予想と答え合わせ in 僧正殺人事件

 新訳された『僧正殺人事件(amazon)』のKindle版をサンプルで読んでみたら、えらい読みやすく、引き込まれたのでそのまま購入して、もっか20%くらい読み終えたところなのだけど、途中、こんな記述にでくわした。

ドラッカーをどう思う?」マーカムはヴァンスの前に立ち止まって尋ねた。
「はっきり言って、愉快な人物ではない。すっかり病んでいるね。手のつけようがない嘘つきだ。しかし、抜け目がない。まったく、いまいましいくらい抜け目がないよ。常軌を逸した頭脳の持ち主だね――ああいうタイプにはよくあることだ。真に建設的な天才となることもある。スタインメッツのようにね。

 「スタインメッツ」に訳注がり、「ドイツ生まれのアメリカの電気技術者・発明家。一八六五−一九二三」と書かれていた。
 本稿はたまたま併読している『電力の歴史』(amazon)の昨日読んだ箇所にスタインメッツが出てきたことに連想が及んだため、書く気になったのだが、当初の目論見からえらい脱線する感じになりそう。

 さて、まず『電力の歴史』をなぞってスタインメッツの紹介。ウィキペディアの日本語版に項目はないみたいだけど、電気の歴史の超有名人みたい。フルネームはチャールズ・プロチュース・スタインメッツ。ドイツとスイスで数学と機械工学の高度な教育を受けたあと、アメリカに渡り、1889年に帽子製造機械と電動機を作っていたアイケマイヤー=オスターヘルト社に製図工として入社。その後同社で交流電動機開発の仕事にあたった。その間、磁気ヒステリシスとうず電流を解析する方程式を導き出した。1893年には、「交流回路の解析に複素数の代数を適用することについての重要な論文を提出した。数学を応用して交流機械と回路の問題を解くスタインメッツのやり方は、彼が自分の結果を技術者の性分に合った形式で表現したおかげで、技術者にとって特に啓発的なものになった」。同年、会社がゼネラル・エレクトリックに買収され、スタインメッツは同社の計算部門の一員となった。そして死ぬまでGEにとどまることになる。「多くのアメリカの技術者の見るところでは、彼は成功した科学的な工学研究・開発のシンボルになった。長距離電力輸送は彼が、スコット、ライアン、マーションその他の人々と、多年にわたって集中した研究問題の一つだった」。
 それからしばらくした1900年、スタインメッツを中心にしてGE中央研究所が立ちあげられた*1
 で、スタインメッツはGE中央研究所の「所長となる機会を辞退したが、それはたぶん彼もほかの人々も、彼はあまりにも一匹狼的で大きな管理責任を負うには適さないと信じたからだろう。彼は自分を研究科学者よりは技術者だと考えていた」からか、所長にはならず、その代わりひとつの部門を設立した。コンサルティング・エンジニアリング部門という。その部門は「異常な現象、設計上の必要、あるいは設計が出会ったトラブルについて、ほかのGEの部門に助言を与えることになっていた」。この部門はまた「顧客にも助言を与え、電気技術の専門家にとっての一般的に重要な問題を研究する」ことになっていた。「スタインメッツが電気技術の専門家にとって、またGEにとっても一般的に重要だと判断した問題の中には、、コロナ効果と不安定性を含む高電圧送電があった。
 一九一九年にシカゴのコモンウェルスエジソンのシステムでおこった電力損失は、顧客に頼まれて彼が対処した問題の典型だった。スタインメッツは問題のありかを突きとめるために、海路方程式を使ってそのシステムのモデルを作った。」(以上3段落のかぎ括弧は『電力の歴史』からの引用)
 せっかくだから関係した記述をあらかた抜いてしまおうって感じもあったのでとっちらかってしまった(すっきり業績その他を見たい人は電気史偉人典スタインメッツの項目へどうぞ)が、「成功した科学的な工学研究・開発のシンボル」というのが、このスタインメッツのイメージだったようだ。ヴァンスが天才の例として出したのは、ここについては衒学趣味なんじゃなくて、結構ポピュラーな人物だったからじゃないのかなあと、いちばん最初にこの記事を書こうと思ったときには、そんな感じにまとめておしまいにするはずだった。
 のだけれども、『電力の歴史』の該当ページを開いたら、昨日はほとんど見えていなかった写真が眼に飛びこんできた。
 これだ。

『電力の歴史』では言及がなかった(と思う)が、英語版のウィキペディアを見ると、スタインメッツは小人症、脊柱後弯症、股関節異形成(訳語はみっつとも英辞郎から引いた)を患っていたと出ていた。『僧正』の上記引用で話題にされているドラッカーというキャラクターは二歳のときの事故が原因で背骨にけがを負い、長じて脊椎彎曲となったという設定だ。
 ということはヴァンスがここでスタインメッツを出したのは、ポピュラーな天才だったからじゃなくて、背中が彎曲しているっていう共通項があったからなのか。
 そう思って、引用部分をもう一度見直してみると、

ドラッカーをどう思う?」マーカムはヴァンスの前に立ち止まって尋ねた。
「はっきり言って、愉快な人物ではない。すっかり病んでいるね。手のつけようがない嘘つきだ。しかし、抜け目がない。まったく、いまいましいくらい抜け目がないよ。常軌を逸した頭脳の持ち主だね――ああいうタイプにはよくあることだ。真に建設的な天才となることもある。スタインメッツのようにね。

