スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ2 『ギザギザ』から『星屑』まで


チェッカーズの音楽とその時代
の読書メモ第2回。

前回
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そんなわけで本編。デビュー曲『ギザギザハートの子守唄』のレビューではスージーさんとチェッカーズの出会いが語られていた。1983年秋、著者は高校二年生。授業で一緒の女子から「これ、知ってる? チェッカーズっていうねん。めっちゃ可愛いねん!」と切り抜きらしき写真を見せられる。

極彩色のファッションに身を包んだ少年7人組の写真(「月刊明星」の切り抜きと思われる)。中でも、真ん中で頬笑んでいる少年が、同性・(ほぼ)同年代の目からしても、妙な気分になるくらいに、やたらと可愛い――が、「ハードロック少年」としては、「可愛い」と同調するのは、さすがに、色んな意味ではばかられる。

 で、「なんや、ようわからんなぁ。俺、最近、洋楽しか聴いてへんから、わからんわ」とだけ答えたそうである。で、その次の週ラジオから「新しい、いや新しすぎたからか、なかなか理解できないイントロ」が流れてきた。それがギザギザ。感想は、

これはオシャレなのか、コミックソングなのか――わからない。
そんな理解不能さは、歌に入って、さらに極まる。日本語だ。それも、歌詞がツッパリソングなのだ。「♪仲間がバイクで死んだのさ」とくるから、横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)とか、のちの虎舞竜にも通じる。

 パーソナルヒストリー部分はここで終わっている。当時を指折り数えてみると、おれは小学一年生だったので、このデビューの頃ってリアルタイムでは全然知らないのだが、なんか流行り歌的にほかの子が歌ってるのを耳にしていたように思う(多分84年になってからだろうけど)。コミックソング? という第一印象はよくわかる。『7×10』ってソフトで当時のPVを90年代になってから見たけど、やっぱりコミックソングなんじゃない? って印象の出来だったし。最後に「日本のみなさん、こんちわー、チェッカーズ」みたいな声入ってた記憶ある。だからFinalの一曲目でこれが歌われたのは割とびっくりした(解散後のライブ音源CDでもびっくりしたし、のちに動画見てもびっくりした。Final Lapの途中でボーカル三人出て来たところで。こんなにカッケー格好してギザギザハートから始めるの? って*1)。

 それよりも、「へえ、そうだったんだ!」って思ったのは、「真ん中で頬笑んでいる少年が、同性・(ほぼ)同年代の目からしても、妙な気分になるくらいに、やたらと可愛い」ってところ。これは年齢近くないとわかんない感覚なんだろうなあ。初めて見たときにはすでに立派な大人っていうふうにしか見えなかったからか、昔の動画、例えばGoツアーとかを最近見て、セクシーっていうのは理解できるようになったんだけど、可愛いだけはどうしても感じられないんだよねえ。

 で、スージーさん、このチェッカーズの出会いエピソードで「1983年の段階で、そこから10年以上前のハードロックをありがたがっているような、コンサバティブな少年には、この新しい文化を理解するのに、もう少し時間が必要だった」って書いてるんだけど、これってチェッカーズが新しかったってことを印象づけるための文飾だよね、たぶん。少なくともラジオでギザギザハート聴いた段階で、「うお、これ、いい!」ってなってたはず。じゃないと、涙のリクエスト(この曲の「無国籍オールディーズ」というコンセプトこそがチェッカーズに火をつけた起爆剤だったというのが著者の考え)の、

私は当時この曲を聴いて、少々がっかりしたことを憶えている。《ギザギザハートの子守唄》に詰め込まれていた、それこそギザギザした違和感のようなものが薄いのだ。

 なんて感想が出てくるわけないもん。彼らが「日本全国の小中高の女の子の胸をかきむしらせる感じ」を打ち出すまえにすでに期待値あがっていたからがっかりするわけで。(ちなみに、涙のリクエストも流行り歌的に誰かが歌っているのを聞いていた気がする。サビだけ。)
 でもって、思わずニヤニヤしてしまうのが、その次の哀しくてジェラシーの感想だ。

