先日、本棚で眠り続けていた『国枝史郎探偵小説全集全一巻(amazon)』をなんとなく引っ張り出して全部読んでみた。国枝については、大昔に『神州纐纈城(青空文庫)』を読んで、筋はそれほどでもなかったのだけども、漢字の使い方が楽しくてなんとなく好きって思っていた時期があって、その頃に買ったもの。どうして未読のままだったかと言えば、ジャンルが探偵小説になってもやはり、筋はそこまで好きと思えなかったので何本か読んで挫折していたのである。で、この本、デカくて厚くて、高かった。それがいつも本棚を眺めるときに視界に入る。買ったのに読んでねえなと思いつつスルーし続けるのもいい加減いやになったので、もっかい読みにかかって合わないなら処分だと決めて読み出してみた。創作についてはやっぱり自分には合わないという結論だった。
ところでこの本、探偵小説全集というタイトルではあるのだけど、創作は全体の半分ちょっとくらいの分量で後半は探偵小説評論的な文章が「評論・感想篇」としてまとめられている。当然そっちも読んだ。篇の最初を飾っているのは、「日本探偵小説界寸評(青空文庫)」。その冒頭を引く。
二十八歳で博士号を得た、不木小酒井光次氏は、素晴らしい秀才といわざるを得ない。その専門は法医学、犯罪物の研究あるは将に当然というべきであろう。最近同氏は探偵小説の創作方面にも野心を抱き、続々新作を発表している。犯罪物の研究は、今や本邦第一流類と真似手のない点からも、珍重すべきものではあるが、その創作に至っては、遺憾乍ら未成品である。「二人の犯人」「通夜の人々」これらの作を読んでみても、先ず感じられる欠点は、先を急いで余悠がなく、描写から来る詩味に乏しく、謎を解く鍵には間違いはなくとも、その解き方に奇想天外がなく、矢張り学者の余技たることをともすれば思わせることである。但し市井の新聞記事から、巧に材料を選び出して、作の基調にするという、そういう際物的やり方には評者は大いに賛成する。豊富な資力、有り余る語学力、立派な邸宅、美しい夫人、よいものずくめの氏ではあるが、ひとつの病弱という悪いものがあって、氏を不幸に導こうとしている。併し病弱であればこそ、そうやって筆も執られるので、そうでなかったら勅任教授か何かで、大学あたりの教壇で干涸ひからびて了うに相違ない。文壇擦ずれの毫も無い、謙遜温雅な態度の中に、一脈鬱々たる覇気があって、人をして容易に狎なれしめないのは、長袖者流でないからである。
慇懃無礼っつーか褒め殺しっつーか。要するに「大したお人だけれど作品はつまんないね」と言っているわけである。このあと乱歩はじめ何人かに言及してこの文は終わる。
次が「マイクロフォンーー雑感ーー(青空文庫)」
ここの第3パラグラフにまた小酒井不木の名前が出てくる。
小酒井不木氏は「手術」を書いて、素人の域から飛躍した。しかし「遺伝」に至っては、学者の余技たる欠点を、露骨に現わしたものである。「犯罪文学研究」は、西洋物ほどには精彩がない。
なんか偉そうである。ケチをつけるために一本だけ褒めてみた、みたいに見える。感じわる、と思った。
ところが、その次の「大衆物寸感(青空文庫)」を読むと、「手術」を褒めたのは決してほかを下げるためのレトリックではなかったらしいのである。こんなふうに書いている。
小酒井不木氏の探偵小説は、専門の智識を根底とし、そこへ鋭い観察眼を加え、凄惨酷烈の味を出した点で、他たに殆ど匹儔を見ない。――と、こんなような真正面から、ムキ出しに讃辞を呈すると、或は謙恭な小酒井氏は、恐縮して閉口するかもしれない。併し他人の閉口なんか、私はちっとも苦にしない。で、平気で褒めつづける。
