お笑いジャーナリストって「お笑いを報じる人」(戦場ジャーナリストとか料理ジャーナリストみたいな単語のくっつき方)かと思ったら、楽しく笑える感じに報じる人(民間ジャーナリストみたいな単語のくっつき方)で、まず驚いたって余談から始めちゃいましたが、表題の「竹中平蔵と共著がある」のとこ、まだびっくりする人がいるので、証拠としてリンクを貼る。買うのは推奨しない。
なぜガン無視してるのかと言うのには色々な推測があるものの、竹中の入れ知恵なら狙いは、福祉削って高齢者をパソナさせるルート作ることにあるんだろうとおれは思ってる。
若者が生きやすい社会というスローガンを出せば、ベーシックインカムのときよりも批判がしにくかろうって計算があるのかないのかはわからない。
ただ、アベマの直後から同時多発的にメディアがたかまつを取り上げるようになっているのは、なんか仕掛け(カラクリ?)があるんだろうなという気がしている。
仮にシルバー民主主義なるものが存在するとして(しないから年金は削られてるし医療費負担が引き上げられてるのは忘れてはいけない。「仮に」は反実仮想だ)、たとえば前回衆院選の朝日記事(リンク)を見ても、自民党の支持率がいちばん高いのは「厚遇」されているはずの高齢者ではなく、10代20代だ。スローガン通りであるなら、「若者の声が通りやすい制度を」というまえに「政党の選び方を考えろ」と言うはずなのだが、今日時点での本人コメントはこれ。
投票に行こうという啓発をすると、「あの政党に誘導したいのではないか」という批判が右からも左からも来ます。そんなことをしたいなら、政党の広報をやります。若い人の政治参加を促したいだけです。ただでさえ、選挙啓発する人が少ないのですから足を引っ張らないでいただきたいです。
— たかまつなな/笑下村塾 代表 (@nanatakamatsu) 2022年6月30日
支持率の比率そのままで投票率だけ上がっても出力される結果は変わらない(今の政策が支持されてると解釈されるんだもん)のに、こんな風に言えるのは目的が「若者の生きやすい社会」とは別のところにあると考えなければ悩んでしまうところである。
われわれは21世紀の始めに「若者のために既得権益をぶっ壊そう」という煽りを止めず、その手の発言する奴ばかりをオピニオンリーダーにしてしまった。結果どうなったって今の世の中になってしまったんである。
それだけに、メディアがたかまつをもてはやすつもり満々なのを目にするのは危機感を覚える。バブル期の蓄えがあった時期と今じゃ「それでも持ちこたえられます」の度合いが違いすぎるでしょ。
もちろん、表看板(「若者が生きやすい社会を」)は無視してはいけないテーマだ。
無視してはいけないテーマであれば、取り組む人はたくさんいる。
そうしたテーマのオピニオンリーダーに、何も竹中の息がかかった人間を選ぶことはないと個人的には考える。
まとまらないっつーか趣向に欠けるっつーか、記事の名前の割にたかまつ氏の炎上サーフィンテクニック分析もしないで空振り感を抱いたみなさまには申し訳ないけど今思うのはこんな感じ。