この曲は、歌謡曲っぽさが過ぎると言おうか、《涙のリクエスト》にあるキュートさに欠けるとも言える。「♪男と女はすれ違い」のような、湿った歌詞世界は当時のチェッカーズに似つかわしいとは、言いにくい。

 いや、このあと、「怒濤の4分音符連打は、一度聴いたら忘れることができない」って褒めてるんだけど、がっかりしたって言った涙を引き合いに「前曲にあったキュートさが欠けている」って涙のリクエストも好きだったんじゃないの? と茶々を入れたくなる感じですよね(笑)湿った歌詞世界って言うけど、メロディーのせいなのか、湿ってると思ったことはないなあ。(これもリアルタイムは流行り歌的に以下略でサビだけ知ってた)
この曲はこのライブバージョンが好き。
www.youtube.com
たしかこのソフトに入っていたと思う。


 四曲目の星屑のステージでもこのパターンが繰り返されるの、すげえ好き。同曲は「周到に仕組まれた曲作りによって、チェッカーズの新しい側面の提示に成功し、60万枚の売上枚数を叩き出したという曲なのである」と持ちあげてからの~

 ただし、1点だけケチをつければ、その分、商売っぽさが前面に出ているということだ。

 その結果、TBSのテレビドラマ「うちの子にかぎって…」の主題歌タイアップも決まるのだが、商売っぽさの代償として、《ギザギザハートの子守唄》《涙のリクエスト》《哀しくてジェラシー》という初期3部作にあった、福岡久留米のヤンキーによる八方破れのパワーのようなものが失われている感じがするのだ。

 ヤンキーじゃなくて不良……はいいとして、絶対、星屑のステージも好きですよね、スージーさん。
 なんか著者に茶々入れるばかりのエントリーになってしまったのだが、東京ドーム公演段階でもファンの性別構成比9:1で女子多数とかだったチェッカーズの初期に転んだ男性ファンなんて隠れキリシタンみたいな気分だったんじゃないかと思うんだよねえ。その癖が残ってる感じして、非常になんつーか、共感できるんだ、この語り口。先輩! って感じで。うーん、楽しい。

追記:読書メモ完結。全十三回。以下目次

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ1 タイトルのメッセージを妄想してみた - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ2 『ギザギザ』から『星屑』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ3 『ジュリア』と『スキャンダル』あるいは「キラキラ」と「チャラチャラ」 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ4 『不良少年』から『HEART OF RAINBOW』 - U´Å`U
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スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ9 『Cherie』と『Friends and Dream』 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ10 『運命』から『夜明けのブレス』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ11 『さよならをもう一度』と『Love'91』 - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ12 『ミセスマーメイド』から『今夜の涙は最高』まで - U´Å`U
スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ13最終回 - U´Å`U

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*1:7×10じゃフミヤだってデビュー当時の思い出として「参ったなあ、これ歌うのかなあ」って思ったって言ってたんだよ

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ1 タイトルのメッセージを妄想してみた

 『チェッカーズの音楽とその時代』(amazon)を読んだ。2019年に出る、チェッカーズのシングル総まくり解説本。アマゾンでもうすぐ出ますみたいの見たときは、なぜに? なぜに? うれしーーー。ってなった。で、最近近所に気に入ってる本屋もあるので、アマゾンではポチらずに取り寄せをお願いし、ただただ待っていたのだが、昨日ようやく入荷のお知らせをもらったので、喜び勇んで入手してざざざざっと読んでみた。読書感想はいずれまとめるつもりだけども、この記事
gkmond.hatenadiary.jp
でも書いたように、最初のブームに間に合わなかった後発組だったのもあって、「あの曲はここがいい」の「この曲はどーのこーの」とチェッカーズできゃっきゃうふふできた記憶がほとんどない身としては、人様の感想を見るたびに、なんかコメントとか入れて遅ればせのきゃっきゃうふふをしたいという欲求もありつつ、文字で知らない人とそれやって火傷せずに終わるとも思えないって経験則もあったりするもんだから、この全シングル解説に書いてあることに「えー」とか「わかるー」とかくちばし挟んで今更の追体験をやってみたくなってしまったのだった。そんなわけで読書メモ1です。2以降もあるんじゃないかと。ってことでまずはギザギザハートの子守唄……ではなくて、「はじめに」から。
 書いてあるのは本書執筆に至る流れと中身について。発売日はチェッカーズが初めて『ザ・ベストテン』で1位を獲得した3月29日に合わせた。BS12トゥエルビの音楽番組『ザ・カセットテープ・ミュージック』でチェッカーズ特集をやってマサハルとユウジ(敬称略以下同じ)について語ったあと、音楽サイト『リマインダー』主催のイベントでマサハルと対談、それを聞きに来ていたのが本書の編集者で原稿執筆依頼になったのだとか。でタイトルの由来。