「手術」は凄惨な作である。縮尻ると惨酷になったろう。だが夫れは救われている。正直な質朴な表現が、それを救っているのである。「痴人の復讐」も凄惨な作で、これを読んだ大方の読者は、恐らく頭のテッペンへ、ビーンと太い五寸釘を、打ち込まれた感を得るだろう。この作には社会性がある。大袈裟にいえば人道主義がある。態度がノロマだということだけで不当に他人から軽蔑される、そういう人間の憎人主義の片鱗を示した作である。こういうことは社会に多い。こういう受難者は怒っていい。勇気があったら復讐していい。この作一つを取り上げて、五十枚の論文をつくることが出来る。
(略)
同じく心臓を扱った作に「人工心臓」というのがある。同氏は自分でこの作を、失敗な作だと云って居る。私は然そうは思わない。しかし作者がそう云っているものをいや結構でございますと、結構の押売りをするということは、些いささか変なものである。妥協をすることにする。
べた褒めっつーか、押売的に褒めている。さっきはほかにケチをつけるために褒めたように見えた「手術」評が今度は「手術」好きすぎてほかまで褒めたみたいになっている。というか、これ以後、篇の最後まで国枝は取り上げた小酒井不木作品をすべて褒めている。
『探偵小説全集』編者の末國善己は、国枝の探偵小説評論が「親しい作家は褒めるが、あまり面識のないと思われる作家に対しては辛辣な言葉で批判するなど、立脚点が不明瞭で場あたり的な発言も目立つ」と評しているのだけど、これは「日本探偵小説界寸評」から「大衆小説寸感」までのあいだに国枝が小酒井不木と仲良くなったってことなんじゃろかなどと、文章の内容とは全然無関係な方向に想像が広がる。
もちろん、著者との親疎でスタンスが決まっているような作品評は当てにならない。が、「好き好き大好き超愛してる」ってな具合に飛び跳ねるワンちゃんが微笑ましいのと同じように、国枝の小酒井不木評は微笑ましい。あまりに微笑ましすぎて小酒井不木の作品を読む気にさせる。少なくともおれ相手にはそういう効果を持っていた。
で、「国枝がこう評した作品がこれ」もしくは「この作品を国枝はこう評した」をまとめたら楽しいんじゃないかなと思って、国枝が言及している作品をピックアップして短編集を作ってみた。それが
である。本日リリース。収録作は「ふたりの犯人」「通夜の人々」「手術」「遺伝」「痴人の復讐」「肉腫」「人工心臓」「恋愛曲線」「印象」「安死術」「愚人の毒」「見得ぬ顔」。お値段480円。キンドル・アンリミテッド対応。よかったら読んでみて。
国枝の話しかしてないのに小酒井不木の作品集ってどういうことだと思われるかもしれないが、作ったほうは半ば以上国枝史郎の「好き好き小酒井さん」を楽しむために作っちゃったんだから致し方ないではないか。
編者的にアピールしたいポイントは上記国枝の微笑ましさなのだけども、おまけ情報的に付け加えると収録12本のうち3本(「ふたりの犯人」「通夜の人々」「見得ぬ顔」は現時点青空文庫未収録、キンドルで読めるのはこの短編集だけ。この3本の入力は改造社の『小酒井不木全集』から行った。で、どうせならと思って、青空文庫に収録されているほかの短編についても漢字にするか平仮名にするかは『小酒井不木全集』にあわせた(もっとも、字体は新字にし、仮名遣いは新仮名にした)。
こういうのが楽しめる人に見つかるといいなあと思いつつ、発売開始の宣伝おしまい。
追記2024/05/31
『一人の芭蕉の問題』っていう昔の河出文庫の本をぱらぱらしていたら、江戸川乱歩が小酒井不木逝去時に書いた追悼文みたいなのが出てきた。冒頭部から結構飛ばした親友アピールっぷりがあって、国枝だけじゃなくて乱歩も相当とろかされてたな、こりゃなど思った。青空文庫を見てみたところ未収録だったが、国枝史郎の「好き好き小酒井さん」を楽しむという『通夜の人々・見えぬ顔他十篇』のコンセプトに照らし、これも読めた方が楽しいのではないかと思ったので下に貼っておく。
探偵作家としての小酒井不木氏
昨日小酒井不木氏の訃報に接し、今日名古屋のお宅に来て、お通夜の最中を、席をはずして故人が数日前まで、夜々瞑想に耽られた研究室の、故人のデスクにより、故人の原稿紙を借り、故人の万年筆をもって、この一文を書くのである。そして私はこの一文で、私の尊敬すべき先輩であった、探偵作者としての小酒井氏について、数言を費やしたいと思うのである。
