障子に開いた指の穴と未使用の靴

前エントリに引き続き『古句を観る』(amazon青空文庫)から。

 こんな句が収録されていた。

涼風や障子にのこる指の穴    鶴声(p.156)

 障子に穴が空いていて風が入ってくるのね、程度のイメージだったが、こんなコメントがついていて、一気にイメージが変わるところがまず面白かった。

「おさなき人の早世に申遣(もうしつかわ)す」という前書がついている。

 イメージ変わらなかった?
 で、宵曲もこの句に関連して連想が色々働いたのか、コメントがこのあとも妙に長い。まず小泉八雲に言及。

この句について思い出すのは、小泉八雲が「小さな詩」の中に訳した「ミニシミルカゼヤシヤウジニユビノアト」という句である。この句の作者は誰か、八雲の俳句英訳に関する最も重要な助手であった大谷繞石(おおたにじょうせき)氏が、この句の下に(?)をつけているのを見ると(全集第六巻)あるいは出所不明なのかも知れない。

続いてケーベル博士(ウィキペディア)に言及。

ケーベル博士が日本の詩歌について語った中に
おお、「障子」の孔(あな)を通って来る風の寒いこと、私は硬くなる――これもお前の小さい指の仕業しわざだ!
とあるのは、何に拠ったものかわからぬが、やはりこの句を指したものであろう。

 いったい何語になったのを重訳して戻したんだろう(ロシアの人っぽいからロシア語なのか、それともフランス語とかドイツ語とかなのか)。なかなかダイナミックになっている。「この句」ってのは八雲の「ミニシミルカゼヤシヤウジニユビノアト」のことね。

 で、「身にしみる」というのは秋の季語(なんだってさ)なんだけど、八雲の説明(障子の「軟かい紙へ指を突込んで破るのを子供は面白がる。すれば風がその穴から吹き込む。この場合、風は実に寒く――その母の心の底へ――吹き込むのである。死んだその子の指が造った小さな穴から吹き込むからである」)が喚起するのは冬のイメージでずれる。やはり秋の句と解釈すべきだろうし、状況説明なしにそのような解釈をするのがほとんど無理ではないかと八雲の句の話をまとめ、その句と比較して鶴声の句はちゃんと前書がついているので、作者が自分の亡児を思い出しているのでなく、他人が子を失ったのに同情しているのだということがわかると述べる。また、

 第二にこの場合の障子は夏の障子で、しめ切って中に籠っている場合ではない。涼風はその穴から吹入るものと解せられぬこともないが、夏のことだから明放してあったとしてもいい。即ちこの「指の穴」は眼に訴えるので、その穴から吹込む風が身に入む、というほど深刻ではないのである。第三に「のこる」という一語が前書と相俟(あいま)って、世に亡い子供の残した形見であることをよく現している。子供は世の中に残す痕跡の少いものだけに、僅なものが親の心を捉えずには置かぬのである。一茶が亡児を詠じた「秋風やむしり残りの赤い花」でも、子供がむしり残した花というところに、綿々たる親の情が籠っている。この句の生命は繋って「のこる」にあるといっても、過言ではあるまいと思う。第四に――もう一つ附加えれば、「指のあと」という言葉は「指の穴」の適切なるに如(しか)ぬであろう。畢竟(ひっきょう)「のこる」という言葉を欠いたから「あと」といってその意を現そうとしたものであろうが、その点は不十分な嫌がある。
 障子の穴から吹込む風が身に入みることによって、今更の如くかつてその穴をあけた亡児を思い出すというのは、一見悲痛な感情を描いたようで、真に凄涼なものを欠いているのを如何(いかん)ともすることが出来ない。鶴声が他人の上を思い遣るに当って、障子の穴を点出したのは、この意味において遥に自然である。俳句が強い人情を詠ずるに適せぬことは、先覚の夙(つと)に説いている通りだから、繰返す必要もあるまいと思う。

 とも言っている。おれの感覚で行くと、こんな俳句送りつけられたら「涼風やじゃねえよ!」と逆上しそうな気もするのだけど、まあそれはそれとして、場面切り取ったってことについてはとても上手だなあと思った。で、この句を読んで連想したのがヘミングウェイが書いたとされる超有名な六単語の短編For sale: baby shoes, never worn. どんな状況で書かれたのかって部分は諸説あり、それどころか今ウィキペディアの項目を見たら、そもそもこれヘミングウェイがほんとに書いたのか? っていう、ヴォルテールのあれとかドストエフスキーが外套に述べたコメントみたいな話の匂いがプンプンしてきたわけだけども、誰がいつどう書いたかはともかく、この六単語はとても有名なのは確かで、それは字面の向こう側を想像して悲しさが湧いてくるからという理由なんだろう。
 この六単語と比べると、鶴声の句はまったく聞いたことがなかったわけなんだけど、何気に負けてないと思うんだよね。おまけに叙述トリック的なひねりのショックもあるし。せめて国内くらいは同じくらい知られてもいいんじゃないかとか思ったのだった。


古句を観る (岩波文庫)

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 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com