 本タイトルを分解する。タイトルの前半=「チェッカーズの音楽」は、これまで、意外なほどに語られなかった彼らの音楽そのものと、しっかり向き合いたいという意志を示している。今一度シングル曲を丹念に聴きこみ、その魅力の幅・高さ・奥行きを正確に測定するという、けれん味のないアプローチを心がけた。

 タイトルの後半「その時代」は、あの80年代を、でいるだけリアルに描き出したいという目論見を表す。具体的には、私のパーソナルヒストリーの中にチェッカーズを位置づけるという、少々差し出がましい手法を用いた。

 で、本書全体を見たうえで考えるに「はじめに」最大の山場フレーズが来る。

さて。先に白状すれば、私は当時、チェッカーズの強烈なファンではなかった。チェッカーズよりも、ビートルズレッド・ツェッペリンはっぴいえんどなどの方を好んで聴いている若者だった。

 でも、そうでなければ見えて来なかったものもあると思っている。ユウジのベースの向こう側にポール・マッカートニーを、マサハルのメロディの向こう側に、ロイ・オービソンを、そしてフミヤのボーカルの向こう側に沢田研二を見据えることが出来たのは、リスナーとして色んな回り道をして来たからという自負もある。

 なんでここが山場なのかと言いますと、すっげえ面白いことに、チェッカーズに熱狂した思い出ってのは全然書かれていないのね、各曲に対してリアルタイムで感じた不満と聴き直してみて気づいた美点みたいな構成で書かれたところばっかりと言ってもいいくらいなんだけど、リアルタイムでの感想のほとんどが「期待してたのと違った」にまとめられるわけ。なかには文字面読んで、この人チェッカーズ好きじゃないんじゃない? とか、仕事で分析しただけなんじゃない? とか、あとになってやっといいところがわかったんだね、とか、思いそうなんだけど、おれとしては、これがさあ、すっげえわかるんだわ(笑)まさにまさに、そういう感想になるバンドですよね、チェッカーズってってなもんで。自分もシングル集め出したときに、割と頻繁に今言語化するなら「物足りない」って印象を持ったものだった(というか、一発目から「これはいい!」って思ったの、ミセスマーメイドとブルムーンストーンくらいじゃないかなあ、後期だと)。でもぼやきつつ聴き続けちゃうところが楽曲のぱっと見じゃ分からない魅力というか、魔力というか、実力というか。

そっから考えるにスージーさん、リアルタイムでもかなりチェッカーズ好きだったんじゃないかと思うのね。ほぼすべての曲にリアルタイムでの印象が書かれているし、生まれて初めて買ったシングルCDがJim&Janeの伝説だって書いてあるし、さよならをもう一度を聴いて「これはチェッカーズ、長くないぞ」と思ったとも書いてあるし。なのに、どこにもハマったとか、持ってかれたとか書いてないのはなぜかと考えるに、より魅力を感じたほかのアーティストがいたというのはもちろんほんとにあったんだろうけど、歌番組全盛だったこともあって、作品買わなくてもいつも視界の端にチェッカーズがいたからなんだろうというのが、作者より10歳下のおれの予想。あともう一個の予想として、やっぱりあれですよ、スーパーアイドルグループで出たグループなんで、強烈なファンだったと自覚するのが照れくさいってのもあるかも。その辺、リアルタイムじゃなかったおれにはよくわからない文脈があるのかもとも思った。いやだって、そもそも、強烈なファンだった時期もなく、こんな本出します? 楽曲分析なら出すかもしれないけどさ、そこにパーソナルヒストリー絡めて語るんだよ? というわけで、このタイトルの命名は、著者の「あんま大きい声じゃ言いたくないからその辺汲んでね」ってメッセージも籠もってる気がするのだった。