小酒井氏は常に、同氏の探偵小説を余戯だといっていられ、同氏の心持としては本当でもあったようであるが、私の考えでは、余戯というよりは、小酒井氏という人は、一つの頭を、一方は科学、一方は文芸に使い分けて、そのいずれにも優れた才能を示し得るような、少なくとも二人分以上の精神力の所有者であったと思うのである。
小酒井氏の探偵小説や犯罪に関する処女随筆は同氏がパリに病んで、大正九年冬帰朝、大学教授の職を辞された翌十年九月、「東京日日新聞」に一ヵ月にわたって連載された「学者気質」であった。これを博文館の森下雨村氏が注目して、探偵雑誌「新青年」に探偵小説的随筆の寄稿を依頼し、大正十一年二月同誌のために執筆された「科学的研究と探偵小説」の一篇こそ、後に探偵小説家小酒井氏を生んだところの最初の機縁をなしたのである。その後、新聞雑誌に犯罪並びに犯罪文学研究を、次々と発表され、「殺人論」、「毒及び毒殺の研究」等の著書ともなり、われわれ探偵小説愛好者を喜ばせ、刺激したこと多大であった。
小酒井氏の最初の探偵小説翻訳は、ドウゼの「夜の冒険」であって、引続き「スミルノ博士の日記」が出て、非常なセンセーションを起こしたことは、われわれの懐かしき思い出となっている。
探偵小説の処女作は、大正十四年四月「女性」に書かれた「呪われの家」であったが、これが出た時には「やったな」という感じであった。優れた科学者としての氏が探偵創作に筆を染められたことは、われわれに限りなき熱と力を与えた。
さて、こののちが小酒井氏の探偵作家時代に入るのだが、今これを書きながら、ふと思いついた分類ではあるけれど、探偵作家としての同氏の生涯を大体二期に大別することができるのではないかと思われる。試みにそれを書いてみるならば、第一期は大正十四年か翌十五年の半(なかば)ごろにかけて、主として短いものを、多くは専門雑誌「新青年」、二十一日会の「大衆文芸」、「改造」、「中央公論」等に発表された当時で、もちろん他のいろいろな雑誌にも書いてはいられたが、主力をポオとかルヴェルとかいったふうのキリッとした、ごく短い作に注がれた時代である。たとえば「按摩」「虚実の証拠」「痴人の復讎」「恋愛曲線」「肉腫」「秘密の相似」「印象」「愚人の毒」「死の接吻」等がこれである。その内もっとも印象深いのは「恋愛曲線」であって、大正十五年一月「新青年」のために書かれたものであるが、おそらくこれが小酒井氏全作中の最大傑作ではないかと思われる。
第二期は(はなはだ大ざっぱな分け方だが)大衆文学の呼び声が漸次(ぜんじ)高くなり、探偵小説も専門雑誌にとじ籠らず、大いに大衆的進出を目論むべき時代となり、その大勢に準じて、進出の先駆をなされた時期である。年次ではおよそ十五年から昭和二年末までである。同時代の作として最も優れたものは、長篇「疑問の黒枠」であって、これは同氏の好きなフレッチャー、ドウゼ等の味を狙われたものらしく、日本の長篇探偵小説としては、ほとんど唯一つの読むに足るべきものということができるであろう。
だが、この時期には、少数の例外を除くと、小酒井氏は、一種の闘病の手段として、やや速筆多作の傾きがあって、同氏は「これはわたしの闘病術でもあるし、こうして沢山書いておけば一つくらいいいものが残るかもしれぬ。わたしは生涯この調子で書き続けるつもりだ」といって、意に介されなかった。この多作ということは、ある場合小酒井氏を難ずる口実となったようだが、別の方角から考えて見ると、小酒井氏にこの元気があったればこそ、探偵小説の勢力を広く、全読物界におし広めることができたともいえるのである。