「ああいうタイプにはよくあることだ。」が妙に引っ掛かる。何も知らずに素直に読むと、ああいうタイプとは1.愉快な人物ではなく、2.すっかり病んでいて、3.手のつけようがない嘘つきということになる。そういうタイプには常軌を逸した頭脳の持ち主がよくいて、たまに建設的な天才になることもある――スタインメッツのように。と読める。しかし写真を見てしまうと、スタインメッツとドラッカーには共有される身体的特徴があるので、スタインメッツはただ天才の例として出されたわけではなく、「ああいうタイプの天才」の例として出てきたことが判明している。
 ところが『電力の歴史』とネットでちょこっと検索した限り、上記1〜3をスタインメッツに当てはまるとは思えない。
 そうすると、みなさん予想がつくように、ここには昔の作品を新訳するときに避けて通れない問題が横たわっているんだろうなあと、おれも予想した。原文にはおそらくああいうタイプ=身体障害者とわかるような記述があったはずだ。そこをぼやかそうとした結果、なんかスタインメッツが割を食って「愉快な人物ではなく、すっかり病んでいて、手のつけようがない嘘つき」にされてしまったのだろう。
 で、思いついてしまったので、答え合わせがしたくなった。著者のヴァン・ダインは1939年に亡くなっているので、作品はネットで読めるようになっていた*2
 さっそく該当箇所を見てみた。一行空きは段落を示している。

"What do you make of Drukker?" he asked, halting before Vance.

"Decidedly not a pleasant character. Diseased physically and mentally. A congenital liar. But canny--oh, deuced canny. An abnormal brain--you often find it in cripples of his type. Sometimes it runs to real constructive genius, as with Steinmetz

 並べるとわかりやすいので、もっかい引用し直す。

ドラッカーをどう思う?」マーカムはヴァンスの前に立ち止まって尋ねた。
「はっきり言って、愉快な人物ではない。すっかり病んでいるね。手のつけようがない嘘つきだ。しかし、抜け目がない。まったく、いまいましいくらい抜け目がないよ。常軌を逸した頭脳の持ち主だね――ああいうタイプにはよくあることだ。真に建設的な天才となることもある。スタインメッツのようにね。

 うーん、せいぜい部分点がもらえる程度のさんかくだったかな……。cripples of his typeのcrippleを故意に脱落させたのは予想通りだったけど、itをan abnormal brainだけしか受けてないと見なせば、「あの手の常軌を逸した頭脳の持ち主は、真に建設的な天才となることもある」くらいの内容になりそう。
 原文と見較べて予想が甘かったと思ったのは、むしろ「Physically and mentally」を「すっかり」と訳したり、「abnormal」を「異常」じゃなくて「常軌を逸した」と訳したりしてるところ。これは素晴らしい工夫です、はい。この二箇所をまんま訳すとcrippleひとつはずしただけじゃカバーできないくらいヴァンスの価値観が滲んじゃって、かなり不愉快な感じになったはず。訳者の方は、ここで結構神経使ったんじゃなかろうか。
 で、そう思って見ると、さっきは「故意に脱落させた」と言ったけれども、「ああいう」が受けているものをかぎ括弧のなかに限定させなければ、「ああいう身体的特徴のあるタイプ」と読めないこともないという判断があって、訳出しなかったんじゃないかなという気がした。
 さんかくと自己採点したのは、おれは何らかの単語、ここではcrippleを脱落させて「困った箇所を隠した」つまり「わざと誤訳した」と予想したんだけど、「ああいう」に上記のような読みの可能性を認めて訳しているとすれば、書いてあることを「隠した」わけじゃなく、「目立たなく曖昧にした」だけで、そもそも誤訳してないわけだからね。
 もちろん、おれみたいにぼんやりした読者はぱっとそんな風には読めないわけだけど、この訳し方は困った時代性のある原文を原文に忠実に訳しつつ、かつ現代の観点から見ても穏当な表現にするっていう、両立が難しい課題のクリア方法としては、ぎりぎりの離れ業なんじゃなかろうか。いま気がついたけど、typeをタイプって訳しているのもうまいんだよな、これ。人物評でタイプって言われたら性格を連想するもんな。
 ほじくり返してみた結果、ものすごい芸を見た気がした。サンプルの印象は間違いではなかった。これはたぶんすげえ新訳である。
 旧訳を昔読んだことがあるのだけど、犯人も展開もすっかり忘れているし、このさきを読むのが楽しみだ。
 それはそうとひとりで盛りあがって長々書いてしまったが、まとまり大丈夫だろうか……(と思いつつ、眠いのでもう確認しない)

2013/07/03追記:『僧正殺人事件』読み終わる。うーん、読みやすくはあったんだけど……中身のほうがいまいち乗り切れなかった感じ。面白い要素はいっぱいあった。やっぱりマザー・グースを使った連続殺人事件はいい。うさんくさく介入してくるあいつとかもよかった。なのに、なんでだろう。昔旧訳読んだときのほうが、読み終えた後の満足度が高かった。不思議だ。(再読だからはあてはまらない。なぜかと言えば、筋から何から全部忘れていて「結構面白かった」という感触しか残っていなかったからである。その感触に届かなかった感じ。なんでだろうな……)

*1:『電力の歴史』を読んでもこの研究所がいつできたのかわからなかったので、検索したらGEのフェイスブックの記事に辿り着いた。確実なソースだと思うので年号を使わせてもらった

*2:たとえばグーテンベルク・プロジェクトのここ