予定では次回は曲の解説読みながらきゃっきゃうふふ(独り相撲)するつもりです。
追記:先に感想書いた。
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追記:読書メモ完結。全十三回。以下目次

スージー鈴木『チェッカーズの音楽とその時代』読書メモ1 タイトルのメッセージを妄想してみた - U´Å`U
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事実と異なるなら、えらい目に遭わされそうじゃない?

ただの雑感ですよ。
こんなことが話題になってますね。
www.asahi.com

 本州と九州を新たに結ぶ「下関北九州道路」(下北道路)の事業化調査をめぐり、国土交通副大臣塚田一郎氏は、安倍晋三首相と麻生太郎副総理の地元事業と紹介した上で、「国直轄の調査に引き上げた。私が忖度(そんたく)した」と語った。北九州市で1日にあった福岡県知事選の自民党推薦候補の集会で語った。塚田氏は2日、発言を撤回し、謝罪した。

 塚田氏は自民参院議員(新潟選挙区)で麻生派。所管官庁の副大臣が政権中枢に配慮し、その地元へ利益誘導をしたと認める発言で、国会などで批判が出そうだ。
(中略)
塚田一郎・国土交通副大臣自民党参院議員)が2日、福岡県政記者クラブに文書で送ったコメントの要旨は次の通り。

 1日に行われた自民推薦候補の応援演説で、「総理とか副総理が言えないので、私が忖度(そんたく)した」「これは総理と副総理の地元の事業だよと言われた」「私は物わかりがいい。すぐ忖度する。分かりましたと応じた」と発言しましたが、一連の発言は事実と異なるため撤回し、謝罪申し上げます。

国交副大臣、「安倍首相と麻生氏を忖度」発言を謝罪:朝日新聞デジタル

 あきれてものが言えないような発言ですが、文脈切り取りなんて思っちゃう人がいるかもしれませんので、がっちり写していたNHKの記事から該当部分を引用してみましょう。

「11年前に凍結された。
コンクリートから人という、とんでもない内閣があった。
安倍総理大臣は悪夢のようだと言ったが、まさにそのとおりだ。
公共事業はやらないという民主党政権ができて、こういう事業は全部凍結してしまった」

「皆さんよく考えてください。
下関は誰の地盤か。安倍晋三総理大臣だ。
安倍晋三総理大臣から麻生副総理の地元への、道路の事業が止まっているわけだ。
吉田参議院幹事長と大家敏志参議院議員副大臣室に来て、『何とかしてもらいたい』と言われた。
動かしてくれということだ。
吉田氏が私の顔を見て、『塚田、分かっているな。これは安倍総理大臣の地元と、麻生副総理の地元の事業なんだ。俺が、何で来たと思うか』と言った。
私はすごくものわかりがいい。
すぐそんたくする」

「総理大臣とか副総理がそんなことは言えない。
森友学園などでいろいろ言われているが、そんなことは実際ない。
でも私はそんたくする。
それで、この事業を再スタートするためには、いったん国で調査を引き取らせてもらうことになり、今回の予算で国直轄の調査計画に引き上げた」

塚田国交副大臣「そんたく」発言の詳細 | NHKニュース

 はい。で、これについて「一連の発言は事実と異なるため撤回し、謝罪申し上げます」とコメントしたそうで、応援演説で大嘘ぶっこきましたってのも有権者をなんだと思ってるのって話になるわけですが、個人的には、「事実と異なる」ってのが嘘なんだろうと思われてなりません(計画の凍結は福田政権下だったので、その点については事実と異なるとはいえ)。根拠はこの記事。

headlines.yahoo.co.jp

安倍晋三首相は衆院内閣委で、塚田国交副大臣の発言について「発言は問題だが、本人がしっかり説明し、このことを肝に銘じて職責を果たしてもらいたい」と述べ、罷免を否定した。