日本の探偵小説は、出発点から独りよがりな、狭い趣味を狙った傾きがあって、これを婦人子供にも面白がって読まれるような、いわゆる大衆的なものに引き直すことは、なかなか困難であった。われわれの仲間は、それについてずいぶん頭を悩ましたといえる。少なくとも黒岩涙香の翻案小説が流布している程度に、というのがわれわれの考えであった。
涙香がわれわれの話題に上るようになった。小酒井氏も早くからその点に着眼され、古本屋に命じて涙香の全作品を蒐集されたこともあったくらいである。
小酒井氏の作品に「涙香」がやや具体的に現れて来たのは、昭和二年末のことで、その適例は「大雷雨夜の殺人」「展望塔上の死美人」等であって、この表題の涙香味をもっても、同氏の心持を推察することができたのである。
昭和二年末から、時々健康を害されるようなことが起こって、一年あまりの間、ごく短い随筆のほかは、ほとんど筆を執られなかった。その代りといっては変だけれど、同じ名古屋の国枝史郎と共に、耽綺社という会社を発起され、平山蘆江、長谷川伸、土師清二の諸氏に私も加わって、ほとんど毎月名古屋に集まり、あるいは小説戯曲の合作を試み、あるいは趣味漫談に打興じ、ややナンセンスな愉快な会見として、今日まで継続して来たのである。
同時に、一方では、小酒井氏は庭内に医学研究室を建設され、名古屋在住の篤志の医師を集めて、ある研究を指導しておられた。それはつまり、小説にあきた形でもあれば、同氏の頭の中で、専門学術の研究欲を圧倒するほど強くなった形でもあった。この研究は私などにはよくわからぬけれど、非常に大がかりなもので、もしそれが完成されたならば、学界を驚かすような性質のものであった由である。
ところが、探偵小説の魅力は、何と捨てがたいものであるか。かように一方では研究に没頭しながらも、他の一方では小酒井氏の心は、絶えず探偵小説に引きつけられていた。そして、一年半ぶりで「新青年」五月号に執筆されたのが「闘争」(五十枚)という力作である。これはこの二月二十八日に書き上げられたもので、絶筆としては三月二十九日に出来上がった「お伊勢さま」がある。
以上の、昭和二年末から逝去までを仮りに第三期と名づけるならば、その時期の小酒井氏の作家としての立場は、休息時代あるいは準備時代と見ることができたと思う。というのは、探偵作家としての同氏は、上記の二時期で終ったのでなく、むしろ本当の作品は今後に期待すべきであったという意味である。これは決して一片の辞礼ではないので、私はさように信ずべき根拠を持っている。
昨年の末であったか、私が小酒井氏を訪ねた時、同氏は「今までのように急いで書いたのではやっぱり駄目だ。少なくとも一年ぐらい案を練って、一つの長篇を完成し、すっかり出来上がった上で新聞なり雑誌なりへ渡すのが本当のやり方だ」という意向を洩らされた。私はそれを聞いて非常に頼もしく思い、是非そうして大作を完成して下さいといったところ、「実はやってみようかと思っています」と答えられた。それゆえ、今度執筆された「闘争」は、小酒井氏がさらに、そういった大作に着手される、前ぶれのようなものではなかったかと、私は思っているのである。
なお、晩年の探偵小説についての抱負は、同氏の長い病気の体験から、肺病患者の悲痛な心持を根本として、たとえばドストエフスキイの「罪と罰」といったふうの病主人公が悲惨と苦悶に出発して、最後に明るい救われた境地に到達する犯罪小説のようなものを狙っていられたのではないかと想像される節があった。ドストエフスキイは同氏がパリで病まれた時から傾倒されていたところで、氏の心持がついにここまで来たことは、偶然ではないのである。
そんな矢先であっただけに、小酒井氏の突然の死は、探偵小説家としての一面から見ても、非常に残念なことである。又、私個人としては、そのような公人的な点を別とするも、作品的出発の恩人でもあり、尊敬すべき先輩でもあった同氏を失ったことは、限りなき悲しみであり、いうばかりなき淋しさである。
(昭和四年四月五日「大阪朝日新聞」/「悪人志願』所収)