave in a way that will cause trouble for you later」となっていて、どうしてこうなった感が半端ない。

 とか書いたあと、amazonを見てて、ジーニアスの第5版が出ていたことを知る。なるべく早めにstoreの項目がどうなったのか見てこようと思う。

ジーニアス英和辞典 第5版
南出 康世

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追伸:本屋を覗く機会があったのでジーニアス第五版でstore upを引いてみた。記憶で書くから不正確かもしれないけど将来トラブルになりそうなことを胸に溜め込むみたいな記述になっていて、行動を起こす側ではなく受ける側の視点から解釈されていた。ネットでオックスフォードの辞書を引いた結果の例文とか見ても、アクションを起こす側の話をしてるような気がするので、これは間違いかもしれないなあと思った。それと『月と六ペンス』の新潮文庫も覗いてきた。上で話題の箇所は真野泰が本書で語っているものとは違った解釈がなされていた。個人的には真野泰説に一票だけれど、新潮文庫版は普通に読みやすい訳文だなあとも思った。岩波文庫も覗いてみたけど、こっちも読みやすかった。