首相、塚田氏の罷免を否定(共同通信) - Yahoo!ニュース

 現内閣は辞任ドミノを恐れているのか、国民をとことん馬鹿にしてるのかはわかりませんが、基本罷免を避けるという戦略を取っているので、これだけじゃ問題が起きたときに内閣が何も動かないいつもの無能ぶりを示しているだけで、コメントが事実と異なることの根拠にはならないとか鋭いことを考えちゃう人もいそうですが、石破派の扱いを思い出してほしいわけです。自分の不利益になるような動きがあったときの、総理の決断力と行動力とその徹底ぶりは日頃の滑舌の悪さ、頭の悪さが嘘のようなスピード感を持ちます。それが今回、総理・副総理ともどもありもしない意向を吹聴されてそれが報じられてしまったわけで、普段の総理であれば、こりゃもう自民党にいられないレベルの嫌がらせに走るのは確実ですよ。どころか、適当な嫌疑リークして牢屋から出さないくらいのことはやりかねない。ところが、上のように、「泥はてめえでかぶれよ。今回助けてやったことは絶対忘れるんじゃねえぞ。今後も汚い仕事は任せたからな」と読めなくもないコメントひとつで罷免を拒否しているわけです。今までの総理のあれこれを考えれば、「事実と異なる」って説明のほうが事実と異なってると思わなきゃ、記憶力に問題ありでしょう。総理自身は記憶力その他に問題があるのでこれで幕引きできると信じていらっしゃるのでしょうが。

追記:幕引きできなかったので蜥蜴の尻尾切りが発動しました。
headlines.yahoo.co.jp

塚田一郎国土交通副大臣(55)=参院新潟選挙区=は5日、道路整備を巡り「安倍晋三首相や麻生太郎副総理(兼財務相)が言えないので、私が忖度した」と発言した問題の責任を取って辞表を提出した。国交省で記者団に明らかにした。事実上の更迭で、統一地方選衆院大阪12区、沖縄3区補欠選挙への影響を抑えるための判断とみられる。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00000044-kyodonews-pol

 罷免する気はないと言って一日で前言撤回できないから辞表出させた(「議員辞職まではしなくていいから、しばらく大人しくしておれ」みたいに因果を含めたんでしょうね)のを、「事実上の更迭」って一周まわって総理の英断っぽい単語で伝える共同通信なんなの? って感じはしますが、自分に不利益がありそうな奴を切るのが早い総理の行動基準は一貫しています。上で書いたように、ほんとに事実と異なる発言だったなら、発覚時点で罷免していたはずなので、こりゃやっぱり事実と異なるが事実と異なってるんだろうなと改めて。
 なお、塚田氏の言い訳のなかには「嘘という認識はないが、事実と異なる発言だった」という意味不明なものも出ていました。
tr.twipple.jp
 まあ、資質考えれば辞めて当然なわけですが、更迭までに時間の空いたことからわかるのは総理がこの話を知った時点では「そんなの大したことじゃないし、誰も気にしやしないよ、うっせーな」と思っていたということです。一時期しきりに「膿を出し切る」とイキッていた総理ですが、自分自身が患部であることがわからないどころか、たぶん何が膿なのかすらわかっていません。

月の兎

俳諧博物誌』(amazon)を読んでいたら、「兎」の項目で、「月の兎」というモチーフに触れ、いくつか月に住んでる兎を取りあげた句を紹介したあと、貞門時代の句では「不思議なことにこの兎たちは、月の兎と称するだけで臼も杵も持っていない」と言い、さらにいくつか句を紹介したあと、こう続ける。

月の中の兎が臼に搗(つ)くものは、昔は薬であったらしく、李白なども「白兎擣薬成。問言与誰餐(はくとくすりをついてなる。とうていうたれにあたえてさんせしむるか)」といっている。それが兎の餅搗(もちつき)と相場がきまったのは、そう古い事ではないという話である。

 そうだったのか……。なんでも『鶉衣』ウィキペディア)にも「君みずや、久かたの月の中にも、薬を搗くときけば」云々と出ているそうで、著者の横井也有は1702年の生まれだそうだから18世紀の半ばはまだ薬だった模様。

 じゃあどっから餅をついていることになったわけ? ってのは、この本じゃ追跡してくれてないのだけど、「望月という言葉の縁から、餅搗になってしまったのかも知れない」と書いてあった。結構驚いた。なんかかぐや姫の昔から月の兎は餅をついていたものとばかり思ってたからさあ。

 それで思い出した、ウサギでビックリしたエントリ。
gkmond.hatenadiary.jp
読んだものは基本端から忘れていくんだけど、これは「え、仲間に戻してもらうためだったらそんな命懸けのミッションを自分から持ちかけるの?」ってなんかゾッとしたんで今でもときどき思い出してゾッとしているが、なんでラストを知りたかったのは忘れてしまった。


新編俳諧博物誌 (岩波文庫)

俥の字

『明治の話題』(amazon)の「人力車」という項目を眺めていたら、こんな記述にぶつかった。

人扁に車と書いて人力車の意味になる字は、紅葉山人の発明と称せられるが、本人が後藤宙外(ちゅうがい)に話したところでは、上海発行の「滬報(こほう)」にこの字を使ってあるのを見て、それを輸入したまでださうである。

 へえ。その字、国字だとか言ってなかったっけと、ちょっと驚いたのでついでにウィキペディアの「人力車」の項目も覗いてみた。
ja.wikipedia.org

人力車に関する車の文字はすべて俥とも表記した。俥の字は本来は中国象棋の駒の名称に使われるだけの漢字であったが、明治以降の日本において中国にそのような漢字があることに気付かずに、人力車を表すために作られた国字の一種である(中国にもともとあった漢字の字体に暗合したものであるので、正確には国字ではない。)。そのため「俥」(くるま)一文字だけで人力車を表している。

 ちゃんと国字ではないって書いてあった。


明治の話題 (ちくま学芸文庫)

戯れ歌 たわけ宰相

思いつくままに。

法の支配 反対語は?と尋ねられ返答できぬたわけ宰相
舌もつれ私が国歌ですなどと本音おもらしたわけ宰相
片棒を担いだ籠はサギにして今日も元気だたわけ宰相
今年の一文字何か尋ねられ「責任」ドヤ顔たわけ宰相
年の瀬にウルトラ駄本を宣伝も在庫だぶつくたわけ宰相
知りもせぬエンゲル係数振り回し周囲慌てるたわけ宰相
わたくしは立法府の長でござい森羅万象たわけ宰相
報告書忙しくて読んでないゴルフはできるぞたわけ宰相
何しても忘れてくれる民草を愛してやまぬたわけ宰相

追加2019/03/11

破綻した嘘嘯いて得意顔3.11の日たわけ宰相

灌仏、誕生日、数え年

前エントリに引き続き『古句を観る』(amazon青空文庫)から。

 こんな句が収録されていた。

灌仏(かんぶつ)の日に生れけり唯の人    巴常(p.183)

で、こんなコメントがついていた。

 天上天下唯我独尊といって生れた釈迦(しゃか)と同じ日に、ただの平凡な人間が生れる。仏縁あって同じ日に生れる、という風にこの作者は見ていない。釈迦と同じ日に当前(あたりまえ)の凡夫も生れる、という世間の事実を捉えたものであろう。
 芭蕉にも奈良で詠んだ「灌仏の日に生れあふ鹿の子かな」という句がある。場所は仏に因縁の多い奈良であり、日も多いのに灌仏の日に生れるということが、芭蕉の興味を刺激したものと思われる。畜生の身ながら、かかるめでたき日に生れ合うことよ、というほど強い意味ではない。奈良で鹿が子を産むのを見た、それがあたかも灌仏の日であった、という即事を詠んだのである。この方は現に眼前に生れたところを捉えたのだから、軽い事実として扱うことも出来るが、今生れたばかりの子供を「唯の人」と断定するには多少の無理がある。釈迦に比べればどう転んでも「唯の人」に過ぎぬ、というような意味とすれば、益々理窟臭くなって来る。鹿の子ならそのままで通用する事柄も、「唯の人」という言葉を用いたために、いささか面倒なのである。
 芥川龍之介氏の『少年』という小説の中に、バスの中の少女の事が書いてあった。フランス人の宣教師が今日は何日かと問うと、十二月二十五日と答える。十二月二十五日は何の日か、と重ねて問われたのに対し、少女は落著き払って「きょうはあたしの誕生日」と答えるのである。この答を聞いて微笑を禁じ得なかったという作者の気持には、例の皮肉が漂っているようであるが、「クリスマスの日に生れ合う少女」も、面白い事実でないことはない。但こういう事実は散文の中においてはじめて光彩を放つべき性質のもので、俳句のような詩に盛るには不適当である。芭蕉の句が比較的離れ得たのは、眼前の即事を捉えたせいもあるが、ものが「鹿の子」で、「唯の人」というが如き理智を絶しているために外ならぬ。(pp.183-184)

 へえ、そうなるんだあと思ったのが、「この方は現に眼前に生れたところを捉えたのだから、軽い事実として扱うことも出来るが、今生れたばかりの子供を『唯の人』と断定するには多少の無理がある」。古典文法真面目にやってなかったんで、なんでそう思うのか説明できないんだけど、この句を読んだときにおれが思ったのは「唯の人=作者」だったんだよね。自嘲の歌に見えた。なんで「眼前に生まれたところを捉えた」と言いきれるんだろう。と、ここまで書いたときに、あれ、でもこの句が書かれたときって誕生日ってどういう扱いなんだっけ? という疑問が湧き、そういや数え年なんてものを使っていたような気がすると思い、例によってウィキペディアに飛んだ。

ja.wikipedia.org

数え年(かぞえどし)とは、年齢や年数の数え方の一つで、生まれてから関わった暦年の個数で年齢を表す方法である。即ち、生まれた年を「1歳」「1年」とする数え方である。

以降、暦年が変わる(元日(1月1日)を迎える)ごとにそれぞれ1歳、1年ずつ“年をとる”(例:12月31日に出生した場合、出生時に1歳で翌日には2歳となる。また1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になる)。数え歳や数えともいい、年齢以外の項目では足掛け(あしかけ)ともいう。年齢の序数表示(たとえば、満年齢の0歳をあらわす英語の “first year of life” など)とは異なる。

これに対し、誕生日前日24時を過ぎた時点で加齢・加年する数え方を「満年齢」「満」といい、生まれた年を「0歳」「0年」として暦年が変わるごとに加齢加年する数え方を「周年」という。

 そうすると、誕生日は意識されていなかったのか?(いやでも釈迦の誕生日が伝わってるなら誕生日って概念はありそうだよなあ)
 と、よくわからなくなったので素直に検索をかけてみた。
 出てきたのがこの記事。
shinbun20.com

現在では、個人の誕生日をお祝いすることは一般的になっていますが、もともと日本には誕生日をお祝いする習慣がありませんでした。

 なるほど、と納得したのも束の間、

個人の誕生日を祝うようになるずっと前から、日本には、ある伝統的な誕生日の風習があります。
それが、七五三です。七五三が行われるようになったのは、室町時代頃といわれています。
当時は、現在ほど医学が発達しておらず、栄養も乏しかったため、乳幼児のうちに亡くなってしまう子どもは少なくありませんでした。
そこで、七五三の歳まで無事に育ったことへの感謝を込めて、また、幼い子どもから少年・少女へと成長するひとつの節目を祝う意味を込めて、神様に祈りを捧げるようになったことが、七五三のはじまりです。

 はい? 待って。祝うの祝わなかったのどっち?
 ということでもっかいウィキペディア行って七五三を眺めることにした(子どもいないから興味持ったことないし、自分がやったのは遙か昔だから覚えてないんだよね)
ja.wikipedia.org

旧暦の15日はかつては二十八宿鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。

江戸時代に始まった神事であり、旧暦の数え年で行うのが正式となる[1]。

神事としては、感謝をささげ祝うことが重要であるとの考え方から、現代では、数え年でなく満年齢で行う場合も多い。出雲大社に神が集まるとされる、神在月(他の地方では「神無月」)に、7+5+3=15で15日となり11月15日となったと言う説もある[要出典]が、実際には曖昧(そもそも神在月・神無月は旧暦10月のこと)。

明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになった。現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土・日・祝日に行なうことも多くなっている。

北海道等、寒冷地では11月15日前後の時期は寒くなっていることから、1か月早めて10月15日に行う場合が多い。

 これを見る限り、誕生日とはあんまり関係がないようだ。ところで、さっきの数え年の項目見てて割と素で驚いたのが、

日本でも古くから数え年が使われていたが明治6年2月5日の「太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)」を受け、満年齢を使用することとなった。

ただし明治6年太政官布告第36号では年齢計算に関しては満年齢を使用することとしながらも、旧暦における年齢計算に関しては数え年を使用するとしていた。

1902年12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律明治35年12月2日 法律第50号)」で、明治6年太政官布告第36号が廃止され、満年齢に一本化されることとなった。

しかし一般には数え年が使われ続けたことから、1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日 法律第96号)」により

国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律明治35年法律第50号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。

と国民には満年齢によって年齢を表すことを改めて推奨し

国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。

と国・地方公共団体の機関に対しては満年齢の使用を義務付け、数え年を用いる場合は明示することを義務付けた。

数え年 - Wikipedia

お誕生日新聞にはもっとコンパクトにこう出ている。

日本で個人の誕生日が祝われるようになったのは、昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降に、満年齢での数え方が普及しはじめてからだと言われています。

誕生日を祝うようになったのはいつから?由来や風習を知ろう | お誕生日新聞オンラインショップ

 そんな新しかったとは知らなんだ。少年探偵団とかで誕生日祝いやってる場面あったら地味に最新風俗を取り入れてたってことなんだね。
 なんの話だったっけ。あ、そうそう。これだ。

灌仏(かんぶつ)の日に生れけり唯の人    巴常

 生まれたばかりの子どもの話してるんじゃなくて自分が釈迦と同じ日に生まれたって言ってるんじゃなかろうかって思ったって話だった。調べだしたときには誕生日を意識してないならこれを自分のことと取るのは苦しいかと思っていて、あれこれ見た結果、この句をひねった人の生きていた時代に誕生日を祝うことはまずなかろうということも納得がいったし、それを前提に宵曲も目の前で子どもが生まれた可能性しか考えてないのではないかと思うわけなんだが、最初の思い込みの強さのゆえか、やっぱりおれはこれ自分のことを言ってるように読んでしまう。いやだって、毎年盛大にお祝いされてたわけでしょ、灌仏会って。だったら絶対「おまえが生まれたのはこの日だよ」って話を聞かされて育つはずじゃない。となると、年を取るのが元旦だったとしても、生まれた日は意識してることになるでしょ。「けり」が伝聞過去なら「って、母ちゃんが言っていた(自分は記憶ない)」で成り立つ気がする(が、さっきも言ったように古典文法得意じゃないので「けり」の詠嘆の用法のほうにこの読みを否定する何かがあるのかもしれない)。
 ってことでまた辞書を引いてみる。
kobun.weblio.jp

(1)詠嘆の「けり」それまで気付かずにいたことに初めて気付いた気持ちを表す用法。その驚きが強いとき、詠嘆の意が生ずる。断定の助動詞「なり」と重ねて、和歌に好んで用いられた。

 あー、「それまで気付かずにいたことに初めて気付いた気持ち」って言うなら、自分の話なわけねえかあ。(そうなの? 気づかずにいたこと限定なの? って疑いの気持ちもやや残っているけど、根拠がないので呑み込むことにする。考えてみれば引用している芥川の作品は大正年間のもので、数え年の時代だった。で、これを引いている以上、有名人とたまたま同じ誕生日であることを当人が意識しているという可能性が解釈の網からこぼれるはずはない。そのうえで、唯の人=作者を検討すらしないんだから、なんか根拠があるに違いないとも思えてきたし。)ここまで来てようやく宵曲さんと同じ感想になる。

今生れたばかりの子供を「唯の人」と断定するには多少の無理がある。

 だろ。なんでこんな単語選択したのさ。


古句を観る (岩波文庫)

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 読み終わったので感想書いた。
gkmond.blogspot.com